聖書は、パウロがローマ人へ手紙を書いた時、アクラとプリスキラがローマにいたことを示しています。(ローマ16:3)そして、皇帝クラウディスがユダヤ人にローマから退去するようにと言う命令を出したので、アクラとプリスキラが、ローマから出たと述べています。(使徒18::2)ローマの皇帝はカリグラが西暦37‐41年、クラウディウスが西暦41‐54年支配します。その後にクリスチャンに対する迫害で有名なネロが続きます。(西暦54‐68年)
アクラとプリスキラが、上なる権威のクラウディウスの命令に反して、またネロの迫害が激しい時に、ローマに戻ったとは考えられません。ですから、パウロは、ローマ人への手紙をおそらくカリグラか、クラウディスの治世中に書いたのではないかと思います。
地図の左上がローマ
サン・ピエトロ大聖堂・ローマの北西バチカン市国のカトリックの総本山
パウロはコリントに会衆を設立しました。パウロは手紙の中でその中で行われていた性の不道徳について語っています。(コリント第一5:1)コリントは、ギリシャのコリントス地峡に位置する都市で、古代ギリシアにおいてアテナイやスパルタと並ぶ主要な都市国家(ポリス)のひとつでした。古代ローマ時代には属州アカイアの州都でした。(コリント第二1:1)アクロポリス(古代ギリシアのポリスのシンボルである小高い丘)には遺跡が残っています。現在のコリントの市街地は19世紀半ばに新たに建設されたものです。
コリントの遺跡
このように、パウロが手紙を書き送ったイタリアのローマ、ギリシャのコリントが一世紀に実在した場所であり、現在でも残っていることが分かります。新約聖書にのせられている事柄は、実際にあった場所で起きた実際の状況であったことが、分かります。一世紀に書かれたパウロの手紙は、現代のクリスチャンが真剣に考慮するに価します。
現地に旅行したいと思われる方は、現地の治安状況を十分確認してから行かれることをお勧めします。
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