【疑問】クリスチャンは「占い」をしちゃいけないの?

よく見る「占い」ですが、クリスチャンは見るのもやるのもダメなんでしょうか?  ▼日本人は占いが大好き ▼イエスへの信仰は、「縛り」ではなく「解放」するもの ▼聖書は「占い」について何と言っているか ▼聖書の代表的な占いエピソード ▼実はイスラエルの祭司も占いをやっていた? ▼そもそも、なぜ占いをするのか? ▼クリスチャンにとって変わらない未来は? ▼「占い」との付き合い方 ▼日本人は占いが大好き 日本で生活すると、あらゆるところに占いがある。日本人は占いが大好きだ。朝の情報番組では、必ず占いコーナーがある。星座占い。血液型占い。手相占い。神社のおみくじ。姓名判断。タロット占い、などなど・・・。名前の画数まで気にするのは、世界でも珍しい風習ではな

【提起】意味わからんクリスチャン専門用語10選! もうやめません?

クリスチャンは自分たちにしか分からない専門用語を使いすぎです。排除の論理なの?!  ▼専門用語が大好きなクリスチャンたち ▼専門用語1:「みことば」 ▼専門用語2:「みこころ」 ▼専門用語3:「教会」 ▼専門用語4:「賛美」 ▼専門用語5:「感謝だねぇ」「恵みだねぇ」 ▼専門用語6:「交わり」 ▼専門用語7:「ノンクリスチャン」 ▼専門用語8:「兄弟姉妹」 ▼専門用語9:「アイスブレイク」 ▼専門用語10:「伝道集会」 ▼内向きはやめようね ▼専門用語が大好きなクリスチャンたち クリスチャンほど、「専門用語」が大好きな人たちはいないだろう。教会に初めて来る人たちにとっては、「は???」と思う用語が飛び交っているのだから、

【疑問】「祝祷」は牧師だけの権利なのか?!

教会の「礼拝会」に行くと、最後に牧師が両手を広げて「仰ぎこい願わくは・・・」とか言い出します。これって何?!  ▼「祝祷」とは? ▼根底にある「祭司」との混同 ▼「主の祈り」はOKなのに「祝祷」はダメ?! ▼オススメの「祝祷」のやり方 ▼おまけ:実際に祈りに使えそうな文言集  ▼「祝祷」とは? クリスチャンの教会の礼拝会に行くと、集会の最後に、牧師が前に出て来て、両手を広げてこう言う。 「仰ぎこい願わくは、われらの主イエス・キリストの恵み、父なる神の愛、聖霊の親しき交わりが、あなた方の上に、豊かにあらんことを アーメン」  これは、いわゆる「祝祷」(しゅくとう)と呼ばれるものだ。英語でbenediction(ベネディクション)とも言う。表現や、やり方は教会やグル

【聖書】聖書の日本語、実は翻訳ミスだった?!

愛、神、教会・・・日本語に影響を与えた聖書用語ですが、実は翻訳間違いだった可能性があるのです。どういうことでしょう・・・?!  ▼聖書は日本語に影響を与えている ▼聖書はどのように翻訳されたのか ▼西洋の宣教師VS日本の知識人たち ▼用語1:愛 ▼用語2:神 ▼用語3:教会 ▼その他の用語(洗礼・聖霊) ▼おまけ:口語訳と共同訳系・新改訳系の決定的違い ▼参考図書 ▼聖書は日本語に影響を与えている 日本人のクリスチャンは、とても少ない。人口の、約0.4~1%(40万人~100万人)がクリスチャンだと言われている。これは、世界でもかなり少ない水準である。しかし、多くの日本人が、知らず知らずのうちに、聖書が語源の言葉を使っている。神、天使、悪

【疑問】クリスチャンが求めるべきものとは?

求めよ、さらば与えられん・・・有名な言葉ですが、クリスチャンが本当に求めるべきなのは、どんなものなのでしょうか?  ▼何を求めたらいいのか・・・? ▼例1:エサウは何を求めたか ▼例2:ソロモンは何を求めたか ▼例3:ダビデは何を求めたか ▼例4:イエスは何を求めたか ▼神と共に生きること ▼何を求めたらいいのか・・・? クリスチャンでなくとも、一度は聞いたであろう、有名な言葉がある。「求めよ、されば与えられん」。他でもない、イエスの言葉である。現代的な翻訳では、このようになっている。求めなさい。そうすれば与えられます。探しなさい。そうすれば見出します。たたきなさい。そうすれば開かれます。(マタイの福音書 7章7節)  イエスの教えはシンプルだ。「求めれば

【疑問】聖書の神の名前は「エホバ」なのか「ヤハウェ」なのか?

