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- 「神からの霊を受ける」
主イエスが復活されてから50日目、エルサレムに集まっていた弟子たちの中に不思議な現象が起こって、この日以来、彼らは実に生き生きと活動を始めた。使徒言行録2章1節以下によれば、このような次第であった…。 ところで、イエス生前の弟子たちは、師の後からたどたどしく従って行った。彼らは師を正しく理解していたとは言えず、よく叱られた。最後の頃、最も信頼されて「ゲッセマネの園」まで同行を求められたペトロ、ヤコブ、ヨハネの三人は、師が苦しみながら祈っていたあの重要な瞬間に、眠りこけていた。もう一人の弟子ユダは、師を裏切って銀30枚で売り、愛と友情の徴である接吻を合図に、彼を殺そうとしている勢力の手に引き渡した。宗教裁判の場では、弟子たちの中心であったペトロが、三度も繰り返して「あの人のことは知らない」
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- 「神が聞いて下さる」
旧約聖書は、社会的弱者の代表として、しばしば寄留の外国人・孤児・寡婦を挙げている。先ほど読んだエレミヤ書 22,1-5は、預言者エレミヤがユダの王に対して極めて率直に、歯に衣着せずに語った言葉で、「これら立場の弱い人々を虐げるようなことをしてはならない」と厳しく戒めたものだ。旧約には、読むに耐えない残虐な個所もあるが、それはいわば「陰の部分」であり、この「寄留の外国人・孤児・寡婦を苦しめ、虐げてはならない」という預言者の戒めは「光の部分」、あるいは中心である。我々は「陰の部分」に余りに引きずられてはならない。この「光」が全体を照らすような読み方をしなければならない。 ところで、今日のルカ福音書の記事にも「やもめ」が登場する。これは、最も弱い立場にある寡婦が不当な扱いを受けているという社会
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- 「終わりから今を生きる人」
デンマークの思想家、ゼーレン キエルケゴールは青年時代に「人生の存在論的ショック」、を体験した人として知られています。彼は父親の日記から自分の誕生の秘密を知ったあと、そのショックによって、婚約中のレギーネ オルセンとの関係を一方的に破棄して、ドイツへ遊学し、神の前に独り立つ、単独者としての実存的信仰に目覚めます。私に、「人生の存在論的ショック」と呼べるものがあったかどうかを振り返ると、確かにあったように思います。 それは、1954年6月17日の事でした。この日を境にして、私は今までの生き方を決定的に改めなければ済まない出来事を体験したからです。そして私が高校3年生として学校に復帰出来たのは、2年あとの事でした。当時、若い人達に特に流行っていた結核におかされ、6月17日の夕方、自宅で大喀血を
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- 「高ぶる者は低くされる」
「ファリサイ派」は、福音書の中にしばしば登場する。この一派は、紀元前2世紀半ば頃に始まったと言われている。「ファリサイ」の語源は「分離」ということらしい。モーセ律法をちゃんと守らない不真面目な連中から「自らを分離する」という意味だ。「朱に交わって」赤くなってはいけないので、その連中とはあくまで一線を画し、厳格に律法に従って生活することによって自分たちの倫理的・信仰的な純潔を守ろうとする誇り高い人々である。 その一人が祈るために神殿に入った。彼は「立って、心の中でこのように祈った」(11)。ここで少し注釈を加えると、当時、人は祈る時、立って両手を天に伸ばして神に呼びかけるのが普通であった。だから、同じ時に神殿に入った徴税人も「立って」(13)いる。しかし、この人の場合は「遠くに立って、目を天
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- 「失われたものを捜して救う」
エリコという町は、死海の北西約10kmの所にあり、昔から交通の要衝であった。ヘロデ大王が作った壮麗な宮殿もあり、人の行き来で賑わっていた。こういう場所に「網を張る」ようにして、ローマは税関を作り、通行税や市場税を取りたてていたのである。当時、ローマの占領当局は、税金徴収の業務をユダヤ人の「徴税請負人」に任せていた。今日の言い方で言えば、「民間に委託して」いたわけであろう。今日登場するザアカイという人物は、その「徴税人の頭」(2)、つまり親分であった。 これら徴税請負人が立場を利用して「さや稼ぎ」や「ピンはね」をしていたことは隠れもない事実であり、従って徴税人の多くは金持ちであった。もちろん、ザアカイも親分であるから、しこたま貯めこんでいたことであろう。 さて、イエスはこの時、エリコの町を
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- 「小さな可能性を生かす」
