「終わりから今を生きる人」

ここで引用される聖書の著作権は日本聖書協会に属します

 デンマークの思想家、ゼーレン キエルケゴールは青年時代に「人生の存在論的ショック」、を体験した人として知られています。彼は父親の日記から自分の誕生の秘密を知ったあと、そのショックによって、婚約中のレギーネ オルセンとの関係を一方的に破棄して、ドイツへ遊学し、神の前に独り立つ、単独者としての実存的信仰に目覚めます。私に、「人生の存在論的ショック」と呼べるものがあったかどうかを振り返ると、確かにあったように思います。

 それは、1954年6月17日の事でした。この日を境にして、私は今までの生き方を決定的に改めなければ済まない出来事を体験したからです。そして私が高校3年生として学校に復帰出来たのは、2年あとの事でした。当時、若い人達に特に流行っていた結核におかされ、6月17日の夕方、自宅で大喀血を致しました。呼吸困難をきたして、そのあとも何回か喀血する度に、本当に死を覚悟した状態がおよそ半年続いたと思います。牧師でいらした赤岩栄先生をはじめ、教会員の方々が病床を訪ねて下さいました。何よりも結核予防会の医師であられた同じ教会員の南雲清先生が主治医となって下さって、一命を止める事ができた、と私は今でもそう思っています。それまでは、上原教会は両親の教会であるとしか、見れなかった私が、このショックを境にして、自分の教会であると告白できるようになり、私は1955年4月10日の復活節に信仰告白を致しました。こうして6月17日は特別な日になっているのであります。

 病床で読んだ本に小林秀雄の『モオツアルト』がありました。この本は私の病状が少し良くなった頃、赤岩先生が寝ながら本が読める書見器と一緒に貸して下さったように覚えています。天井をみて一日中寝ていた時に、ラジオから流れる音楽は唯一の慰めでした。中でもモーツァルトの作品が深い慰めになっていて、その事を私は先生に話したのが思わぬ恩恵を頂く事になったのです。モーツァルトをひと言で表するならば、その作品も人物も二重性にある、と小林秀雄が評している処に、私は痛く同感したのを覚えています。作品の何処にも流れている「悲しみ」、しかしそれは単なる悲しみではなくて、明るい世界が二重にみえている音楽。明るさの中にも、哀調が漂っている。その原因の一つを彼は、モーツァルトが6歳から父親に連れられてヨーロッパ中を旅して歩き、旅そのものがモーツァルトの人生であったために、安住の地を持てないままに、明日がどうなるか分からない生活を幼年期から強いられていたからではないか、と言っていた所にも共感をおぽえました。明日が無いかもしれない自分の境遇、その中で明るく生きたり、振る舞うモーツァルトは、何故それが出来たのか、病床にあって彼の音楽ばかりでなく、モーツァルトその人に小林秀雄の本を通して大変関心を持ちました。

 先程、代々木上原教会の仮設聖歌隊によって、捧げて頂いた、「アヴェ ヴェルム コルプス」は1791年6月17日に作曲されました。私が存在論的ショックを体験した日より143年前の6月17日のことでした。この作品をモーツァルトは彼の妻コンスタンツェが体調を崩して療養をしていたバーデンの教会でお世話になった聖歌隊長アントン シュトルを訪ねて、妻を迎えに行く時に献呈した、モーツァルトにとっては本当に短い、小品に過ぎなかった事でしょう。しかし、今では、長さや、規模に関係なく宗教音楽の最高峰に輝く音楽になっています。アヴェ ヴェルム コルプスの素晴らしさは、合唱の中に溶け込んでその一員となって歌うときに更に感銘深く、味わうことが出来ると思います。私はその事を1994年2月27日、高井戸教会聖歌隊の一員として礼拝後の練習で、涙を抑えることが出来ない程の感動を覚えました。わずか46小節の中にモーツァルトの全てと、十字架の神髄が収められていたからです。彼は既に健康を害し、魔笛の作曲を手掛けながら、死への旅支度をしている様子が歌の中から読み取れます。悲しみに胸がつまるような旋律があるかと思えば、そうした世界を超越して、天の恵みに与かっている作者の心境が2重線になって歌われているのを、発見することが出来たように思います。歌詞は「人の罪、身に負いて十字架に尽きぬ」の部分で、女声を男声が跡付けながら、心を奮い立たせるように進行し、「御からだ、裂かれて血潮は流れぬ」では長調から短調に転じながら死の悲しみに沈み込んで行くと共に、敬虔な心が浮かび上がって来るのを覚えます。その心は祈りとなって最後の段落へ歌われて行くのですが、原 恵先生の名訳「かしこみ受くれば、今ぞくすしき、御糧を給え」では、とても良い結びなのですが、モーツァルトが一番強調したかった「死への備え」、あるいは「死を乗り越える御糧」が訳されていないのが残念に思います。そこで、この部分だけは、せめてこう訳しておきたいと思いました。「どうか、私たちに対して、死の試練の先駆けとなって下さいますように」

