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- 試練は神からのプレゼント」
今日は、"試練は神からのプレゼント"ということを考えてみました。 人生には、あらゆる試練や苦難が付きものです。そして、多くの人がそのために苦しんでいます。 ところが聖書を見ると、試練や苦難は、より良い人生を送るための備えであると教えています。つまり、試練も苦難も、もしそれと正しく取り組むならば、それが素晴らしい恵みをもたらすというのが聖書の教えです。そして、確かに多くの人がそういう経験をしておられるのです。 18年前に77歳で天に召された三浦綾子さんは、「病気の問屋」と呼ばれるほどありとあらゆる病気を経験された方です。二十歳を過ぎて肺結核にかかり、途中カリエスを併発して13年間も病床に伏されたことがあり、その後も77歳で天に召されるまで、次々に色んな病気を経験されました。 その三浦綾子さんが
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- 不都合な真実」
“不都合な真実”あなたは他人を批判をするのが好きですか? 人を批判するのは結構楽しいものです。決して良い方法ではありませんが、人を批判することによって一時的に自分を安心させることができるという妙な効果があります。また岡目八目と言われるように、誰でも他人の欠点はよく気が付くものです。しかし、他人の批判は極力しないということが、豊かな人生を生きるための重要な極意であることを知ることはとても大切なことです。いつも批判する人というのは、他者をありのままで受け入れることができない人です。他人のする事が気になり、自分の考えに合わないとすぐに何かを言わずにいられないのです。そんな人は、それが自分の心の中にある未解決の問題と無縁ではないことに気付く必要があります。では、なぜ他者をありのままで受け入れることが
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- 神のなさることの美しさ」
神のなさることの美しさ昔から多くの思想家たちが人類の歴史の意味を探し求め てきましたが、多くの学識者たちが神の存在を抜きにしては世界の歴史は語れないと考えています。英語で歴史のことをHistoryと言いますが、Historyという言葉は、Hisとstoryという二つの言葉が合わさってできたと言われます。Hisという言葉は、文章の途中で Hを大文字にして書くと 英語では「神」を表します。またstoryは「物語」ですから、 History は「神の物語」、あるいは「神がつづられる物語」という意味で、この概念は、「神が歴史の背後におられる」という聖書の教えからきています。 伝道の書3章1節に、「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある」とあります。つまり、この言葉が伝えてい
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- 解決できない問題はない"
今日は、”解決できない問題はない”ということを考えてみました。人は誰でも生きている限りは様々な問題に出くわすものです。そして、その度ごとに問題から学び、問題解決のために努力をし、やがて問題を解決するまでに成長していくのです。私たちの前に置かれた問題は、そのほとんどが基本的には解決できないものはありません。どんな問題でも、必ず乗り越えられるものです。ただ、簡単にできてしまえば、それは問題とはなり得ないので、目の前に置かれた問題は、すぐには解決できるものではなく、自分が成長したときに解決できるものなのです。たとえば、こんな事を考えてみましょう。日本人の大人であれば、ここに書かれた文章を読むことは簡単なことです。しかし、3歳の子供ではどうでしょう。この文章を読むことは大きな問題であるに違いありませ
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- マタイ10:16〜23の黙想
マタイ10:16〜23の黙想 「いいですか。わたしが、あなたがたを遣わすのは、狼の中に羊を送り出すようなものです。ですから、蛇のようにさとく、鳩のようにすなおでありなさい。」(マタイ10:16)主イエスは、十二弟子をイスラエルの失われた人々のもとに遣わされるとき、彼らに向かって、「わたしが、あなたがたを遣わす」とおっしゃいました。つまりそれは、主イエスを信じ、主イエスの弟子である私たちクリスチャンも遣わされている者であることを意味します。そして、遣わされている者であるということは、もはや自分自身のために存在しているのではなく、遣わして下さった方のため、また遣わされている対象のために存在しているということです。私たちは主のため、また誰かの救いのために存在しているのです。主は救いの業のために、
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- ひざまずいて祈ろう”
