- The Cross Pendant
He is a cross pendant.He is engraved with a unique Number.
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Emmanuel
1[1] 第十二の月、すなわちアダルの月の十三日に、王によって発布された勅令が実施され、
2[2] その日のうちにユダヤ人の宿敵が滅ぼされた。皆ユダヤ人を恐れていたため、それに逆らうものは一人もなかった。
3[3] 地方総督の頭、諸侯、王の書記官たちはユダヤ人を丁重に扱った。モルデカイを恐れていたからであり、
4[4] また、王の命令が出されて、彼の名が国中に知られるようになったからである。 †
6[6] ユダヤ人は首都スサで五百人の敵を殺した。
7[7] またファルサネスタイン、ダルフォン、ファスガ、
8[8] ファルダタ、バレア、サルバカ、
9[9] マルマシム、アルファイ、アリサイ、ザブタイと、
10[10] ユダヤ人の敵ブガイ人ハメダタの子ハマンの十人の息子を殺し、その所有物を奪い取ったのも、
11[11] その日であった。スサで滅ぼされた者の数が王のもとに報告されると、
12[12] 王はエステルに言った。「ユダヤ人は首都スサで五百人の敵を滅ぼしたが、その周辺地域ではいったい、どれほどのことをしたであろうか。まだ何か願い事があるのか。あれば、かなえよう。」
13[13] エステルは王に言った。「ユダヤ人が明日もまた同じことを行うお許しをいただき、ハマンの十人の息子を木につるさせていただきとうございます。」
14[14] 王はこれを認め、首都にいるユダヤ人にハマンの息子の遺体を木につるすよう命令を下した。
15[15] そこでスサのユダヤ人は、アダルの月の十四日にも集まり、三百人の敵を殺した。しかし、何も奪い取らなかった。
16[16] 王国にいる他のユダヤ人も集まって自分たちの身を守ったので、戦いから解放されて休息することができた。彼らはアダルの月の十三日に一万五千人の敵を滅ぼした。しかし、何も奪い取らなかった。
17[17] こうして同月の十四日には休み、この安息の日を喜び祝いつつ過ごした。
18[18] 他方、首都スサにいるユダヤ人は十四日にも集まったが、その日には休まず、十五日を喜び祝いつつ過ごした。
19[19] こういうわけで、首都以外の地方ではどこでも、離散のユダヤ人はアダルの月の十四日を祝いの日として喜び合い、それぞれ隣人に贈り物をし、他方、首都に住むユダヤ人は、アダルの月の十五日を喜ばしい祝いの日とし、隣人に贈り物をするのである。
プリムの祭りについて20[20] モルデカイはこれらのことを文書にして、アルタクセルクセスの王国にいるすべてのユダヤ人に、その遠近にかかわりなく送り、
21[21] これらの日、つまりアダルの月の十四日と十五日を祝日とすることを定めた。
22[22] この両日に敵から解放され、ユダヤ人が安息できたからである。また彼らの状況が悲しみから喜びへ、苦悩から祝いの日に好転したこのアダルの月を、その全期間にわたって祝日とし、祝宴を張って喜び合い、友人や貧しい人々に贈り物をすることを定めた。
23[23] モルデカイの書き送ったことをユダヤ人は受け入れた。
24[24] すなわち、どのようにマケドニア人ハメダタの子ハマンはユダヤ人に戦いを挑み、彼らを絶滅させる布告を出し、くじを引いたのか。
25[25] また、ハマンがどのように、王の前に出てモルデカイを木につるすことを申し出たか。しかしユダヤ人の上にふりかからせようとした災いはすべて彼自身の上にふりかかることになり、彼もその息子たちも木につるされて処刑されてしまったのである。
26[26] そのため、これらの日はくじにちなんで「フルーライ」と呼ばれた。くじは、彼らの言語で「フルーライ」と言われるからである。またこう呼ばれるのは、この書簡の言葉にちなんでおり、くじのためにユダヤ人はあらゆる苦しみを受け、あらゆる出来事を経験したためである。
27[27] ユダヤ人は、モルデカイの定めたことを自分自身や、子孫およびユダヤ人に加わる者たちが守るべきこととして受け入れた。皆、将来も必ずこのことを守り続けるであろう。これらの日はいつの時代にも町という町、家という家、地方という地方で記念され、祝われるべきものである。
28[28] このフルーライの日々はいつまでも守られ、この記念は代々決しておろそかにされてはならないものである。
29[29] 王妃となったアミナダブの娘エステルとユダヤ人モルデカイは、自分たちの行ったすべてのことを記録し、フルーライに関する条項を確認した。
30[30] またモルデカイと王妃エステルは自分たちの定めたことに責任を持ち、自分たちの健康も顧みず自ら決意したことを果たした。
31[31] エステルは法令としてこれを永久に規定し、それを記念とするために書きとどめた。
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