The Cross Pendant

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Emmanuel

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コリント人への第一の手紙9 - ALIVEバイプル: 新約聖書

1 わたしは自由じゆうな者ものではないか。使徒しとではないか。わたしたちの主しゅイエスを見みたではないか。あなたがたは、主しゅにあるわたしの働はたらきの実みではないか。

2 わたしは、ほかの人ひとに対たいしては使徒しとでないとしても、あなたがたには使徒しとである。あなたがたが主しゅにあることは、わたしの使徒しと職しょくの印しるしなのである。

3 わたしの批判者ひはんしゃたちに対たいする弁明べんめいは、これである。

4 わたしたちには、飲のみ食くいをする権利けんりがないのか。

5 わたしたちには、ほかの使徒しとたちや主しゅの兄弟きょうだいたちやケパのように、信者しんじゃである妻つまを連つれて歩あるく権利けんりがないのか。

6 それとも、わたしとバルナバとだけには、労働ろうどうをせずにいる権利けんりがないのか。

7 いったい、自分じぶんで費用ひようを出だして軍隊ぐんたいに加くわわる者ものがあろうか。ぶどう畑はたけを作つくっていて、その実みを食たべない者ものがあろうか。また、羊ひつじを飼かっていて、その乳ちちを飲のまない者ものがあろうか。

8 わたしは、人間にんげんの考かんがえでこう言いうのではない。律法りっぽうもまた、そのように言いっているではないか。

9 すなわち、モーセの律法りっぽうに、「穀物こくもつをこなしている牛うしに、くつこをかけてはならない」と書かいてある。神かみは、牛うしのことを心こころにかけておられるのだろうか。

10 それとも、もっぱら、わたしたちのために言いっておられるのか。もちろん、それはわたしたちのためにしるされたのである。すなわち、耕たがやす者ものは望のぞみをもって耕たがやし、穀物こくもつをこなす者ものは、その分わけ前まえをもらう望のぞみをもってこなすのである。

11 もしわたしたちが、あなたがたのために霊れいのものをまいたのなら、肉にくのものをあなたがたから刈かりとるのは、行ゆき過すぎだろうか。

12 もしほかの人々ひとびとが、あなたがたに対たいするこの権利けんりにあずかっているとすれば、わたしたちはなおさらのことではないか。しかしわたしたちは、この権利けんりを利り用ようせず、かえってキリストの福音ふくいんの妨さまたげにならないようにと、すべてのことを忍しのんでいる。

13 あなたがたは、宮仕みやづかえをしている人ひとたちは宮みやから下さがる物ものを食たべ、祭壇さいだんに奉仕ほうししている人ひとたちは祭壇さいだんの供そなえ物ものの分わけ前まえにあずかることを、知しらないのか。

14 それと同様どうように、主しゅは、福音ふくいんを宣のべ伝つたえている者ものたちが福音ふくいんによって生活せいかつすべきことを、定さだめられたのである。

15 しかしわたしは、これらの権利けんりを一つも利り用ようしなかった。また、自分じぶんがそうしてもらいたいから、このように書かくのではない。そうされるよりは、死しぬ方ほうがましである。わたしのこの誇ほこりは、何者なにものにも奪うばい去さられてはならないのだ。

16 わたしが福音ふくいんを宣のべ伝つたえても、それは誇ほこりにはならない。なぜなら、わたしは、そうせずにはおれないからである。もし福音ふくいんを宣のべ伝つたえないなら、わたしはわざわいである。

17 進すすんでそれをすれば、報酬ほうしゅうを受うけるであろう。しかし、進すすんでしないとしても、それは、わたしにゆだねられた務つとめなのである。

18 それでは、その報酬ほうしゅうはなんであるか。福音ふくいんを宣のべ伝つたえるのにそれを無む代価だいかで提供ていきょうし、わたしが宣教者せんきょうしゃとして持もつ権利けんりを利り用ようしないことである。

19 わたしは、すべての人ひとに対たいして自由じゆうであるが、できるだけ多おおくの人ひとを得えるために、自みずから進すすんですべての人ひとの奴隷どれいになった。

20 ユダヤ人じんには、ユダヤ人じんのようになった。ユダヤ人じんを得えるためである。律法りっぽうの下もとにある人ひとには、わたし自身じしんは律法りっぽうの下もとにはないが、律法りっぽうの下もとにある者もののようになった。律法りっぽうの下もとにある人ひとを得えるためである。

21 律法りっぽうのない人ひとには——わたしは神かみの律法りっぽうの外そとにあるのではなく、キリストの律法りっぽうの中なかにあるのだが——律法りっぽうのない人ひとのようになった。律法りっぽうのない人ひとを得えるためである。

22 弱よわい人ひとには弱よわい者ものになった。弱よわい人ひとを得えるためである。すべての人ひとに対たいしては、すべての人ひとのようになった。なんとかして幾人いくにんかを救すくうためである。

23 福音ふくいんのために、わたしはどんな事ことでもする。わたしも共ともに福音ふくいんにあずかるためである。

24 あなたがたは知しらないのか。競技場きょうぎじょうで走はしる者ものは、みな走はしりはするが、賞しょうを得える者ものはひとりだけである。あなたがたも、賞しょうを得えるように走はしりなさい。

25 しかし、すべて競技きょうぎをする者ものは、何なにごとにも節制せっせいをする。彼かれらは朽くちる冠かんむりを得えるためにそうするが、わたしたちは朽くちない冠かんむりを得えるためにそうするのである。

26 そこで、わたしは目標もくひょうのはっきりしないような走はしり方かたをせず、空くうを打うつような拳闘けんとうはしない。

27 すなわち、自分じぶんのからだを打うちたたいて服従ふくじゅうさせるのである。そうしないと、ほかの人ひとに宣のべ伝つたえておきながら、自分じぶんは失格者しっかくしゃになるかも知しれない。

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