聖書の神の名前は、「エホバ」とか「ヤハウェ」とか言われます。一体、何が正しい名前なのでしょうか?  ▼神の名前は「エホバ」ではない? ▼「エホバ」となった意外なルーツ ▼神は自分をどう呼んだか ▼「4文字」の意味について ▼おまけ:神の名前を唱えることの是非について ▼神の名前は「エホバ」ではない? 聖書の神は、唯一の神である。世界の創造者であり、全能者であり、唯一無二の神である。そんな神を、クリスチャンたちはどう呼ぶのだろうか。最初の本格的な日本語訳の「文語訳聖書」では、神は「エホバ」とされている。新改訳聖書では太文字の「主」(しゅ)、共同訳聖書では普通の文字の「主」(しゅ)などとされている。 この神の名前は、ヘブライ語で「YHVH」(יהוה)のアルファベッ

【疑問】イエスの話は分かりづらい?(その1:アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神)

イエスの言葉は、結構な確率で意味不明です。日本語で読むと分かりづらいですが、ユダヤの常識で捉えていくと、腑に落ちるものもあったりするのです。今回はその第一弾。  ▼イエスの話はよく分からん! ▼復活をめぐる論争 ▼復活なんかありえない?! ▼「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」の意味とは ▼「生きている者の神」とはどういう意味か ▼イエスの話はよく分からん! 大胆に言うが、イエスの話の多くはよく分からない。例えば、ナタナエルという人物が聖書に登場する。彼は当初、イエスをメシアだと認めていなかった。しかし、イエスが「あなたがイチジクの木の下にいるのを見た」という謎の発言をした途端、ナタナエルは「あなたは神の子、イスラエルの王です」と180度態度を変え、イエス

【疑問】クリスチャンは「つまずく」という言葉を誤用している?

クリスチャンはよく「つまずきになる」という表現で、人の行動を規制しようとしますが、それは本当に正しい指摘なのでしょうか?  ▼やたらと「つまずきになる」と言うクリスチャンたち ▼「つまずき」となったイエス ▼「つまずきになるな」と言ったイエス ▼反論:ローマ書の記述はどうなる? ▼「模範」になれとプレッシャーを感じている人へ ▼やたらと「つまずきになる」と言うクリスチャンたち クリスチャンの人と話すと、やたらと「つまずく」という言葉を聞く。「その行為はつまずきになる」「つまずきになってはいけない」などと、教会で言われた人も多いのではないだろうか。クリスチャンではない人は、「なにそれ」といった感じだろうが、実によく聞く言葉である。 「つまずき」という言葉は、「神を

【疑問】神の「コーリング」を受け取る5つのポイント

神の「コーリング」はどうやって受け取り、見分ければよいのでしょうか?  ▼神の「コーリング」は誰にでもある ▼何よりも「聖霊の導き」が大切 ▼1:志があるかどうか(心の動機) ▼2:聖書の言葉と合致しているか ▼3:周辺の助言を受け入れられるか ▼4:イエスの模範と合致しているか ▼5:状況はそれを許しているか ▼まとめ:方向転換したっていい ▼神の「コーリング」は誰にでもある 神の「コーリング」とは、神が人間に対して「生きる目的」や「役割」、神が定めている「計画」などを知らせる「神のお告げ」のようなものである。クリスチャンたちは、神の「コーリング」に従い、神の計画のとおりに歩み、生きたいと願う。コーリングは、究極的には「神を信じること」によっ

【疑問】なぜ神を「父」と呼ぶのか

キリスト教では、「父なる神」とよく表現しますが、神は男性なのでしょうか。なぜ神を「父」と呼ぶのでしょうか。  ▼神は男性なのか? ▼「父」という単語の使用例 ▼神を「父」と呼ぶシーン ▼イエスによるパラダイムシフト ▼おまけ:実は「神の母性」の言及が聖書にある?! ▼神は男性なのか? キリスト教の世界では、よく神を「父なる神」と表現する。「父・子・聖霊」の「三位一体」<さんみいったい>という言葉も、なじみがあるだろう。祈りでも、「愛する天の父よ・・・」と始める場合も多い。 ここでひとつの疑問が生まれる。神は男性なのだろうか。神は性別を超越した存在ではないのだろうか。なぜ神を「父」と呼ぶのだろうか。そこに意味はあるのか。遠藤周作は「母なる神」とも表現した。神を「母

