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人生絵図のコントラスト

人生絵図のコントラスト 今日は、クリスチャンの人生には、祝福と苦難の両方が素晴らしい人生絵図を描くためのコントラストとして大切であるということを考えてみました。つまり、祝福を経験すると同時に、苦難をも経験することが、より良い人生を築き上げる道だということです。祝福だけが長く続けば、私たちの信仰は生ぬるくなります。かといって苦難ばかりが続けば、私たちは人生に失望し、挫折してしまいます。ですから、この両方が、豊かな人生には不可欠であるということです。私はいつも最高の人生を生きているという思いに満たされています。しかし、それは、何の問題もないということではありません。おそらく私は、多くの人よりもたくさんの問題を抱えているかも知れません。特にラスベガスという特殊な町での牧会の働きには、頭を悩まし、心

聖書の終末預言(その6)

聖書の終末預言(その6)ヨーロッパ再統一の兆し 新約聖書の最後の書は「ヨハネの黙示録」と呼ばれるもので、終末に関する、特に患難時代に関する預言がその中心です。それによると、やがて世界は7年間の患難時代を迎えることになっています。またその7年間を挟むようにして、世界はキリストの空中再臨と地上再臨という驚くべき出来事を経験します。このヨハネの黙示録の解き明かしは、旧約聖書にある終末預言と照らし合わせることにより更に鮮明になりますが、特にダニエル書やエゼキエル書の終末預言は黙示録の解き明かしをする際に欠かすことのできないものです。これらの書物を合わせて見ることで、終末時代の全貌が明らかになるのです。 たとえば、ダニエル書の2章には、バビロンのネブカデネザル王の見た夢とダニエルによる夢の解き明しが

世界は大きく変わりつつある

世界は大きく変わりつつある 相変わらず、新型コロナの感染拡大が演出され、誇張される事態が続いています。その証拠に、その誇張報道の邪魔になる、キャピタルヒルで開催された10名ほどの勇気ある医療関係者たちによるPress ConferenceのYouTube動画が早くも削除されてしまいました。 Press Conferenceの概要は、まず新型コロナの予防薬があるとのことで、医者の一人は、「自分はこれまで350人の患者を診てきたが、この薬によって、一人も死亡者が出なかった。薬の名前は、ヒドロキシクロロキンだ」と言いました。トランプ大統領は、以前、この薬を使うように主張しましたが、反対政府によって危険物扱いにされ、アメリカでの使用が許可されませんでした。しかし、このPress Conference

感謝がもたらすもの」

『感謝がもたらすもの』昔、備前の富岡村に『ありがた与一兵衛』という人がいたそうです。朝起きると「おはよう」のかわりに、「ありがたい、ありがたい」と言います。何がそんなにありがたいのかというと、「朝起きて、家族の顔を見られてありがたい」のだそうです。またある時、小雨が降りだし急いで帰ろうと滑って転び、そこでもまた「ありがたい、ありがたい」。転んで擦りむいて一体何がありがたいのかとたずねると、「自分の落ち度で骨折してもよさそうなところを、ただの擦り傷ですんでありがたい」・・・。確かに、私たちは、感謝しようと思えば、どんな時にも感謝することはできるものです。水泳の練習中に、事故で首から下が付随になられた、ジョニー・エレクソン・タダというクリスチャンがいらっしゃいます。素晴らしい信仰の持ち主で、アメ

人間は羊に似ている」

今日は、”人間は羊に似ている”ということを考えてみました。聖書は人間を羊に例えていますが、人間と羊とは多くの共通点があります。たとえば、羊は生まれつき道に迷う傾向がありますが、人間もそうです。預言者イザヤはこう言っています。「われわれはみな羊のように迷って、おのおの自分の道に向かって行った。」(イザヤ53:) これは、私たちが神の御心を知らない理由です。実際のところ、ほとんどの場合において、私たちは神や他の人の言う事に従いたくないのです。私たちはみな自分の思う道を行きたがります。私たちは、自分に指示が必要であるとか、導きが必要であるなどとは認めたくないのです。 羊に関するもう一つの特徴は、視力が弱いことです。彼らは遠い前方を見ることができません。彼らは崖に向かって歩いていても、それが分かりま