ルカ9章51節に 「イエスは、天に上げられる時期が近づくと、エルサレムに向かう決意を固められた」とある。この時から、十字架を覚悟してエルサレムへ向かう旅が始まる。この旅の途中で、イエスはいくつかの注目すべき業を行い、印象的な教訓を与え、後世に残る多くの譬え話を語られたと、ルカは書いている。今日の譬えは、エルサレムに入る前に語られた最後のものだ。 しかし実際には、ルカはイエスの死後50年も経ってから、この福音書を書いているのである。だからここには、紀元1世紀末頃のキリスト教会の意識や思想が反映されている、と言わなければならない。 初代の教会は「主イエスは復活した、今も我々と共に生きている」と信じた。しかし、主イエスは目に見える形で手の届く所にいるわけではなく、「天に上げられた」(24,51
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- 「正しい人の苦しみ」
この手紙は、第一世紀の終わり頃、ある無名の指導者が小アジア(現在のトルコ)で迫害に苦しんでいたキリスト者共同体に宛てて、ペトロの名を使って書いた励ましの手紙だと考えられている。 迫害といっても、キリスト教を禁止する法律が公に制定されたのはトラヤヌス帝の時(110年頃)で、それ以前は概して散発的であった。この手紙の背後に想定されるのは、「キリストの名のために非難される」(14)とあるように、キリスト者に対する中傷や非難といった地方的な性格のものであって大量虐殺を伴った全面的な迫害ではない。「火のような試練」(12)という言葉も、激しさを表すというより、第一コリント3,12-15 に言われているような「吟味」の意味だろう。 さて、初代のキリスト教徒は、いわれのない非難・中傷に悩まされた。
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- 「若いときの真心」
預言者とは、自分の思想や思惑ではなく、ただ自分に与えられた神の言葉を語る人のことである。神が「行って、エルサレムの人々に呼びかけ、耳を傾けさせよ」(2)と命じたので、エレミヤは神から預かった言葉を、エルサレムの人々に向かって語り始める。預言者としての第一声である。それは、次のような言葉で始まる。「主はこう言われる。わたしは、あなたの若いときの真心、花嫁のときの愛を思い起こす」(2)。 「あなたの若いときの真心、花嫁のときの愛」とは、「初心」と言い換えても良いであろう。忘れることの出来ない「初心」を持った人は幸いである。そして、私にもそのような体験がある。 先日天に召された姉は、私を教会に連れて行ってくれた恩人であった。もっとも、その前に私は聖書の言葉と出会っていた。戦後の混乱の中で、た
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- 「柔和な人たちは幸いだ」
6月14日にピョンヤンで歴史的な首脳会談が行われてから、韓国と北朝鮮の間で何度かの実務協議が重ねられ、もう後戻り出来ないところまで来た。鳴り物入りで開催された「沖縄サミット」が形式的な会議に終始したのに比べると、東北アジアに新しい緊張緩和の時代が来たことを予感させる。先ずこのことを感謝したい。 この前進の原動力となったものは何だったのか。さまざまな要因があって決して簡単には言えないが、金大統領の「太陽(包容)政策」が決定的に重要な役割を果たしたことだけは確かだ。そして、それは彼の信仰から来ているのだろう。 1998年10月に、彼が大統領就任後初の公式訪問で来日した時、日本のキリスト教界は挙げて夫妻を歓迎し、「お迎えする会」を催した。むろん、大統領がカトリック、夫人がプロテスタントの熱心な
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- 「贈り物は重荷か?」
I贈り物は、それを貰うときもするときも、なかなか厄介です。贈り物をする人は、何らかの見返りを期待しているのが普通です。だから私たちは何かを貰うと、すぐにお返しの算段を始めます。「借り」を作って生きること、あるいは逆恨みから「恩知らず」というレッテルを貼られて生きることは不愉快です。いっそ他人にたくさん「貸し」を作ることで、その人々から恩義の返礼を受けつつ悠々と社会生活を送りたいと思います。もっともいつもそう上手くゆくとは限りませんが。他方で、贈り物をする時も注意が必要です。見返りを期待した贈り物は先行投資のようなものですから、相手を正しく「値踏み」する必要があります。先方に「私も見くびられたものだ!」という印象を与えることは、それが本来の意図でない限り、是非とも避けなければなりません。逆に
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- 「人を知ること」