【疑問】「主の祈り」を繰り返し唱えるのは意味あるの?<後編>

「主の祈り」は祈りのガイドラインです。その後半を見ていきましょう。  ★前編はこちら★  ▼「主の祈り」は祈りのガイドライン ▼5:必要の満たしを願う <いのちのパンであるイエス> ▼6:罪の赦しを願う ▼7:赦しを受けた後のリアクション ▼8:悪からの救済を願う ▼おわりに:シンプル&チョコチョコ祈りのすすめ ▼「主の祈り」は祈りのガイドライン 「主の祈り」は、イエスが教えた、祈りのガイドラインだ。イエスは、「ただ同じ言葉を繰り返して唱えるのでは意味はない」と教えた。その後で、「だから、このように祈りなさい」と言って、祈りのガイドラインを与えた。それが「主の祈り」である。(イエスは言った)ですから、あなたがたはこう祈りなさい。「天にいます私たちの父よ。御

【疑問】牧師は「礼拝会」を休んじゃダメなのか?

牧師たるもの、毎週日曜日の「礼拝会」を休んじゃいけないんだそうです。なぜなのでしょうか?  ▼牧師の子どもはカワイソウ? ▼「礼拝会」は休んではいけないものなのか? ▼「牧師」が群れを導くなどという妄想 ▼教会のゴールは神であり、中心はイエスであり、船頭は聖霊である ▼おまけの提言:休んだっていいじゃない!  ▼牧師の子どもはカワイソウ? 牧師の子どもはかわいそうだ。こんな意見をツイッターで見かけた。なぜかというと、「牧師の子どもは日曜日のイベント、例えば運動会や、部活の試合の応援などに来てくれないから」だという。確かに、子どもの晴れ舞台に親が臨場できなければ、子どもにとっては寂しいだろう。 なぜ牧師は日曜日のイベントに来られないのか。「牧師は必ず日曜日の礼拝会

【疑問】いわゆる「独身の賜物」は存在するのか?!

クリスチャン業界には摩訶不思議な「独身の賜物」という言葉が存在します。一体どういう意味なのでしょうか?  ▼「独身の賜物」とは? ▼イエスの真意は何か ▼パウロの真意は何か ▼結婚は神が創造した「良いもの」 ▼「独身の賜物」があるかないか考えるのはヤメよう ▼「独身の賜物」とは? 先週、「ネタ切れ」と書いたところ、早速アイディアをいただいた。「独身の賜物」について書いてくれとの要望だった。クリスチャン業界になじみのない方は、おそらく初めて聞いた言葉だろうが、クリスチャンの間では「独身の賜物」という摩訶不思議な言葉がある。どういう意味なのだろう。これは、イエスと使徒パウロが言った言葉に由来する。まずは、それぞれを見てみよう。弟子たちはイエスに言った。「もし夫と妻の

【疑問】「礼拝を守る」という表現は適切なのか?

クリスチャンはよく「礼拝を守る」という表現を使いますが、その言葉はどんな意味なのでしょうか? また、どこから来たのでしょうか?  ▼「礼拝をどこで守っていますか?」という質問 ▼「礼拝を守る」というのはどんな意味なのか ▼「礼拝を守る」の発想はどこから来ているのか ▼口伝律法の信者と戦ったイエス ▼礼拝は生き方である ▼「礼拝をどこで守っていますか?」という質問 多くの教会は、日曜日に「礼拝」という名前の集会をやっている。たいていの場合は、毎週同じ集まりに行くので、顔なじみばかりである。しかし、たまに遠出をしたり、旅行先などで、いつもとは違う教会に行く時がある。初めての教会に足を運び、自分がクリスチャンであることを伝えると、決まって言われる言葉がある。「いつもは

【疑問】クリスチャンになったら「お布施」をしなきゃいけないの? <「十分の一献金」はマストなのか?>

クリスチャンになったら、「お布施」、いわゆる「十分の一献金」は義務なのだろうか?  ▼「お布施」は義務? 「十分の一献金」とは? ▼「十分の一」の起源 ▼「十分の一」の規定の成り立ち ▼「十分の一」は「いけにえ」であって「お金」ではない ▼反論1:マラキ3章の記述 ▼反論2:イエスは「十分の一もおろそかにするな」と教えた ▼「完全ないけにえ」はイエスご自身 ▼「十分の一」ではなく「十分の十」捧げる  ▼「お布施」は義務? 「十分の一献金」とは? 「クリスチャンになったら、『お布施』をしないといけないの?」、「教会にお金を払わないといけないんじゃないの?」クリスチャンではない人にされる質問ランキング上位だ。宗教はお金を搾り取る、というイメージがあ

【疑問】クリスチャンに禁止事項はあるの?

