預言者とは、自分の思想や思惑ではなく、ただ自分に与えられた神の言葉を語る人のことである。神が「行って、エルサレムの人々に呼びかけ、耳を傾けさせよ」(2)と命じたので、エレミヤは神から預かった言葉を、エルサレムの人々に向かって語り始める。預言者としての第一声である。それは、次のような言葉で始まる。「主はこう言われる。わたしは、あなたの若いときの真心、花嫁のときの愛を思い起こす」(2)。
「あなたの若いときの真心、花嫁のときの愛」とは、「初心」と言い換えても良いであろう。忘れることの出来ない「初心」を持った人は幸いである。そして、私にもそのような体験がある。
先日天に召された姉は、私を教会に連れて行ってくれた恩人であった。もっとも、その前に私は聖書の言葉と出会っていた。戦後の混乱の中で、ただ一人日本に残って家族の引き揚げを待ちわびていた頃、一人の従兄が、いわば「小耳に挟んだ」聖書の一句を受け売りして私に聞かせたことがある。「汝の敵を愛せよ」という言葉だった。私は衝撃を受け、感動し、このような言葉についてもっと深く知りたいと思ったが、どこに行けばいいのか見当もつかず、徒らに時を過ごしていた。
そうこうする内に、旧・満州にいた母と姉弟たちが命からがら帰国し、同じ頃、南京で抑留されていた父も何とか無事に引き揚げてきた。いろいろあったが結局八戸に父の職場が見つかって転居し、やや落ち着きを取り戻した頃、日曜日になると姉が二、三時間姿を消すのである。帰って来ると、どこか懐かしいような感じのする歌を口ずさむ。「姉さん、どこに行っているの?」と聞くと、「お父さんたちには内緒よ」、と釘をさした上で、「実は教会に行っているの」と教えてくれた。探しあぐねていた道が思いがけず見つかった!私は直ぐ、「僕も連れていってくれ」と頼み込んで、次の日曜日には一緒に礼拝に出席した。
牧師のいない、みすぼらしい教会で、僅かばかりの信者が集まって細々と礼拝をしていたが、私は、「ああ、ここで聖書の言葉について聞くことが出来る」と思って嬉しかった。教会の貧しさも、ほとんど気にならなかった。1947年のことである。
やがてシベリヤ帰りの牧師が赴任してきて、一生懸命に聖書の話をしてくれた。乾いた土が雨を吸い込むように、私は彼の話を熱心に聞いた。そして、その年のクリスマスに、姉と一緒に洗礼を受けた。ガチガチに凍り付いた洗礼盤の氷をこすって、牧師は私の額に三度水をつけてくれた。
その頃のことを、50年以上もたった今になっても、私は時々思い出す。それが私の「若いときの真心」であり、「初心」だ。それを思い起こす時、私は心が熱くなる。
さて、エレミヤはここで、エルサレムに住むユダヤ民族に向かって語っている。個人にとっても「初心忘るべからず」ということが大切であるように、民族にも忘れてはならない「初心」があるというのである。
「荒れ野での従順」(2)とか、「主は…わたしたちをエジプトの地から上らせ、あの荒野、荒涼とした、穴だらけの地、乾ききった、暗黒の地、だれひとりそこを通らず、人の住まない地に導かれた」(6)とあるが、これは出エジプトの旅のことである。エジプトで奴隷だったユダヤ民族は、モーセの指導の下に圧政から解放されてエジプトを脱出し、40年間砂漠の旅を続けた後、約束の土地カナンに入る。「荒れ野での従順」とは、「エジプトから解放され、荒れ野の旅を始めた」という大局的な事実を指している。これが民族の初心である。
その後のユダヤ民族の歴史は、彼らがしばしば神に背き、この初心から逸れていったことを示している。出エジプトの旅の最初から、既にこの逸脱は始まっていた。エレミヤはこの点をつく。4-6節。この逸脱は、一般民衆だけではない。祭司・律法を教える人たち・指導者たち・預言者たちにおいても見られた。8節。
それ故に、エレミヤは「初心に返れ」と語りかける。「あなたの若いときの真心、花嫁のときの愛」、すなわち、神の愛によって奴隷の縄目から解放され、荒れ野の旅の40年間、あらゆる苦難の中で守られたという原点に立ち返れ。イスラエル民族にとって、これこそが忘れてはならない「初心」であった。
では、日本という国にとってそれは何か。
例えば有数の知日派である韓国の池明観氏は、日本は7世紀頃の在り方に初心を見出すべきだ、と提唱したことがある。――その頃中国では長安を都とする統一政権(唐王朝)が確立して律令制度が整い、政治・文化が世界で最高の発展を遂げ、戦争がなくなり、その上、中国・朝鮮・日本の間に仏教による共通の価値観が根付き、盛んな文化交流が行われて、東シナ海はあたかも東アジアの内海のような観を呈した。この「唐の平和」を今こそ再現すべきだ、と彼は言う。優れた見解と言わねばならない。
しかし私は、現代の日本にとっての初心とは、やはり「敗戦」だと思う。欧米先進国に「追いつけ追い越せ」でやってきた明治以来の日本の歩みが、アジア諸国を苦しませる結果になって遂に破綻したということ。このことを深く反省させられたことが戦後の日本の原点であり、我々にとっての「初心」なのではないか。この「若いときの真心」を忘れてはならない。
He is a cross pendant.
He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel
Bible Verses About Welcoming ImmigrantsEmbracing the StrangerAs we journey through life, we often encounter individuals who are not of our nationality......
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