イエスと統治体の権威に関する聖書的な考察(6)七つの会衆に証人も他のキリスト教団体も含まれる

 エホバの証人の統治体は、神に是認される聖霊で油そそがれたクリスチャンは自分たちエホバの証人の組織の中にだけ存在すると主張しています。そうなのでしょうか。考えてみましょう。  まず、証人たちは、自分たちの組織や統治体についてどのように考えていますか。 (1)統治体はご自分たちがどんな一世紀の型に倣っていると主張していますか  エホバの証人は、ご自分たちの組織は、初期クリスチャンの組織を模倣していると考えておられます。JW.orgのサイトのエホバの証人についてーよくある質問には、「エホバの証人の統治体とは何ですか」という項目に、『1世紀には「エルサレムにいる使徒や年長者たち」がクリスチャン会衆全体のために重要な決定をしていましたが,統治体はその型に倣っています。』と付け加えられています。(使徒

イエスと統治体の権威に関する聖書的な考察(34)不法の者の特徴と北の王の特徴が合致する理由

(1)北の王は背教したキリスト教を奉じることがダニエル書で預言されている  テサロニケ第二の手紙の不法の者とダニエル書の北の王と啓示の書の預言を考え合わせてみます。ダニエルの預言の中で、北の王は、もともと、イスラム教の背景からきています。 なぜなら、ダニエル8章の預言によると、ギリシャを表わす「雄ヤギ」の「大きな角は折れ」、「4本の際立った角が生えて」きました。「そのうちの1本から,別の小さな角が生え」ましたが、「それは非常に強大になって」、「聖なる所の定まった場所を打ち壊し」ます。(ダニエル8:8-11) アレクサンドロス大王の大きな角が折れて・・・ 四つの国を表わす四つの角の一つの小さな角が北の王になる  この雄ヤギの「大きな角」はアレクサンドロス大王です。そして彼の領土から派生した四

イエスと統治体の権威に関する聖書的な考察(20)証人の排斥処置と会衆の問題報告の聖書的根拠

 わたしは個人的に淫行のゆえにエホバの証人から排斥されてその後復帰した例を数多く知っています。ネットの世界では、エホバの証人の中で行われている排斥が不当で愛がないという声が、見られます。その声はとりわけ大勢の聖書の反対者や進化論者やエホバの証人の反対者でなるサイトの中で見られます。 エホバの証人の排斥処置が聖書的でないと言う個人やグループがいる神の律法に故意に従わないクリスチャンを会衆から除名するのは聖書的 しかし、クリスチャン会衆から神の律法に故意に従わないクリスチャンを排斥するのは聖書にかなった処置です。今回の記事では、エホバの証人の間で、行われる排斥処置が聖書的に正しい場合があることを説明したいと思います。  とりわけ長老に、神の律法に違反する人に助言を与えたり会衆から排斥したりして、

イエスと統治体の権威に関する聖書的な考察(19-2)雑魚寝事件の姉妹はなぜ排斥されたのか

   ヨハネです。このシリーズの17で話した「エホバの証人の会衆での雑魚寝事件」の後、証人の組織に復帰された姉妹が、性の不道徳は行っていなかったけれども、排斥になったと言っておられました。今回は、聖書でみだらな行ないとは何を意味するかを聖書から考察してみます。みだらな行ないは、聖書的に、性の不道徳よりも、広い範囲の意味を持っています。その雑魚寝事件で排斥された姉妹は、「みだらな行ない」という理由で排斥されてしまったのかもしれません。(1)その姉妹が性的な不道徳がなかったのになぜ排斥されてしまったと考えられるか  その姉妹はなぜ下半身の性的な結合という性的な不道徳がなくても、排斥されてしまったのでしょうか。彼女に対する会衆の扱いは不適切なものだったでしょうか。   会衆のある成員が、雑魚寝事件

クリスチャンが大娼婦によってはなはだしく命を落としてしまうのはどうしてですか(1)

