十戒は二枚の石の板に刻まれた。「第一の板」(1-4戒)は人間の神に対する関係を、「第二の板」は人間同士の関係を教えている。そして、「第二の板」の最初が第五戒である。「あなたの父母を敬え。そうすればあなたは、あなたの神、主が与えられる土地に長く生きることができる」(出エジプト記20,12;申命記 5,16)。
では、「父母を敬う」とはどういうことか?
『ハイデルベルク信仰問答』(問104)は、両親に対して「あらゆる敬意と愛と誠実とを示し…ふさわしい従順をもって服従する」ことだと説明している。これは一応納得できるが、十分とは言えない。最近の研究によると、この戒めは本来、信仰者個人の心がけだけではなく、社会全体に関わる問題を示すものであったらしい。
つまり、古代イスラエルでは氏族単位で生活が営まれており、通常、年老いた両親は成長した息子に土地を相続させてそこで一緒に暮らしていた。こうした生活の中では、年老いた両親との関係でいろいろな問題が生じたことは当然である。どんな社会でも、それを構成しているのが人間である以上、理想的にうまく行くとは限らない。古代イスラエル社会でも、年老いた両親が常に重んじられていたわけではなく、些細なことから関係がこじれることがあったし、カッとなれば両親に乱暴な言葉を投げつけたり、時には暴力を加えたりすることもあった。
その具体的な例が、例えば箴言に多く見出される。例えば、「父に暴力を振るい、母を追い出す者は辱めと嘲りをもたらす」(19,26)。「父母を呪う者の…灯は消える」(20,20)。「母が年老いても侮ってはならない」(23,22)。「父母のものをかすめて『これは罪ではない』と言う者は、滅ぼそうとたくらむ者の仲間だ」(28,24)。「父を呪い、母を祝福しない世代…それは貧しい人を食らい尽くして土地を奪う」(30,11) 等々。先に読んだマタイ福音書15,1-9の言葉も、その系列に属するであろう。
同じことは法的な規定についても言える。「自分の父あるいは母を打つ者は、必ず死刑に処せられる」(出エジプト記21,15)、「自分の父あるいは母を呪う者は、必ず死刑に処せられる」(同21,17)。こういった厳しい法律も社会的な問題意識を反映する。
こうした訓戒が極めて具体的に語られたこと自体、年老いた父母との関係で生じる軋轢が既に「社会問題化して」いたことを示すものだ。だとすれば、第五戒は単に「両親を重んぜよ」という個人的な倫理には留まらず、共同体を守るための戒め、いわば社会倫理的な戒めであったと言うべきであろう。
これに関連して次に、「そうすればあなたは、あなたの神、主が与えられる土地に長く生きることができる」という約束に注目したい。カルヴァンはこれを、文字通り「神は長命を賜う」(『ジュネーブ教会信仰問答』問188)と解釈したが、これはこれまで考えてきたことからも明らかなように、いささか個人的な理解であって、これだけでは十分とは言えないだろう。問題は「孝行な子は長生きする」といったレベルのことではない。もっと社会的な側面に目を留めるべきだ。
イスラエルの共同体は、常に内外のさまざまな困難に直面していた。その中で、どうすれば「長く生きる」ことが出来るか?イスラエルの最大の関心事はこのことだった。そして、その答えの一つが、「年老いて働けなくなった両親を軽んじたりしない共同体こそ長く生きることが出来る」というものだったのである。この人たちの愛・経験・知恵・人生への洞察こそ、共同体を深い所で支えているからである。第五戒の意味はここにある。
「姨捨」の伝説を思い出される方もあるかもしれない。昔の貧しい山村で、もう働けなくなった年寄りは「穀つぶし」として山に捨てられた。だが、母親を捨てるために背負って山に登った息子の危急を救ったのは、その母親の愛と経験と知恵だった。この話は、年老いた人々を軽んじない社会こそ健全な社会であるという真理を語っている。これは、現代の私たちも注意深く聞くべき教訓ではないか。
多分、愛も経験も知恵も洞察も持たない、その意味では「尊敬に値しない両親」もいたであろう。この点では昔も今も変わらない。しかし、問題は個々のケースではなく原則である。イスラエルでは、両親は神から与えられた戒めを「子供たちに繰り返し教える」(申命記6,6以下)という義務を負っていた。そのことによって両親は、そもそも「人間らしい暮らしは何によって成り立つのか」という人間社会の根拠を示す役割を事実として担っていたのである。ここに、両親の権威がある。
D・ボンヘッファーは、この第五戒を現代的に解釈してこう述べている。「教会は、両親の権威の崩壊に対して責任がある」(『現代キリスト教倫理』71頁)。これは、ナチス支配下のドイツで実際に起こったことだ。人間の価値がもっぱら知的・身体的能力で判定されるようになった結果、人々は「老人を軽蔑し、青年を祭り上げた」。ヒトラー・ユーゲントが肩で風を切る風潮が起こり、「教会は、青年と、従ってまた未来を失うことを恐れて、これに反対しなかった」。こうして両親の権威が崩壊し、その結果、「無数の家庭が破壊された」と彼は告白している。
最近わが国でも、「家庭の崩壊」に関する議論がかまびすしい。多くの場合、「父親の権威」の再生が叫ばれるが、親の権威などというものは、人間が創り出せるものではない。そうではなく、親自身がその下にあるところの最も根源的な権威、つまり、神の権威に注目することが何よりも大切なのではないか。
He is a cross pendant.
He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel
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