果たすべき責任

6 果たすべき責任 ローマ人への手紙1章14節は私に与えられた新年の聖句です。これまでにも何度か新年の聖句としてこの御言葉が与えられたことがありますが、今年もこの聖句が与えられ、この御言葉を前に掲げて召された時の思いを心に留めながら召しにふさわしく歩んで行きたいと願っています。 ここでパウロは、「私は、ギリシャ人にも未開人にも、知識のある人にも知識のない人にも、返さなければならない負債を負っている」と言っています。「返さなければならない負債を負っている」、この部分を口語訳聖書では、「果たすべき責任がある」と訳しています。 返すべき負債。果たすべき責任。一体なぜパウロは福音宣教の使命を『返すべき負債』『果たすべき責任』と言ったのでしょうか。その事を考えるときに必ずと言ってよいほど思い出す話があ

心の貧しい人は幸いである

心の貧しい人は幸いである  マタイの福音書の5-7章の部分は、「山上の説教」と呼ばれているところですが、主イエスの一回の教えとしては一番長いところで、主イエスもきっと心を注いで、神を信じる者の生き方についてお語りになったのだと思います。  1節を見ると、「この群衆を見て、イエスは山に登り、おすわりになると、・・・・」と書かれています。「山に登り」とは、静かな所で大切な教えを語ろうとされたことを、また、「おすわりになられた」のは、じっくりと教えるためであったことを暗示しているようです。 そして、開口一番に言われた言葉が、この「山上の説教」で最も有名な言葉である「心の貧しい人は幸いである」という言葉でした。 内村鑑三先生は、この最初の一言に山上の説教のすべてが凝縮されていると言われました。「心の

小さなものの価値」

今日は、“小さなものの価値”ということを考えてみました。Small is beautiful.(小なるものは美しい)という諺(ことわざ)がありますが、この諺は、小さなものが無視されやすい世の中にあって、小さなものの価値を強調する言葉です。また、イギリスの詩人ウィリアム・ブレイクの詩の一節に、「一粒の砂の中に世界を見、一本の野生の花の中に天国を見る」というものがありますが、この句は、一粒の砂や一本の花は、それが何か他のものに役立つから価値があるというのではなく、それ自身がかけがえのない存在であり、そこには宇宙や神の意志が実現されているから価値があるという意味です。また、こんな諺もあります。Great oaks from little acorns grow.(大きなカシの木も小さなドングリから

失敗というものはない」

今日は、‘失敗というものはない’ということについて考えてみました。皆さんは‘失敗’という言葉を聞いて何をイメージされますか? 敗北、絶望、悲劇、後悔、反省、その類でしょうか? それとも、‘失敗’に対して、もっと積極的なイメージを描く方もおられるでしょうか? 実際、失敗の捉え方は人によって様々です。人生において、上手くいく人、いかない人の違いがいくつかありますが、そのひとつが失敗の捉え方ではないでしょうか。一万回の実験の失敗(?)の末に明るく寿命の長い白熱電球を完成させたトーマス・エジソンは、「私は失敗したことはない。ただ一万通りの上手くいかない方法を見つけただけだ」と言いました。つまり諦めない限り、失敗は存在しないのであり、諦めて、そこでやめてしまうときに初めて、その事が失敗になるのだという

第二コリント4:8-9の黙想

『第二コリント4:8-9の黙想』「私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません。 迫害されていますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。」(2コリント4:8-9) 『病床は人生最大の学校である』という言葉があります。また、『寒さに震えた者ほど、太陽の暖かさを知る。人生の悩みをくぐった者ほど、生命の尊さを知る』とは、アメリカの詩人ホイットマンの言葉です。辛い病床生活の背後に神様の摂理があるということは確かですが、だからと言って、その状況を喜んで受け入れるというのは簡単ではありません。重い病気にかかったりすると、人生が暗いものに思われてきて、何かにつけ悲観的になりやすいものです。 人間は、元気で調子がいい