今日は、”祈り”について考えてみました。求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、明けてもらえるであろう。(マタイ7:7)これは、イエス・キリストが語られた”山上の説教”の一節です。ここでイエス・キリストが言っておられるように、祈りというものは、「獲得の力」、「発見の鍵」、「打開の力」です。私たちは誰でも、人生の行き詰まりを経験することがあります。それはちょうど、道のない荒野にいるのと同じで、どこに向かって進めばいいのか皆目見当がつきません。そこで、私たちは周りにいる人に聞きながら、あちこち歩いてはみるものの、結局、人は助けにならないことを経験します。エレミヤ書33章3節に、「わたしに呼び求めよ、そうすれば、わたしはあなたに答える。そ
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- 3死に打ち勝つ道
6死に打ち勝つ道 ある一人息子の少年が不治の病にかかっていました。来る日も来る日も、母親は、医者が診断した恐ろしい最後に息子が気づかないことを願いながら、優しく彼を看病し、本を読んで聞かせ、一緒に遊んであげました。しかし、時が経つにつれ病状は悪くなる一方で、彼も次第に窓の外で遊んでいる他の男の子たちのようにはなれないことを考え始めていました。そして小さいながらも、死という言葉の意味を理解し始め、また自分が死のうとしていることも子供ながらに気づき始めていました。ある日、少年の母親は彼に、多くの騎士が死を迎える最後の栄光の戦いなどが描かれた「アーサー王と円卓の騎士」という感動的な物語を読んで聞かせました。彼女が読み終わって本を閉じると、少年は、イギリスの古い物語に深く感動し、しばらく黙って座っ
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- キリストの地上再臨
キリストの地上再臨 今から約2000年前、イエス・キリストはエルサレムの東にある「オリーブ山」から天に昇って行かれました。これをキリストの昇天と言います。オリーブ山とは、旧約聖書のゼカリヤ書に預言されているキリストが再び降りて来られる山です。 預言者ゼカリヤは、「主の日」という終末の日のことを以下のように預言しています。 「見よ。主の日が来る。その日、あなたから分捕った物が、あなたの中で分けられる。わたしは、すべての国々を集めて、エルサレムを攻めさせる。町は取られ、家々は略奪され、婦女は犯される。町の半分は捕囚となって出て行く。しかし、残りの民は町から断ち滅ぼされない。主が出て来られる。決戦の日に戦うように、それらの国々と戦われる。 その日、主の足は、エルサレムの東に面するオリーブ山の
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- 神に対する信頼
神に対する信頼 「心をつくして主に信頼せよ、自分の知識にたよってはならない。すべての道で主を認めよ、そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。」(箴言3:5-6)イスラエルの民が400年のエジプトでの奴隷生活から解放されたとき、彼らは自由を求めて歩き始め、最初の行き詰まりが紅海でした。両側には越えられない山があり、前方には海があり、そして、後ろにはエジプトの王パロが心を変えたために、彼らを捕らえようとするエジプトの軍隊の追跡がありました。イスラエルの民はまさに八方塞の状態に見えました。しかし、神はご自分が何をしたいのかをよくご存知でした。神は決して間違いをされません。神は彼らに見えないものを見ることができます。神は紅海を開き、彼らはそこを通り抜けることができたのです。何年も後に、イスラエ
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- 268グラムの赤ちゃん
268グラムの赤ちゃん去る2月20日、昨年の夏に体重268グラムで生まれた男の赤ちゃんが3238グラムまで成長して退院したというニュースが流れました。病院によれば、超低出生体重児の男の子で無事に退院した例としては、出産時の体重が世界一軽かったということです。出産を手掛けた東京都新宿区にある慶応大病院によると、赤ちゃんは子宮内で体重が十分に増えず死亡する危険性があったため、昨年8月28日に帝王切開での出産となったようです。誕生後は新生児集中治療室(NICU)で感染症対策や栄養管理を行い、自力でミルクが飲めるようになり、2月には体重も約3200グラムまで増えて、無事に退院することができました。アイオワ大学のデータベースによると、これまでに300グラム以内で生まれ、無事退院した男の子の赤ちゃんはこ
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- 人間の基本姿勢」