I人を知ること、自分を知り他者を知ること、そして必要に応じて自分や他者と仲直りできること、これらのことは私たちが生きていく上での基本的な条件に属しています。他者を知らない人、つまり私に語りかける、私とは異なる人格を経験したことのない人は、おそらく自分が何者なのかを知ることがないでしょう。また自分を受け容れることのできない人には、他者を赦すことも難しいのではないでしょうか。自分をとりまく世界が自分に対して好意的であることを経験することが、私たちの人格形成にとって根本的な意味を持つことは、現代の心理学が明らかにしている通りです。 他方で、自分を知り他者を知ることが危険にあふれた出会いであることも明らかです。成長するにつれて私たちは、他者との出会いから傷を受けるという経験をします。また自分自身や
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- 「主の契約の箱」
「十戒」がシナイ山でモーセに授けられた時、それは二枚の石の板に書かれていた。第一の板には神と人間の間のあるべき関係を定めた掟が、第二の板には人間同士の正しい関係を規定した掟が書かれていた。だから、レンブラントやシャガールが描いたモーセは、食パンの切断面のような形をした二枚の板を持っているし、ミケランジェロのモーセ像が右の脇の下に抱えているのも、四角い板だけれどもやはり二枚ある。これが「契約の板」である。神がこの民族に「十戒」を中心とする「律法」を与えたのは、約束の相手として選んだ神の愛の徴である。 今日の個所に出てくる「主の契約の箱」というのは、この二枚の石の板を収めた箱のことである。神の愛が充満したこの箱を、ユダヤ民族はまことに大切にした。その形状は、出エジプト記25章10節以下に詳しい
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- 「井戸の傍の出会い」
私は今ビュルテンベルク州教会のロイトリンゲン教区で働いています。仕事の内容は、色々な教会や学校で、日本、特に日本の教会についてお話をすることです。ドイツ人に外国の教会の様子を知ってもらい、また私たちが全世界にあるキリストの教会の一員だということを理解できるように努めています。たくさんの方と出会い、お話しができるので、なかなか面白い仕事です。何よりもうれしいのは、日本での経験や、皆様から教えていただいたことを、大勢の方に伝えられることです。人との出会いが大事だと思います。私は日本に住んでいたときに、習っていたお茶の先生から「一期一会」という言葉を教えていただきました。「一期一会」という言葉と、その背後にある思想を大切にしたいと思います。今日のため選んだ聖書の箇所も一つの出会いの話です。ある井戸
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- 「土の中から叫ぶ血」
ベルリンにプレッツエンゼーという所がある。ナチズムが支配していた頃、ここには刑務所があって、抵抗運動に関わった人々や、ユダヤ人、左翼の活動家など多くの人がここで処刑された。その人々を追悼するために、戦後、その近くに二つの教会が建てられた。一つはカトリックの「マリア・レギナ教会」、もう一つはプロテスタントの「キリストの贖いの教会」である。 このプロテスタント教会の玄関の前には白い壁があって、そこには強制収容所で使われた有刺鉄線くらいの太さの針金を束にして埋め込むやり方で字が書いてある。ゴルゴタ、アウシュヴィッツ、プレッツエンゼー、ヒロシマとあり、その後に「マウァー」とある。ベルリンの「壁」のことである。つまりここには、人間が同じ人間仲間を無残にも殺した出来事の代表的な地名が挙げられているので
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- 「希望を持って忍耐する」
地図8・「パウロの宣教旅行2、3」に実線で記されているのがパウロの第二次宣教旅行の行程だ。アンテイオキアから出発して現代のトルコを横断し、トロアスから船でギリシャに渡り、アテネやコリントを経由して再び長い船旅をしてエルサレムに帰っている。50年から53年にかけてであった。途中で、彼はテサロニケに立ち寄った。 テサロニケは、フィリピからほぼ真西へ約100kmの所にある。今日のサロニキである。当時は、ローマ帝国・マケドニア州の首都で、地方総督が置かれ、商業も盛んな港町であった。もちろん、ヘレニズム文化の町だが、デイアスポラのユダヤ人も多くいて、会堂もあった。 使徒言行録17,1-9によると、パウロはここで3週間の間福音を宣教し、相当数の信者が出来たが、そのためにユダヤ人の恨みを買って騒動とな
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- 「神が造られたものはすべて良い」