 箴言5:21の黙想

箴言5:21の黙想 「人の道は主の御目の前にあり、主はその道筋のすべてに心を向けてくださる。」(箴言5:21) 箴言5章21節には、神が私たちの人生を見守っておられるという深い真理が込められています。この「見守り」という言葉は、私たちの行動を監視するという意味ではなく、神が愛をもって常に関心を払っていてくださるということです。どんな時でも、私たちの行いや歩みは神の御目の前にあるという意識は、私たちの日々の選択や行動において重要な指針となるものです。 ある牧師のこんな証しを聞いたことがあります。その牧師が若い頃、彼の父親がこう言いました。「誰も見ていないときにこそ、本当の自分が現れるのだよ。」 彼はその言葉を胸に、若い時から正しい行いをすることを心がけてきましたが、あるとき、彼は誰にも見られ

世界最終戦争」

今日は、”世界最終戦争”について考えてみました。最近、いろいろな所で世界の終末が囁かれるようになりました。色んな人が色んな事を言います。しかし、それは聖書預言の中にある必ず実現する出来事なのです。ただ、その本当の内容はどれだけの人がご存知でしょうか?ところで、皆さんは”ハルマゲドン”という言葉をご存知ですか? これはもともと聖書の中に出てくる言葉ですが、聖書を知らない人々の間でも話題に上ることがあります。しかし、”ハルマゲドン”は、世間では必ずしも本来の意味で語られてはおらず、正しくは理解されていない場合がほとんどです。まず、”ハルマゲドン”とは、聖書のヨハネの黙示録に記された、世界最終戦争の起きる場所の名前です。以前に世間を騒がせた「ノストラダムスの大予言」に、1999年の七の月に恐怖の大

勝利の人生脚本」

『勝利の人生脚本』 アメリカの有名な心理学者エリック・バーンは、人は誰でも心の中に人生の脚本を持っており、自分の意識とは別に、その脚本にしたがって自分の人生を演じている、と言っています。  専門家によれば、誰でも、普通3歳から6歳の間に、その人の潜在意識の中に「人生脚本」を刻むと言われています。自分の人生がどのように進み、最後にはどうなるかという大まかな筋書きを自分で作ってしまっているというのです。  ただし、それは本人の顕在意識では自覚できないものなので、自分では全く分からない訳ですが、潜在意識の中では全てを知っていて、その脚本にしたがって生きているというのです。 人生の重大な事柄、たとえば、進学や就職、結婚や離婚、病気や試練、そういうものの中で、その人がそれらの事にどういう対応をしていき

人には負うべき重荷がある」

           今日は、”人には負うべき重荷がある”ということを考えてみました。新約聖書のガラテヤ書章5節に、「人にはおのおの、負うべき自分自身の重荷があるのです」という一節があります。この「重荷」と訳されている聖書原文のギリシャ語は、兵士が背負っている背嚢(はいのう)を意味しています。その背嚢には、食料や衣類、その他、兵士が生きていくために必要なものが入っています。ですから、それは確かに重い荷物なのですが、それ無しには兵士は生きていけないのです。人が人生において背負っている重荷は、実は、この兵士の背嚢と同じようなところがあり、それは人が生きるためになくてはならない糧であると言えるかも知れません。誰でも自分から進んで重荷を背負いたいとは思いません。背負わされた重荷があれば、それから出来

劣等感」

今日は、”劣等感”ということを考えてみました。皆さんは、自分の内にある劣等感が、しばしば人間関係において緊張感やストレスの原因となることに気づかれたことがありますか?ある女性が、結婚式を目前にして大きな不安にかられました。彼女は、いつも相手の前で背伸びしている自分を感じていました。結婚して本当の自分がバレてしまったらどうしよう…というような劣等感が多くの恐れ、不安、ストレスを引き起こしていたのです。時には、真面目であることさえも劣等感となります。それを隠すために人前ではわざとひょうきんに振るまって、そのうちに本当の自分は何なのか、自分でも分らなくなってしまい、本当にリラックスした生き方、これで良いのだという深い自信と安心感のある生き方ができなくなるのです。このような劣等感はどこからくるのでし

