マタイ10:16〜23の黙想
「いいですか。わたしが、あなたがたを遣わすのは、狼の中に羊を送り出すようなものです。ですから、蛇のようにさとく、鳩のようにすなおでありなさい。」(マタイ10:16)
主イエスは、十二弟子をイスラエルの失われた人々のもとに遣わされるとき、彼らに向かって、「わたしが、あなたがたを遣わす」とおっしゃいました。つまりそれは、主イエスを信じ、主イエスの弟子である私たちクリスチャンも遣わされている者であることを意味します。
そして、遣わされている者であるということは、もはや自分自身のために存在しているのではなく、遣わして下さった方のため、また遣わされている対象のために存在しているということです。
私たちは主のため、また誰かの救いのために存在しているのです。主は救いの業のために、私たちをお用い下さるのです。だから、そのために生きなければ、教会の意味も、クリスチャンの意味もないのです。
19、20節を見ると、「人々があなたがたを引き渡したとき、どのように話そうか、何を話そうかと心配するには及びません。話すべきことは、そのとき示されるからです。というのは、話すのはあなたがたではなく、あなたがたのうちにあって話されるあなたがたの父の御霊だからです」と言われていますが、必要とあらば、聖霊が私たちを通してお語りになります。そのように神が私たちを用いて、ご自身を世に現し、この世界に信仰をもたらそうとしておられるなら、まず私たちが信仰に生きていなければなりません。
22節に「最後まで耐え忍ぶ者は救われます」とあります。この「最後まで」という期間は、私たちに与えられた大切な期間です。私たちがキリストに似た者に変えられ、そのような私たちを神が用いて下さるために必要な期間なのです。
あるいはまた、この世界の救いのため、誰かの救いのために、神が私たちを通して働いて下さるための期間です。意味のない苦難や試練の期間はありません。神の大きなご計画の中で、尊い意味を持っている尊い期間です。
そこで大事なことはただ一つ、耐え忍ぶことです。留まること、信仰に留まることです。絶対に希望を捨てないことです。どこまでも主を待ち望むことです。
今日の祈り: 主よ、この世の救いのために私を用いて下さい。
鶴田健次
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