アドヴェント・クランツの最初の蝋燭に、教会学校の生徒の手によって火が灯された。子供たちがこのような形で参加してくれるのはとても良いことだ。そもそも、クリスマスの主役は子供なのである。幼子イエス!
福音書の降誕物語は、この幼子イエスを中心にしてこの世の全体が集まっている情景を描き出している。そこには、当時一般にはかなり「いかがわしい」存在と見られていた羊飼いたちがいるし、東の方からはるばるやってきた占星術の学者たち、つまり外国人もいる。その中の一人は黒人であった。産室となった馬小屋には家畜たちもいる。つまりクリスマスの喜びには、大人だけでも人間だけでもなく、また、特定の社会層や民族だけでもなく、年齢や出自や肌の色や文化的伝統を超えて、この世の全体が与っていた。アドヴェントを迎えて、特にこの点を強調しておきたい。
さて、今日の「ザカリアの預言」について、最初に少し説明しておく。
ザカリアというのは祭司で、イエスの先駆者として六ヶ月前に生まれた「洗礼者ヨハネ」の父である。ルカ福音書1章では、マリアの「処女懐胎」の物語と織り合わされるようにして、洗礼者ヨハネの奇跡的な誕生の物語が進行するが、ザカリアは父親という立場でこの不思議な出来事に立ち会う。彼は、妻のエリサベトと共に年を取って子供を持つことはとっくに諦めていただけに、「恐れることはない。あなたの願いは聞き入れられた。あなたの妻エリサベトは男の子を産む」(1章13節)という天使の言葉を、俄かには信じることが出来なかった。この不信仰を咎められて、子供が産まれるまで口がきけなくなる。
だから、実際に子供が産まれた時、彼は異様な感動に包まれる。そして、「口が開き、舌がほどけた」(64節)ザカリアは、「聖霊に満たされて」預言した。
68-75節で、ザカリアは先ず、洗礼者ヨハネが生まれ、続いて主イエスが誕生したという出来事の意味を、旧約聖書を振り返りながら語る。要点は、「昔から聖なる預言者たちの口を通して語られた」(70)約束が成就した、という所にある。つまり、彼はここで「民族の歴史」に言及している。
しばらく前から、日本では「歴史教科書を書き直す」運動が強まりつつある。同じ趣旨で、『日本の歴史』などというご大層な題をつけた本も出版される。この動きを導いているのは、いつまでも中国や韓国に謝罪してばかりという屈辱的な姿勢を捨てて民族の誇りを回復したい、という意志である。そのために「臭いもの」には蓋をしてでも、「日本民族は本来、美しい・偉大な民族であった」ということを確認し、それを学校でも教えたい。そこに、民族の「アイデンデイテイー」を求めたい、ということのようだ。
このように、悔い改めと謙虚さを忘れて過去の歴史を恣意的に美化し、それによって現在の自分たちの立場を正当化することは、平和(シャローム)を破壊し、ひいては自らの民族をも破滅させる道である。現在のイスラエル国家がそうであるように。ザカリヤの預言は、決してこの方向で読まれてはならない。
「主はその民を訪れて解放した」(68)。これは、エジプトで奴隷であったイスラエル民族を解放するために神がモーセを遣わした、あの「出エジプト」の事件を指している。ユダヤ人が自分たちの生活を考える時は、いつもこの解放の出来事から出発する。
だが、申命記10,17-19を見よ! 神が我々をあの苦境から解放して下さった! それが我々の原体験ではないか。だから、他者に対して抑圧者になることは許されない。これこそ、旧約聖書の中心ではないか。
旧約聖書には、確かに多くのひどい記述もあるが、イエスがその全体を「自分自身を愛するように隣人を愛しなさい」(レビ 19,18)という一つの言葉から解釈したように、「神が我々を解放して下さった! だから、他者に対して抑圧者になることは許されない」というその一点から読むこともできる。
「我らのために救いの角を、僕ダビデの家から起こされた」(69)。これは、カナン地方に定着したイスラエル民族のために神がダビデ王朝を起こされた、ということであろう。そして、ダビデ王の使命は人々を「敵の手から」(74)守ること、つまり、いたずらに平和を脅かし、民衆に苦しみをもたらす者の「暴力」から守ることである。
だが、これは武力や経済力によっては達成不可能だ。イエスが言われたように、「剣を取る者は皆、剣で滅びる」(マタイ 26,52)のだ。だから、「敵の手から救う」ことは、暴力とは全く別のもの、つまり、愛の力によってしか成し遂げることが出来ない。そのことを遂に実現して下さる方が、主イエスである。ヨハネが生まれたのはその先駆者となるためだ、とザカリアは言う(76-77)。
78-79節。
「あけぼのの光」とは、民数記 24,17の「一つの星」という言い方と関係があり、これは後期ユダヤ教においては「メシア」と解釈されていたという。だから、これはイエスのことである。「この憐れみによって、高い所からあけぼのの光が我らを訪れ、暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、我らの歩みを平和の道に導く」!
なんという、慰めに満ちた言葉であろう。パレスチナにおける不毛な戦いに終止符を打つことが出来るのは、「あけぼのの光の訪れ」以外にない。主イエスよ、来て下さい!
He is a cross pendant.
He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel
Bible Verses About Welcoming ImmigrantsEmbracing the StrangerAs we journey through life, we often encounter individuals who are not of our nationality......
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