生命の起源

生命の起源 生命の起源・・・・、生命は一体どのようにして誕生したのか。その起源はどこにあるのか。そもそも何もないところから偶然に生命が生まれるのか。いつの時代にも、このような問いを人々は投げかけてきました。 そういう問いから始まった生物の起源に関する研究は,単に生物の構成物質(アミノ酸、核酸塩基など)の由来を検証する研究から、さらに物質がどのように秩序だった細胞を作り出すように複雑化したのかを調べる研究まで、大きな進歩を見せています。 近年では多くの生物のゲノムの情報が比較できるようになり、それを利用して最初の生物の姿を類推する研究もあります。 しかしながら、飛躍的に発展した今日の生命科学でさえ、たとえまことしやかな科学的見解が述べられていても、それらはすべて様々な仮定の上に積み重ねられた

3の黙想

箴言12:3の黙想 「人は悪で身を堅く立てることはできない。正しい人の根は揺るがない。」(箴言12:3) 人生の成功とは何でしょうか。富を得ること、有名になること、影響力を持つこと──確かにそれらは一見「成功」の証のように見えます。しかし、聖書はもっと深く、人間の内面と人生の土台に注目します。 この箴言は、二つの対照的な人物像を提示します。一人は「悪で身を堅く立てようとする人」。もう一人は「正しさという根を持つ人」です。悪によって築かれたものは、どれほど立派に見えても、やがて崩れます。なぜなら、それは真実に基づいていないからです。不正直な取引、嘘やごまかし、人を蹴落としてのし上がるようなやり方──そのような手段で得た地位や名声は、見かけほど安定していません。 一方で、「正しい人の根は揺るがな

第二コリント4:7の黙想

第二コリント4:7の黙想 「私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。」(第二コリント4:7) 聖書は、私たち人間のことを『土の器』と呼んでいます。これは、私たちのもろくて壊れやすい性質を表わしている言葉です。誰かが言った一言に、また誰かが取った一つの態度に一喜一憂してしまう、そういう弱さを人間は持っているものです。  また、『土の器』という言葉は、どちらかと言うと、素焼きの器をイメージしますが、昔はこの素焼きの器を色んな物を入れるために用いました。  私は田舎育ちなので、小さい頃はかなり原始的な生活をしていて、風呂やトイレは家の外の納屋にありました。風呂はもちろん五右衛門風呂で、トイ

すべての失敗は成功への足掛かり

6すべての失敗は成功への足掛かり生きている限り、人は必ず失敗を経験します。失敗をしない人など一人もいません。仕事に失敗し、結婚に失敗し、受験に失敗し、特に人間関係の失敗は誰もが経験することです。そして、失敗は人々を失望・落胆させ、時として人々に敗北感や絶望感を味わわせることがあります。しかし、”失敗は成功のもと”という諺があるように、人によっては、失敗に対してもっと積極的なイメージを描く人もいます。英語でも、Failure teaches success.とか、Everyfailureis astepping stone to success. という同じ意味の諺がある通り、失敗は、非常に積極的かつ建設的な性質のものであるというのも真理です。人生において、上手くいく人、いかない人の違いがいく

さまざまな歩み

6さまざまな歩み 人生は「歩み」の連続です。そして、それぞれの「歩み」にはいつも幾つかの選択肢があり、人は自分の意思でその「歩み」を選び、自分の人生を決めていくのです。 聖書を見ると、いろいろな人々の歩みが記されています。アブラハムが息子イサクと共にモリヤの山に向かった辛い歩みがありました。モーセとイスラエルの民が紅海を渡った解放の歩みがありました。また、40年間、荒野を放浪しながら巡った試練の歩みがあり、ヨシュアに率いられてカナンを攻略した勝利の歩みがありました。 そして、キリストの弟子たちがエマオへの途上で経験した目が開かれる歩み、パウロがダマスコ途上で復活のキリストに出会う一大転機の歩みがありました。 そしてまた何よりも特出すべき歩みは、天地万物の創造者であられるお方が人間の姿を取り、

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Bible Verses About Welcoming ImmigrantsEmbracing the StrangerAs we journey through life, we often encounter individuals who are not of our nationality......

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