今日は、”人間の基本姿勢”について考えてみました。人は誰でも生きていくために、その土台となる基本姿勢を持っています。この基本姿勢によって、その人の行動パターンや思考パターン、また感情パターンが違い、その人らしさが表わされるものです。ですから、自分を知り、他者を知り、病んだ人の心を理解してあげるためにも、この基本的な心のメカニズムを知っておくことは大変重要です。交流分析の創始者エリック・バーンは、自己や他者に対する基本姿勢を次の四つに分類しました。① 私もOK、あなたもOK(自己肯定、他者肯定)② 私はOKだが、あなたはOKではない(自己肯定、他者否定) ③ 私はOKではないが、あなたはOK(自己否定、他者肯定) ④ 私もあなたもOKではない(自己否定、他者否定)誰でも幼少時代にこの中の基本姿
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- 自分の将来
自分の将来 人はみな同じような環境で生まれるわけではありません。物質的に豊かな環境で、必要なものがすべて与えられ、何ひとつ苦労することなく育っていく人もいれば、生まれたときから貧しくて、欲しい物も手に入らず、ひもじい思いをしながら育っていく人もいます。しかし、世界の歴史を見ると、生まれた環境が、必ずしもその人の将来を決めるものではないことが分かります。いやむしろ、世界を変えるような偉大な働きをした人物の中には、不幸な環境と誰もが思うような中で生まれ育った人が決して少なくはないのです。アブラハム・リンカーンは、丸太小屋で生まれました。雨漏りのする家で育ち、普通の教育も受けられず、小さい頃は、母親から聖書を読むことと、書くことを教わっただけでした。しかし、彼は独学で学んで弁護士になり、やがてア
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- 一つのドアが閉ざされても・・・」
今日は、‘一つのドアが閉ざされても・・・’ということを考えてみました。かつてモーセが数百万人のイスラエルの民を約束の地カナンに導くためにエジプトから連れ出したとき、エジプトの王パロは軍隊を率いて彼らの後を追いました。逃げるイスラエルは行く手を紅海に阻まれ、後方から追って来たエジプトの軍隊に挟み撃ちにされそうになりました。ところが、八方塞の状態に置かれたイスラエルの民のために、神は紅海の水を二つに分けて海底に道を設け、彼らはまるで乾いた地を渡るようにして紅海を渡り、難を逃れることができたのです。神は驚くべき力を持っておられます。天地万物を創造された神は、海を二つに分け、天からマナを降らせ、手も触れずに難攻不落の城壁を壊してしまわれます。また死人を生き返らせ、太陽を天空に止めさせ、日時計を戻すこ
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- 牧師室より#422 人を幸福にする言葉
人を幸福にする言葉 脳科学者たちの研究報告によれば、人間の脳は230億の細胞があるそうですが、この230億の脳細胞の中の98%が言葉の影響を受けているとのことです。そこから、この「脳の中にある言語中枢神経が全ての神経系を治めている」という学説を土台として「言語治療法」が開発されたわけです。 言葉がほとんどの神経を支配しているということ、つまり、見ること、聞くこと、感じること、嬉しいこと、悲しいこと、そのような全ての神経が、言語中枢神経に大きく影響されてるということです。 ところが聖書は、昔から既に、言語中枢神経が私たちの生活の中で絶対的な影響力を持っていることを示唆する言葉を数多く語っています。それで、今になって、ようやく、脳科学者たちが、その事実を証明しているのです。 たとえば、旧約
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- 3究極の希望
究極の希望 「究極の希望」、この言葉を聞いて、あなたは何を連想しますか?私たちが生きるうえで「希望」は無くてはならない大切なものです。もし希望を失えば生きることさえ難しくなります。たとえそれがどんな希望であれ、希望があれば生きる張り合いが出てくるものです。しかし、そのような希望も、私たちの置かれた状況次第では何の役にも立たなくなる、という局面を迎えることが私たちの人生にはあるものです。そんなとき、たとえ置かれた状況がどんなものであれ、その周りの状況に左右されない、また何者(物)にも奪われない、永続的で不変的な希望があるとしたら、それこそが「究極の希望」です。ある少年のこんな詩を読んだことがあります。この少年はキンジストロフィーという病気のために、若くして亡くなった少年です。彼が亡くなる前に
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- 「神のなさることは、全て時にかなって美しい」Sao証し