 “Esto nobis praegusutatum in mortis examine."

 

 モーツァルトがアヴェ ヴェルム コルプスを書き上げた直後、7月のある日、見知らぬ男からレクイエム(死者のためのミサ曲)の作曲を求められた時、モーツァルトは自分の死を悟ります。レクイエムが未完に終わった事を思うと、彼はアヴェ ヴェルム コルプスをもって全てを完結させたと言えるように思います。それにしても死への備えをこれほど立派に作品に写し出すことの出来たモーツァルトは信仰について、かけがえのない師であります。

 私が彼のなかにそのような精神牲を見いだしたのは、先の病気に際して読んだ小林秀雄の「モオツアルト」にもよりますが、それ以前から現在に至るまで、聞いたり歌ったり読んだりして来たモーツァルトと、その作品との出会いによっていると思います。中でも、モーツァルトが母親を伴ってヨーロッパを演奏旅行してる最中、一緒に旅をしていたその母親が1778年7月3日、パリのホテルで病に倒れて亡くなった特、モーツァルトが遺体の隣で父親と友人の神父に宛てた手紙は、私の人生観を変える程のものでした。父と姉に卦報のショックを和らげようとして、神父だけに事実を知らせて、心め卒準備を依頼したモーツァルトの配慮の仕方、そして家には通常の挨拶の後で次のように書いています。「お母さんの加減が大変わるいのです。お母さんは放血して、この2、3日下痢と頭痛で苦しんでいます。もう数日間、昼も夜も、恐れと望みの間にいますが、何事も神様の御旨におまかせして良くなってくれることを望んでいます。万事をわれわれの最善になるよう取り計らって下さる神様は、今度もそうなさるおつもりにちがいないと承知しているので、何事が起ころうとお任せしています。それに僕は一人の人間の命を与えたり奪ったりするのは、どんな医者にも人間にも出来ることじゃない、ただ神様だけがおできになる。一旦ときがきたならば、どんな手段を講じても役に立たず死を妨げるよりは死を早めるようになるのです。お母さんはまた元気になるかも知れません。もし神様さえそうお望みならば。僕は、力の限りを尽くして、愛するお母さんの健康と命をお祈りしてしまった後は、好んでそう考えて自分を慰めています。あなたや、お姉さんも僕と同じようになって下さることを望んでいます。」

 それから5日おいて事実を伝える言葉が実に素晴らしいのです。「僕は随分と苦しみ、泣きました。それでも全能の神は僕に恵みを下さいました。あの悲しい状態にあっても僕は三つのことで心を慰められました。つまり、僕が神の御旨に信頼をもって身を委ねたこと。神の許にあって今では僕らよりずっと幸福でいらっしゃるのだ、と考えること。そして第三に神様の思し召しがあれば僕らだってそうなれる。神の御心が全てを成し遂げたのです。」

 僅か22歳でモーツァルトはこのような心境に達していたのです。神童と呼ばれたのは、ただ、演奏や作曲ばかりではなかったように思います。僅か6歳から、旅の生活を強いられたモーツァルトはへブル書11章13節に記されているような生活を身をもって体験したのではなかったでしょうか。「地上では旅人であり寄留者であることを自ら言い表してきた。実際彼らが望んでいたのは、もっと良い天にある故郷であった。」聖書の言葉を裏付けるような事をモーツァルトは日記の中でこう書いています。「僕は毎晩ペットに就くとき、もしかすると僕は(まだ若いのに)明日はもう生きていないのかと考えるのです。この幸福を僕は毎日、創造主に感謝し、そして俳人たちの誰にも、心からそれを祈っているのです。死は(正しく考えれば)僕たちの生の本当の最終目標なのですから、僕は、この人間の真実で最良の友として数年来、死と非常に親しくなっています。ですから、終わりの日は僕にとっては、少しも恐ろしいと思わないどころか、むしろ大いに心を安らかにし、慰めてくれるものと考えているくらいです。そして、僕は死が我々の真の幸福を知るカギであることを教えてくれたことで、神に感謝しています。」

