「柔和な人たちは幸いだ」

ここで引用される聖書の著作権は日本聖書協会に属します

6月14日にピョンヤンで歴史的な首脳会談が行われてから、韓国と北朝鮮の間で何度かの実務協議が重ねられ、もう後戻り出来ないところまで来た。鳴り物入りで開催された「沖縄サミット」が形式的な会議に終始したのに比べると、東北アジアに新しい緊張緩和の時代が来たことを予感させる。先ずこのことを感謝したい。

この前進の原動力となったものは何だったのか。さまざまな要因があって決して簡単には言えないが、金大統領の「太陽(包容)政策」が決定的に重要な役割を果たしたことだけは確かだ。そして、それは彼の信仰から来ているのだろう。

1998年10月に、彼が大統領就任後初の公式訪問で来日した時、日本のキリスト教界は挙げて夫妻を歓迎し、「お迎えする会」を催した。むろん、大統領がカトリック、夫人がプロテスタントの熱心なキリスト者であるから、というだけの表面的な理由ではない。夫妻がかくも歓迎されたことの背景には、大統領夫妻が70年代以降、一貫して韓国の軍事独裁政権に抵抗する「民主化闘争」の中心にいたということ、そして日本にも、アメリカやカナダ、あるいはドイツの教会や市民団体と連帯してこの戦いを支援する国際的なネットワークが作られていたという事情がある。

残念ながら大統領はこの「お迎えする会」には来られなかったが、代わりに李姫鎬(イ・ヒホ)夫人が来て挨拶した。そして、会は夫妻を迎えるのに最も相応しい仕方で始まった。「山上の説教」冒頭の個所(マタイ5,3-12)が朗読されたのである。

朗読したのは、夫妻の長年の知己である社民党党首・土井たか子さんだった。それは、夫妻のことだけではなく、聖書の内容も熟知している人でなければとても出来ないような心のこもった朗読で、私は魂を揺さぶられた。それに、このイエスの言葉は、金大統領の政治信条を支える根拠そのものではないか。

「柔和な人たちは幸いである」(5)と言われている。

この「柔和」とは、単に表情や人柄の問題ではない。「柔和な人たち」に当たるギリシャ語の「ホイ・プラエイス」を、あるドイツの神学者は「力を使わない(マハトロース)人たち」と翻訳したが、これは、意味から言えば全く正しいのである。

我々はしばしば、問題を解決するのには「力」だけが有効だと考えがちだ。親が子供に言うことを聞かせようとする時、先ずドスの利いた声で、もしくは金切り声を張り上げて威嚇し、それでも効果がないと、手で叩くなど「腕力」に訴える。教師もそれと似たやり方をする。政治家は、自分の支持基盤を固めたい時は、「金の力」を振り回す。だから札束を「実弾」と呼ぶのだ。国家間に緊張が生じると、「武力」を裏付けに強い言葉で相手国を恫喝する。そのために常日頃から「軍備」増強を怠らない。これが「現実的な」やり方とされ、いわゆる「キリスト教国」においても常識だ。

だから「力を使わない(柔和な)人たちは幸いである。その人たちは地を受け継ぐ」というイエスの思想は、現実的な常識とは余りにかけ離れているために「理想主義的」として批判され、長い間まともに取り上げられることはなかった。

ところが今世紀に入ってから、「現実的政策」が行き詰まったことに人々は気づいた。それは、二度の世界大戦も、アウシュヴィッツも、広島・長崎の原爆も、環境破壊も防ぐことが出来なかったからである。

 それに反して、例えばガンジーは、「山上の説教」の非暴力思想を取り入れて「インド独立運動」を成功に導いた。この事実に衝撃を受けたキング牧師は、「黒人解放運動」に非暴力の方法を採用し、これまた成功した。10年前の東独の変革に際してもそうだ。こうして、少なくとも物を考える人々は「山上の説教」の真理性を見直すようになった。本当に世界の平和を望む人は、この事実をぜひ知らなければならない。

「非現実的」と批判されて来た「山上の説教」が、これまでの「現実的な力の政策」で達成できなかった成果を生み出しつつある。そしてこのことは、今、この東北アジアの一角でも、金大統領の「太陽政策」によって証明されようとしている。

さて、イエスはさらに言う。「あなたが祭壇に供え物を献げようとし、兄弟が自分に反感を持っているのをそこで思い出したなら、その供え物を祭壇の前に置き、まず行って兄弟と仲直りをし、それから帰って来て、供え物を献げなさい」(23-24)。

ここでは「供え物を献げる」という宗教的な行為よりも、「兄弟と仲直りをする」という日常の具体的な和解の行為の方に優先順位が与えられている。むろん、宗教的な行為が無視されているわけではない。しかし具体的に和解の行為がなされなければ、宗教的行為も空しい。まず和解をし、「それから帰って来て、供え物を献げなさい」。

さて、「まず」という言葉には「優先順位」ということ以外に、もう一つ重要な意味がある。すなわち、相手の出方を見てからというのではなく、「相手よりも先に」こちらが和解の手を差し伸べる、ということだ。これがイエスの教えの核心である。

いわゆる「現実的な」政治家は、絶えず「危険な仮想敵国」を想定して(悪いのは常に相手である!)その出方を窺う。「相手がミサイルを撃ち込んできたらどうするか」。この脅威に対抗するためには、例えば「戦域防衛ミサイル」が必要だ、という類いの議論になる。これが相手の警戒心をさらに煽るということを考えようとしない。これではお互いの不信が助長されるばかりだ。こうして、愚かな「軍拡競争」の悪循環が始まる。一旦始まった悪循環を切断することは不可能に近い。

イエスの教えは、先手を取って相手の疑念を晴らし、信頼関係を作り出すべきことを教えている。金大統領の「太陽政策」は、この教えの勇気ある実践だ。その勇気は、神の歴史支配に対する信仰と歴史的洞察から来ているのであろう。



The Cross Pendant

He is a cross pendant.
He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel

Buy Now

bible verses about welcoming immigrants

Bible Verses About Welcoming ImmigrantsEmbracing the StrangerAs we journey through life, we often encounter individuals who are not of our nationality......

Blog
About Us
Message
Site Map

Who We AreWhat We EelieveWhat We Do

Terms of UsePrivacy Notice

2025 by iamachristian.org,Inc All rights reserved.

Home
Gospel
Question
Blog
Help