私Saoは、以前は、毎週ラスベガス日本人教会で催される水曜日祈祷会に子供達と参加していましたが、子供達のクラスが現在は持たれていないため、私が勤めさせていただいているクリスチャンスクールの教会の水曜礼拝に集うようになりました。小学二年生の双子は、K5の幼稚・小学生子供礼拝に、七年生の長女は、ユース・ミドル礼拝にそれぞれ出席しています。子供達も私も知り合いも誰もいない初めての場所での英語礼拝だったので、慣れるまでは緊張していましたが、一ヶ月を過ぎた頃には、もう子供達はすっかりと打ち解け、今では良い時を過ごしているようです。私自身は、子供達の為の延長上にある礼拝に正直、期待はしていませんでした。それが、出席してみると、全くその考えが変わりました。Worship leadが物凄かったのです。賛美を
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- “本当の謙遜“
今日は、”本当の謙遜”ということを考えてみました。謙遜というのは誰もが認める美徳の一つですが、謙遜であることは簡単なことではありません。謙遜そうに見えても、うわべだけで心からのものでないものが意外と多いかも知れません。それもその筈、生まれながらの私たちの資質は罪という自己中心の性質を帯びているからです。アガサ・クリスティーの作品に「ベツレヘムの星」というクリスマス向けの短編集がありますが、その中にこんなお話があります。 14人の聖人たちが神様に「聖人の位を返上したい」と願い出ます。せっかく難関を突破して得た位を返上して地上に戻りたいと言うのです。 「よし、昇進を認める」と神様の許可が出ます。疑い深いトマスだけは気がついて、「確か、昇進と言われましたねー……?」とつぶやきます。こうして聖人の
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- 『ある老牧師の物語』
『ある老牧師の物語』 ある日曜日の夕方の礼拝でのことです。会衆賛美のあと、牧師がゆっくりと立ち上がって講壇に歩み寄り、説教の前に、老牧師である一人のゲストを紹介しました。その老牧師は、その教会の牧師の非常に親しい友人の一人で、少し時間を与えられ、会衆に短い挨拶をするよう促されました。 老牧師は講壇に立つと、こんな話を始めました。「一人の父親と、その息子、そして息子の友人、この三人がヨットで太平洋岸沖を航行していました。近づきつつある嵐を避けるために岸に戻ろうとしていると、突然、大波が押し寄せてきました。その父親は長いヨット暦を持つ経験豊かな人でしたが、ヨットは転覆し、三人は海に投げ出されてしまいます。」 老牧師は、一瞬、間を置いて、教会堂の最前列に座っていた、教会が初めてだという二人
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- 自分の将来”
今日は、”自分の将来”ということを考えてみました。人はみな同じような環境で生まれるわけではありません。物質的に豊かな環境で、必要なものがすべて与えられ、何ひとつ苦労することなく育っていく人もいれば、生まれたときから貧しくて、欲しい物も手に入らず、ひもじい思いをしながら育っていく人もいます。しかし、世界の歴史を見ると、生まれた環境が、必ずしもその人の将来を決めるものではないことが分かります。いやむしろ、世界を変えるような偉大な働きをした人物の中には、不幸な環境と誰もが思うような中で生まれ育った人が決して少なくはないのです。 アブラハム・リンカーンは、丸太小屋で生まれました。雨漏りのする家で育ち、普通の教育も受けられず、小さい頃は、母親から聖書を読むことと、書くことを教わっただけでした。しかし、
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- Happy Thanksgiving Day!!
今年も感謝祭がやってきました。このシーズンは街中がホリデーシーズンになり、買い物客でごった返します。ラスベガスは、私の知る限り、先週の金曜日までは普通の街でしたが、土曜日になると、急にスーパーに感謝祭ディナーの買い物客でレジの前には長蛇の列を作っていました。。並んでいる間に前隣の客と話し仲良くなるというケースも稀ではなく、人々の暖かさを感じらsれる時期でもあります。そして、もう一つ、感謝祭と言えば、朝早くからターキーを仕込み、焼き始め、お昼に家族や親しい人を交えて、感謝祭ディナーをいただきます。ターキーの他に、アメリカンヤムにマシュマロを乗せて焼くといい香りが漂うスイートポテトヤム、さやいんげんグラタンのグリーンビーンキャセロール、マッシュポテト、刻みセロリと人参とを混ぜ、鶏がらスープとター

- The Cross Pendant
He is a cross pendant.
He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel
Bible Verses About Welcoming ImmigrantsEmbracing the StrangerAs we journey through life, we often encounter individuals who are not of our nationality......