 本日の説教に「終わりから今を生きる人」と言う題をつけました。モーツァルトは確かにそういう人であったと思います。終わりが分かった時に、今を喜びに溢れ、感謝しながら、精一杯生きて行く。キリスト教信仰には、この題が表すような生き方があるのではないでしょうか。主の十字架を見つめて生きる、と言うことは、主の終わりから今を生きることを意味しています。新約聖書の最後に収められているヨハネの黙示録は、「終わりから今を生きる」メッセージに溢れた聖書です。本日取り上げた黙示録の21章は、白馬にまたがって来たイエス・キリストが新しい天と新しい地とを完成させて、神と人とを隔てていた幕が取り除かれ、救いが成就する日を描いている所であります。それは19章のハレルヤ コーラスと共に始まっています。“ハレルヤ、全能者であり、私たちの神である主(キリスト)が王になられた”(19章1節、6節)。ヨハネの黙示録がなかったら、へンデルのメサイアで歌われるハレルヤコーラスは恐らく生まれなかった事でしょう。そして、そのハレルヤ コーラスは救いが完成したこの21章の情景のなかでも歌われ続けているのです。これ程、麗しい終わりがあるでしょうか。終わりの所では、神が人と共に住み人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、私たちの日の涙をことごとく拭い取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。」黙示録の作者は麗しい終わりを目の当たりに見ながら語っている訳ではありません。それはこの書物の結びを見れば明らかです。22章20節で「以上全てを証しする方(イエス)が、言われる。「然り、わたしはすぐに来る。」それに合わせて会衆が歌います。「アーメン。主イエスよ、来て下さい。」著者がいる場所は、会衆が歌う側にあるのは良くお分かりの事と思います。未だ誰も終わりを見た人はおりません。しかしこのような救いの完成を遥かに望み見て、終わりから今を生きる人は死を恐れない。それは、喜びの時、救いが完成する時であるからです。そこでは、神と人との隔ての幕が消え、人は神の民となり、神は目の涙をことことくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。

そのような信仰に生きた人が、今を恐れず、喜びと感謝をもって今日一日の命を戴いた恵みとして大切にして生きる者となるのです。ヨハネの黙示録はそのような生き方を私たちに表している書物であります。唯、ダニエル書を含めて、私たちの聖書には載っていないのですが、ユダヤ教黙示文学(ダニエル書の他に、第四エズラ書、エノク書、バルク書、アダム黙示録)や、キリスト教黙示文学(ヨハネの黙示録の他に、パウロ黙示録、ヤコプ黙示録)が共通してもっている特徴について私たちは注意しなければなりません。これらの黙示文学はどれも、世の終わりを個人がそれぞれ迎える終わりで見るばかりでなく(死とは個人の終わりでありますが)、そういう終わりばかりでなく、宇宙世界万物が共通に迎える、まさに普遍的な世の終わりを想定しています。そこでは最後の審判があり、救われる人と、滅びに至る人とがはっきりと分けられてしまうのです。先程のヨハネ黙示録21章5節からはそのような審判に続く火と硫黄の燃える池が待っています。最後の審判の前に死んでしまっていた人も呼び出されて、そこで、第二の死が宣告されると考えられています。黙示文学を同僚の目で見れば、いずれも大変厳しい迫害と殉教死の迫るなかで記されたのです。そこでは、加害者に対する厳しい裁きが自分たちの現実を逆に写し出すような仕方で描かれています。火と硫黄の池は自分たちがローマ皇帝から受けていた迫害の有り様でした。それが今度は加害者たちに投げ返されているのです。黙示録を生み出した教会の厳しい状況は同情に値するのですが、私たちは福音書やパウロの言葉でこれを拭い取る必要を感じます。

「わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。あなたの天の父の子となるためである。天の父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせて下さるからである。(マタイ 5章44~45節)」「愛する人たち、自分で復讐せず、神め怒りに任せなさい。『復讐はわたしのすること、わたしが報復する』:申命記32章35節 と主は言われる。『あなたの敵が飢えていたら食べさせ、渇いていたら飲ませよ。そうすれば、燃える炭火を彼の頭に積むことになる。』:箴言25章21~22節   悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい」(ロマ書12章19~21節)

黙示文学を読む際にいま一つ注意すべきことは、天変地異、世情不安の中で、世の終わりを自分たちが勝手に決めてしまい、人々に不安と回心を迫るような布教の形態を黙示文学が取っている、と言うことです。先程お読みしたダニエル書にそれを見ることが出来ました。あと何日で、1290日で世の終わりが来ると云うのは、今の私たちには受け入れ難い内容です。ヨハネの黙示録でも20章にそうした特徴が現れています(悪の千年王国)。ノストラダムスの大予言を含めて、そう云う終わりは当たった試しがありません。大震災があったり、世紀末を迎えて、経済不況や世の中が騒然としいる時代には良く、こうした予言がもてはやされてきたのです。オウム真理教が好んで黙示録を悪用するのも、今の時代が良くない事を映し出しているのではないでしょうか。世の終わりを想定するだけでなく、実際に終わりを自分たちの手で捏造し(でっちあげ)、世の人々をその中に引きずり込もうとするオウムの反社会性は言語道断と云うほかありません。黙示録を表した人々とその教会は、権力に痛め付けられていた弱い人々でしたから、幻の中で悪が滅び、善が勝利する終わりの日を夢のなかで描くのが精一杯の所でした。 しかしここでも福音書のイエスやパウロによって、黙示思想の問題点を拭い去っておかなければなりません。「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも、子も知らない。父だけがご存じである。気をつけて目を覚ましていなさい。その時がいつなのか、あなたがたには分からないからである。」マルコ福音書13章32~33節

「神は御心のままに、それぞれに体を与え、一つ一つの種にそれぞれ体をお与えになります。

また、天上の体と地上の体があります。しかし、天上の体の輝きと地上の体の輝きとは異なっています。死者の復活もこれと同じです。蒔かれるときは朽ちるものでも、朽ちないものに復活し、蒔かれる時は卑しいものでも、輝かしいものに復活し、蒔かれる時は弱いものでも、力強いものに復活するのです。つまり、自然の命の体が蒔かれて、霊の体が復活するのです。自然の命の体があるのですから、霊の体もある訳です。」コリントの信徒への手紙Ⅰ 15章38~44節

宇宙万物、世の終わりは必ずやって来るでしょう。しかしそれが何時であるかは神のみがご存じの領域です。普遍的な終わりは、神の御手に委ねて、むしろ、個人的な終わりである死について正しく捕らえておかなければなりません。イエスもパウロも主眼点は個人の終わりである死を見つめて、今を生きる道を選んでいます。死は勝利に飲まれてしまったのです。肉の体が終わっても霊の体は永遠に生き続けます。そのように信じて今を生きる人々には肉の体と共に霊の体が今ここで生き始めているのです。

ルドルフ プルトマンはこう述べています(晩年に赤岩先生は説教で実に良くプルトマンを挙げていたのが懐かしくおもだされます)。

「あなたのまわりを見回して普遍史を覗き込んではならない。あなたは自分自身の個人的な歴史を見つめなければならない。歴史の意味は常にあなたの現在(今)にあるのであって、あなたはそれを外から見物人のように見ることは出来ない。ただ、あなたの責任ある決断においてのみ、見なければならない。終末論的な瞬間である(死の)可能性があらゆる瞬間の中に眠っている。あなたはそれを目覚めさせ、そこから生きなければならない。」

明日がないかも知れないと覚悟しながら床についたモーツァルトは朝、目が覚めて、喜びと感謝をもって今あることの幸せをかみしめていたと云う事ですが、そのような姿の中に「終わりから今を生きる人」の恵みに満ちた信仰が現れているのを見いだします。

本日の説教を閉じるにあたって、ヨハネ福音書14章1節以下を結びの言葉と致します。

「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、私をも信じなさい。わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったではないか。私は道であり、真理であり、命である。今から、あなたがたは父を知る。いや、既に父を見ている。」



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Emmanuel

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