クリスチャンになったら、「これはしちゃダメ」という禁止事項はあるのでしょうか?  ▼「しちゃいけないコトあるの?」という質問 ▼信仰は人を縛るものではなく、自由にするもの ▼神のデザイン通りに生きられない人間 ▼どんな罪でも同じ?! ▼イエスの「先払い」の十字架の犠牲 ▼「しなきゃいけない」じゃなくて「そうしたい」 ▼「しちゃいけないコトあるの?」という質問 「私はクリスチャンです」と言うと、決まって聞かれる質問がある。「クリスチャンになったら、しちゃいけないことあるの?」という質問だ。日本では、信仰は人を縛るものというイメージがあるからか、多くの人が、「クリスチャンに禁止事項はないのか?」と聞いてくる。 当然、聖書には、様々な生きる指針が書いてある。有名

【疑問】クリスチャンは何でもかんでも両親に従わなければならないのか?

聖書には「父と母を敬え」という大原則が書かれています。しかし、それはどこまでの範囲なのでしょうか?  ▼「父と母を敬え」の大原則 ▼親を敬い、親に従うという基本 1:両親を敬うのは聖書の基本 2:両親をののしる者は罰せられる 3:両親を敬うことは、イエス自身が実践し、イエス自身の教えでもある 4:両親に従わないことは、悪者の特徴である ▼「毒親」に対しては? 1:神への従順 > 親への従順 2:現代は「大人」になるのが遅い 3:神があなたの父となる ▼カルト化に注意する必要性 ▼「父と母を敬え」の大原則 聖書は、両親を敬うという大原則を教えている。かの有名な「十戒」の中のひとつの教えに、このような命令が書かれている。あなたの父

【疑問】クリスチャンはギャンブルをしてはいけないのだろうか?

競馬、パチンコ、宝くじ・・・クリスチャンはこのような、いわゆる「ギャンブル」とどう付き合っていくべきなのでしょうか?  ▼クリスチャンはギャンブルをしてはいけない? ▼聖書には明確な記述はない ▼ギャンブルをする目的と中毒性 ▼結局、ギャンブルはいいの? ダメなの? ▼投資はどうなのか?(株、FX、仮想通貨、その他の投資) ▼公営ギャンブルの場合(競馬、競輪、競艇、オートレース、宝くじ)  ▼パチンコという脱法ギャンブル ▼おまけ:ギャンブル経営者からの献金はもらっていいのか? ▼クリスチャンはギャンブルをしてはいけない? ギャンブルは、太古から人間を虜にしてきた営みである。ギャンブルの起源は明らかになっていないが、古代エジプトでは既に占いから

【疑問】「神学生」ってそんなに特別なの?

教会に行くと、「神学生」という謎のポジションの人がいます。彼らはそんなに特別で、エラいのでしょうか?  ▼「神学生」ってなんぞや ▼「神学生」はただの「大学院生」 ▼無駄なプレッシャーを「神学生」に与えるなかれ ▼自分で学ぶ気概を持とう ▼おまけ:「PK・かたくりこ」という謎の呼び方 ▼「神学生」ってなんぞや 教会に行くと、ちょっと若くて、メガネをかけている、無口で真面目そうなお兄さんがいる。「あのお兄さんは、『神学生』なのよ。偉いわねぇ」とオバちゃんたちが言う。私は、子ども心ながらに、「神学生ってなんぞや」と思っていた。教会の人たちは、「牧師」や「伝道師」に接するように、「神学生」にも接していた。子どもの私から見た「神学生」は、教会の雑務をこなす、アシスタント

【疑問】「主の祈り」を繰り返し唱えるのは意味あるの?<前編>

教会で繰り返し唱える「主の祈り」、同じ言葉を繰り返して唱えるのに意味はあるのでしょうか?  ▼「主の祈り」が矛盾しちゃってる問題 ▼「主の祈り」の本質は、その中身にある ▼1:神への呼びかけ ▼2:神の名を賛美する ▼3:御国の到来を願う ▼4:神の計画の成就を願う ▼「主の祈り」前半まとめ ▼「主の祈り」が矛盾しちゃってる問題 「主の祈り」は、現代でも多くの信者が唱える有名な祈りの文言だ。礼拝会で、毎回「主の祈り」を暗唱する教会も多い。これは、イエスが「このように祈りなさい」と教えた祈りだ。マタイの福音書とルカの福音書に記述がある。マタイの方を紹介しよう。 (イエスは言った)ですから、あなたがたはこう祈りなさい。「天にいます私たちの父よ。御名が聖な

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Bible Verses About Welcoming ImmigrantsEmbracing the StrangerAs we journey through life, we often encounter individuals who are not of our nationality......

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