「主の祈り」を祈る(5)

聖書に出てくる用語、クリスチャンが使う用語を説明しています。 ヘブル的視点で解説されていますので、すでにクリスチャン歴が長い方にも新しい発見があるかもしれません。

(シリーズ過去記事 1 2 3 4)

天にまします我らの父よ。
ねがわくは御名をあがめさせたまえ。
御国を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、
地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を、今日も与えたまえ。
我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく、
我らの罪をもゆるしたまえ。
我らをこころみにあわせず、
悪より救いいだしたまえ。
国とちからと栄えとは、
限りなくなんじのものなればなり。
アーメン。

「ねがわくは御名をあがめさせたまえ。」

第2回の投稿で指摘したように、主の祈りに含まれる祈りには、優先順位があり、私たちはイエスが弟子たちに教えられた順番で祈っていく必要があります。その意味で、天におられる父なる神に対する呼びかけに続く「ねがわくは御名をあがめさせたまえ。」という祈りは、クリスチャンが祈るべき最も重要な祈りであると言うことができます。

私たちが祈るべき最優先事項は、自分の願いが叶えられたり、自分の必要が満たされることではありません。それは神の御名があがめられることです。古代世界では、人物の名前はその人を他人から区別する単なる記号ではなく、その人の存在そのものを表す非常に大切なものでした。したがって、神の「御名」をみだりに口にすることは十戒でも禁じられています(出エジプト20章7節)。ですから、「神の御名」は「神ご自身」と同義と考えてよいと思います。

ところで、文語訳の 「御名をあがめさせたまえ」という表現を、「私たちはあなたの御名をあがめます」「あがめさせてください」というニュアンスでとらえてしまう人もいるかも知れませんが、ここは祈り手であるクリスチャンだけが御名をあがめることだけを言っているのではありません。現代語訳の聖書では、マタイ6章9節後半を「御名が崇められますように。」(新共同訳)、「御名があがめられますように。」(口語訳・新改訳)と訳していますが、ギリシア語原文を直訳すると「あなたの御名が聖なるものとされますように」となります。

ここでは三人称命令形という、日本語にも英語にもない動詞の形が使われています。つまり祈っている私たち(一人称)でも祈られている神(二人称)でもない第三者の誰かに対して、神が聖なるお方であることを認め、その御名をあがめるように命令しているのが、この祈りのニュアンスです。(もちろん、この祈り全体は父なる神に向けられていますので、神がそのように導いてくださるように、という願いが込められた祈りであるとも言えます)。

では誰に対して神の御名をあがめるように命じているのでしょうか?その対象は明示されていませんが、最も自然な解釈は「すべて」ということではないかと思います。すべての人間、天使だけでなく、すべての被造物に対しても、神の御名をあがめるようにと命令しているのがこの祈りなのです。これは決して突飛な考えではなく、旧約聖書にもその前例を見出すことができます。詩篇148篇はその典型といえるでしょう。

1  主をほめたたえよ。もろもろの天から主をほめたたえよ。もろもろの高き所で主をほめたたえよ。
2  その天使よ、みな主をほめたたえよ。その万軍よ、みな主をほめたたえよ。
3  日よ、月よ、主をほめたたえよ。輝く星よ、みな主をほめたたえよ。
4  いと高き天よ、天の上にある水よ、主をほめたたえよ。
5  これらのものに主のみ名をほめたたえさせよ、これらは主が命じられると造られたからである。
6  主はこれらをとこしえに堅く定め、越えることのできないその境を定められた。
7  海の獣よ、すべての淵よ、地から主をほめたたえよ。
8  火よ、あられよ、雪よ、霜よ、み言葉を行うあらしよ、
9  もろもろの山、すべての丘、実を結ぶ木、すべての香柏よ、
10  野の獣、すべての家畜、這うもの、翼ある鳥よ、
11  地の王たち、すべての民、君たち、地のすべてのつかさよ、
12  若い男子、若い女子、老いた人と幼い者よ、
13  彼らをして主のみ名をほめたたえさせよ。そのみ名は高く、たぐいなく、その栄光は地と天の上にあるからである。
14  主はその民のために一つの角をあげられた。これはすべての聖徒のほめたたえるもの、主に近いイスラエルの人々のほめたたえるものである。主をほめたたえよ。

すべての被造物が創造主である神をあがめるようになることこそ、聖書の指し示す究極の目的です。この終末的なビジョンが実現するように祈ることが、クリスチャンの最重要な祈りなのです。「すべての存在」には、私たちに現在敵対している人々も含まれます。神への信仰と服従から最も遠いように見える人々も含まれます。そのような人々にも、天地の創造主である唯一の神をあがめるように呼びかけているのが「御名をあがめさせたまえ」という祈りであると思います。

現代のクリスチャンは、この祈りもキリスト論的視点から祈ることができます。父なる神の御名をあがめることは、すべての主であり、父の右の座にあって支配しておられるキリストをあがめることでもあります。たとえば黙示録においては、小羊キリストが父なる神とともに礼拝されている様子が描かれています。

11  さらに見ていると、御座と生き物と長老たちとのまわりに、多くの御使たちの声が上がるのを聞いた。その数は万の幾万倍、千の幾千倍もあって、 12  大声で叫んでいた、「ほふられた小羊こそは、力と、富と、知恵と、勢いと、ほまれと、栄光と、さんびとを受けるにふさわしい」。 13  またわたしは、天と地、地の下と海の中にあるすべての造られたもの、そして、それらの中にあるすべてのものの言う声を聞いた、「御座にいますかたと小羊とに、さんびと、ほまれと、栄光と、権力とが、世々限りなくあるように」。 14  四つの生き物はアァメンと唱え、長老たちはひれ伏して礼拝した。(黙示録5章11-14節)

これはまさに私たちが主の祈りを祈る時に共有すべきビジョンでもあると思います。

(続く)

 

 

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