The Cross Pendant

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Emmanuel

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ガラテヤ人への手紙2 - ALIVEバイプル: 新約聖書

1 その後のち十四年ねんたってから、わたしはバルナバと一緒いっしょに、テトスをも連つれて、再ふたたびエルサレムに上のぼった。

2 そこに上のぼったのは、啓示けいじによってである。そして、わたしが異邦人いほうじんの間あいだに宣のべ伝つたえている福音ふくいんを、人々ひとびとに示しめし、「重おもだった人ひとたち」には個人こじん的てきに示しめした。それは、わたしが現げんに走はしっており、またすでに走はしってきたことが、むだにならないためである。

3 しかし、わたしが連つれていたテトスでさえ、ギリシヤ人じんであったのに、割礼かつれいをしいられなかった。

4 それは、忍しのび込こんできたにせ兄弟きょうだいらがいたので——彼かれらが忍しのび込こんできたのは、キリスト・イエスにあって持もっているわたしたちの自由じゆうをねらって、わたしたちを奴隷どれいにするためであった。

5 わたしたちは、福音ふくいんの真理しんりがあなたがたのもとに常つねにとどまっているように、瞬時しゅんじも彼かれらの強要きょうように屈服くっぷくしなかった。

6 そして、かの「重おもだった人ひとたち」からは——彼かれらがどんな人ひとであったにしても、それは、わたしには全まったく問題もんだいではない。神かみは人ひとを分わけ隔へだてなさらないのだから——事実じじつ、かの「重おもだった人ひとたち」は、わたしに何なにも加くわえることをしなかった。

7 それどころか、彼かれらは、ペテロが割礼かつれいの者ものへの福音ふくいんをゆだねられているように、わたしには無む割礼かつれいの者ものへの福音ふくいんがゆだねられていることを認みとめ、

8 (というのは、ペテロに働はたらきかけて割礼かつれいの者ものへの使徒しとの務つとめにつかせたかたは、わたしにも働はたらきかけて、異邦人いほうじんにつかわして下くださったからである)、

9 かつ、わたしに賜たまわった恵めぐみを知しって、柱はしらとして重おもんじられているヤコブとケパとヨハネとは、わたしとバルナバとに、交まじわりの手てを差さし伸のべた。そこで、わたしたちは異邦人いほうじんに行いき、彼かれらは割礼かつれいの者ものに行いくことになったのである。

10 ただ一つ、わたしたちが貧まずしい人々ひとびとをかえりみるようにとのことであったが、わたしはもとより、この事ことのためにも大おおいに努つとめてきたのである。

11 ところが、ケパがアンテオケにきたとき、彼かれに非難ひなんすべきことがあったので、わたしは面めんとむかって彼かれをなじった。

12 というのは、ヤコブのもとからある人々ひとびとが来くるまでは、彼かれは異邦人いほうじんと食しょくを共ともにしていたのに、彼かれらがきてからは、割礼かつれいの者ものどもを恐おそれ、しだいに身みを引ひいて離はなれて行いったからである。

13 そして、ほかのユダヤ人じんたちも彼かれと共ともに偽善ぎぜんの行為こういをし、バルナバまでがそのような偽善ぎぜんに引ひきずり込こまれた。

14 彼かれらが福音ふくいんの真理しんりに従したがってまっすぐに歩あるいていないのを見みて、わたしは衆人しゅうじんの面前めんぜんでケパに言いった、「あなたは、ユダヤ人じんであるのに、自分じぶん自身じしんはユダヤ人じんのように生活せいかつしないで、異邦人いほうじんのように生活せいかつしていながら、どうして異邦人いほうじんにユダヤ人じんのようになることをしいるのか」。

15 わたしたちは生うまれながらのユダヤ人じんであって、異邦人いほうじんなる罪人つみびとではないが、

16 人ひとの義ぎとされるのは律法りっぽうの行おこないによるのではなく、ただキリスト・イエスを信しんじる信仰しんこうによることを認みとめて、わたしたちもキリスト・イエスを信しんじたのである。それは、律法りっぽうの行おこないによるのではなく、キリストを信しんじる信仰しんこうによって義ぎとされるためである。なぜなら、律法りっぽうの行おこないによっては、だれひとり義ぎとされることがないからである。

17 しかし、キリストにあって義ぎとされることを求もとめることによって、わたしたち自身じしんが罪人つみびとであるとされるのなら、キリストは罪つみに仕つかえる者ものなのであろうか。断だんじてそうではない。

18 もしわたしが、いったん打うちこわしたものを、再ふたたび建たてるとすれば、それこそ、自分じぶんが違反者いはんしゃであることを表明ひょうめいすることになる。

19 わたしは、神かみに生いきるために、律法りっぽうによって律法りっぽうに死しんだ。わたしはキリストと共ともに十字架じゅうじかにつけられた。

20 生いきているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生いきておられるのである。しかし、わたしがいま肉にくにあって生いきているのは、わたしを愛あいし、わたしのためにご自身じしんをささげられた神かみの御子みこを信しんじる信仰しんこうによって、生いきているのである。

21 わたしは、神かみの恵めぐみを無むにはしない。もし、義ぎが律法りっぽうによって得えられるとすれば、キリストの死しはむだであったことになる。

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