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Emmanuel

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ローマ人への手紙9 - ALIVEバイプル: 新約聖書

1 わたしはキリストにあって真実しんじつを語かたる。偽いつわりは言いわない。わたしの良心りょうしんも聖霊せいれいによって、わたしにこうあかしをしている。

2 すなわち、わたしに大おおきな悲かなしみがあり、わたしの心こころに絶たえざる痛いたみがある。

3 実際じっさい、わたしの兄弟きょうだい、肉にくによる同族どうぞくのためなら、わたしのこの身みがのろわれて、キリストから離はなされてもいとわない。

4 彼かれらはイスラエル人びとであって、子こたる身分みぶんを授さづけられることも、栄光えいこうも、もろもろの契約けいやくも、律法りっぽうを授さづけられることも、礼拝れいはいも、数々かずかずの約束やくそくも彼かれらのもの、

5 また父祖ふそたちも彼かれらのものであり、肉にくによればキリストもまた彼かれらから出でられたのである。万物ばんぶつの上うえにいます神かみは、永遠えいえんにほむべきかな、アァメン。

6 しかし、神かみの言ことばが無効むこうになったというわけではない。なぜなら、イスラエルから出でた者ものが全部ぜんぶイスラエルなのではなく、

7 また、アブラハムの子孫しそんだからといって、その全部ぜんぶが子こであるのではないからである。かえって「イサクから出でる者ものが、あなたの子孫しそんと呼よばれるであろう」。

8 すなわち、肉にくの子こがそのまま神かみの子こなのではなく、むしろ約束やくそくの子こが子孫しそんとして認みとめられるのである。

9 約束やくそくの言葉ことばはこうである。「来年らいねんの今いまごろ、わたしはまた来くる。そして、サラに男子だんしが与あたえられるであろう」。

10 そればかりではなく、ひとりの人ひと、すなわち、わたしたちの父祖ふそイサクによって受胎じゅたいしたリベカの場合ばあいも、また同様どうようである。

11 まだ子供こどもらが生うまれもせず、善ぜんも悪あくもしない先さきに、神かみの選えらびの計画けいかくが、

12 わざによらず、召めしたかたによって行おこなわれるために、「兄あには弟おとうとに仕つかえるであろう」と、彼女かのじょに仰おおせられたのである。

13 「わたしはヤコブを愛あいしエサウを憎にくんだ」と書かいてあるとおりである。

14 では、わたしたちはなんと言いおうか。神かみの側がわに不正ふせいがあるのか。断だんじてそうではない。

15 神かみはモーセに言いわれた、「わたしは自分じぶんのあわれもうとする者ものをあわれみ、いつくしもうとする者ものを、いつくしむ」。

16 ゆえに、それは人間にんげんの意志いしや努力どりょくによるのではなく、ただ神かみのあわれみによるのである。

17 聖書せいしょはパロにこう言いっている、「わたしがあなたを立たてたのは、この事ことのためである。すなわち、あなたによってわたしの力ちからをあらわし、また、わたしの名なが全ぜん世界せかいに言いいひろめられるためである」。

18 だから、神かみはそのあわれもうと思おもう者ものをあわれみ、かたくなにしようと思おもう者ものを、かたくなになさるのである。

19 そこで、あなたは言いうであろう、「なぜ神かみは、なおも人ひとを責せめられるのか。だれが、神かみの意図いとに逆さからい得えようか」。

20 ああ人ひとよ。あなたは、神かみに言いい逆さからうとは、いったい、何者なにものなのか。造つくられたものが造つくった者ものに向むかって、「なぜ、わたしをこのように造つくったのか」と言いうことがあろうか。

21 陶器とうきを造つくる者ものは、同おなじ土つちくれから、一つを尊たっとい器うつわに、他ほかを卑いやしい器うつわに造つくりあげる権能けんのうがないのであろうか。

22 もし、神かみが怒いかりをあらわし、かつ、ご自身じしんの力ちからを知しらせようと思おもわれつつも、滅ほろびることになっている怒いかりの器うつわを、大おおいなる寛容かんようをもって忍しのばれたとすれば、

23 かつ、栄光えいこうにあずからせるために、あらかじめ用意よういされたあわれみの器うつわにご自身じしんの栄光えいこうの富とみを知しらせようとされたとすれば、どうであろうか。

24 神かみは、このあわれみの器うつわとして、またわたしたちをも、ユダヤ人じんの中なかからだけではなく、異邦人いほうじんの中なかからも召めされたのである。

25 それは、ホセアの書しょでも言いわれているとおりである、「わたしは、わたしの民たみでない者ものを、わたしの民たみと呼よび、愛あいされなかった者ものを、愛あいされる者ものと呼よぶであろう。

26 あなたがたはわたしの民たみではないと、彼かれらに言いったその場所ばしょで、彼かれらは生いける神かみの子こらであると、呼よばれるであろう」。

27 また、イザヤはイスラエルについて叫さけんでいる、「たとい、イスラエルの子こらの数かずは、浜はまの砂すなのようであっても、救すくわれるのは、残のこされた者ものだけであろう。

28 主しゅは、御言みことばをきびしくまたすみやかに、地上ちじょうになしとげられるであろう」。

29 さらに、イザヤは預言よげんした、「もし、万軍ばんぐんの主しゅがわたしたちに子孫しそんを残のこされなかったなら、わたしたちはソドムのようになり、ゴモラと同おなじようになったであろう」。

30 では、わたしたちはなんと言いおうか。義ぎを追おい求もとめなかった異邦人いほうじんは、義ぎ、すなわち、信仰しんこうによる義ぎを得えた。

31 しかし、義ぎの律法りっぽうを追おい求もとめていたイスラエルは、その律法りっぽうに達たっしなかった。

32 なぜであるか。信仰しんこうによらないで、行おこないによって得えられるかのように、追おい求もとめたからである。彼かれらは、つまずきの石いしにつまずいたのである。

33 「見みよ、わたしはシオンに、つまずきの石いし、さまたげの岩いわを置おく。それにより頼たのむ者ものは、失望しつぼうに終おわることがない」と書かいてあるとおりである。

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