この手紙は第二世紀前半に書かれたと推測されている。第二世紀前半といえば、イエスの死後100年を経過した頃である。この頃になると、キリスト教は地中海世界の至る所に広まっていたが、イエスの生き生きとした記憶を保っていた最初の世代、つまり、イエスの言葉を直接に聞いた使徒たち、十字架と復活の熱烈な証人たちは既に死に絶え、第二世代も世を去って、ある意味では最も難しい時期を迎えていた。数が増えるに従って中身が薄まるという現象が起こっていたし、「異端」と決め付けることには抵抗があるかもしれないが、聖書とは違う根、例えばギリシャ的な思想から生まれた教えが、さまざまな形で教会の中に流れ込んで来ていた。 そういう状況の中で、教会の内部を引き締めるために、主に三つの努力がなされた、と教会史家は言う。「制度」を整
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- 「信仰と希望と愛と」
今朝の礼拝は修養会の開会礼拝を兼ねている。ご一緒に葉山には行けない方々も、こういう形で修養会に参加しているのである。今年の修養会のために選ばれた聖書の個所は、第一コリント12~13章だ。だから今朝はこの個所について話したい。 当時のコリント教会と今の代々木上原教会とでは、むろん事情が違う。例えば、コリント教会内部には深刻な対立があったが、幸いなことに、我々の教会にはそのような問題はない。まだ一致点に達していない事柄がいくつかあるのは事実であるが、それは今後良く話し合って解決して行こうということで皆が合意している。だから、今日の個所を我々の教会に直接に当てはめて読むつもりはないが、それでも、教会の基本的な在り方に関して学ぶ所は少なくない。 先ず、12章にしばらく目を留めたい。パウロはここ
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- 「お前たちはどうするつもりか」
先日、教会の門の傍にいた時、偶々通りかかった人が看板の説教題に目を留め、首をかしげた。「お前たちはどうするつもりか」。私は、通行人に謎をかけるためにこの題を書いたのではない。もちろん、「喧嘩を売る」つもりでもない。 いくらか挑戦的に響くこの言葉は、今から2500年も前に預言者エレミヤがユダヤの人々に対して投げかけたもので、現在の我々とは直接の関係はないが、当時のことを調べてみると、現在の日本の状況と余りにも似た点が多くあり、とても「我々とは無関係だ」と言って済まされない気がする。その意味で、「お前たちはどうするつもりか」というこの問いかけは、現在の我々に対しても投げかけられていると言って良い。あの通行人が首をひねったのは、案外、適切な反応だったのである。 エレミヤが預言者として活動して
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- 「分け隔てをしない」
最近、説教の個所があちこちに飛ぶので戸惑うという声を聞いた。確かに、一つの文書に集中すれば思想の流れは追い易いだろう。しかし、聖書は旧約・新約合わせて66の文書から成っており、その内容は、ある人の言葉を借りれば、「一つの図書館」のように実に多様である。一つの文書だけにこだわると、この多様性を見失う恐れが出てくるだろう。そう考えて、今は「ローズンゲン」に指定されている個所を参考にして説教テキストを決めている。今日と来週は「ヤコブの手紙」だ。 この手紙は、はっきりしたことは分からないが、ヤコブと呼ばれる人物が、第一世紀末か第二世紀初めに、「離散している12部族の人たち」(1章1節)に宛てて書いたものである。そうは言っても、いわゆる「デイアスポラのユダヤ人」を特に考えている訳ではなく、一般のキ
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- 「忍耐と祈り」
「主が来られるときまで忍耐しなさい」(7節)とヤコブは言う。 およそ「忍耐」というものは、「その時が来るまで耐える」という時間的な要素を必ず持っている。今、病気の人は、やがて癒される時が来ると信じて、「その時が来るまで」痛みや苦しみに耐える。今不幸である人は、いつかはこの嘆きも、夜毎流す涙も終わると信じて、「その時が来るまで」耐えるのである。イエスも、「今泣いている人々は幸いである。あなたがたは笑うようになる」(ルカ6,21)と言われた。このように、「その時が来るまでの忍耐」を経験しない人がいるだろうか。そして「その時」とは、聖書によれば「主が来られる時」である! 一昨日、私は池明観氏の講演を聞く機会があった。テーマは「韓国現代史の課題」であった。池明観氏は、現代韓国を代表するすぐれた

- The Cross Pendant
He is a cross pendant.
He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel
Bible Verses About Welcoming ImmigrantsEmbracing the StrangerAs we journey through life, we often encounter individuals who are not of our nationality......