(1)大娼婦が神の民の血に酔うというのはなぜですか  啓示の書の中には、大娼婦大いなるバビロンが、「聖なる者たち」や「預言者」や「イエスの証人」の血に酔っているという記述があります。(啓示17:6;18:24)これは、怖れを生じさせる記述です。従来キリスト教国であった大いなるバビロンが同じクリスチャンに迫害を加えるということになります。 しかし、この記述は、聖書の一部の記述と調和しません。聖書は、エホバ神がご自分の律法を守り、ご自分に助けを呼び求めるご自分の僕に保護を与えるという記述が数多くあります。(詩編31:23;32:7;91:14)また、啓示の書にもイエスは、フィラデルフィア会衆のクリスチャンを守ると言明されているので、このイエスの言葉とも調和しません。(啓示3:10)  聖書は、

創世記1章・創造の一日目から三日目まで

 米世論調査企業ギャラップ社の調査によれば、アメリカ国民の6割以上の人々が人類の 誕生は何らかの知性ある設計者によって生み出されたと信じているということです。一方、キリスト教の信仰者が1%に満たない日本では、無神論や進化論が支配的です。一方、創世記の一章には、エホバ神が全宇宙を創造された後、地球を人の住みかとして整えていかれた過程が記されています。神は、どのように地球 を整えられたのでしょうか。聖書のその記述は信頼できますか。神は創造の六日を用いて地球を人間の住みかとして整えていかれました。創造の六日目の終わりに神は人間男女を創造されました。今回は創造の一日目から三日目までを説明します。創造の一日の期間はどのくらいの長さなのでしょうか。聖書にはロトの日とノアの日という記述があります。(ルカ1

啓示8・9章-七人のみ使いが第一から第六のラッパを吹く(41)四人のみ使は二人の証人と同じ実体か

啓示の書に「四人のみ使い」と「二人の証人」の二つのグループが登場します。四人のみつかいは、四方の風が吹かないように努力を払っています。(啓示7:1)さらに、啓示9章では、四人のみ使いは、「大川ユーフラテス」につながれることになりますが、ほどかれます。(啓示9:14) 啓示11章に登場する「二人の証人」は、「大いなる都市」、つまり、大いなるバビロンに捕らわれになります。(啓示11:8)けれども、彼らは自分の足で立ち、天に上っていきます。(啓示11:11,12)それで、大いなるバビロンから解放されるという点で、二人の証人は四人のみ使いたちと似た特徴を持っています。  啓示7章の「四人のみ使い」と啓示11章に登場する「二人の証人」は、呼称が違いますが、同じ実体なのでしょうか。(啓示7:1;11:3

啓示15・16章-七人のみ使いが七つの災厄を注ぎ出す(11)-(2)海にあるものが死んだとは?

(1)海にあるすべての生きた魂が死んだとは?  七人のみ使いの第二の者が鉢の中から災厄を海に注ぎ出すと海が死人の血のようになり海にあるすべての生きた魂が死にました。(啓示16:3)海にあるすべての生きた魂が死ぬとは何を意味するのでしょうか。  マタイによる書にあるイエスの天の王国についてのたとえ話によると、み使いは事物の体制の終結の時に、海からあらゆる種類の魚を引き網で寄せ集め、良いものとふさわしくないものをより分けました。魚は、義人と邪悪な者です。(マタイ13:47-50)ですから、そのたとえ話では、魚は人々です。 良い魚と悪い魚は義者と邪悪な者すなわち人々 海にいるすべての生きた魂が死ぬとは、魚が神の目から見て、ふさわしくないものになることを意味しているでしょう。つまり、先ほど述べ

啓示15・16章-七人のみ使いが七つの災厄を注ぎ出す(28)裸の恥を人に見られないようにする

啓示16章14節で、悪霊の霊感による表現が、全地の王たちを全能者なる神の大いなる日の戦争に集めることが預言されます。16節では、王たちはハルマゲドンに集められることが預言されています。 14節と16節の間には、挿入句があります。15節には、イエス・キリストご自身が盗人のように来るので、外衣を守り、裸で歩いて自分の恥を人に見られることがないようにする者が幸いであるという文言が挿入されています。外衣を守り、裸で歩いて恥を人に見られないようにとは、何を意味するのでしょうか。 (1)外衣を守るようにとは?  啓示3章のサルデス会衆に対するイエスの言葉によると、白い外衣を着る者は、イエスと共に歩きます。(啓示3:4)そして、「征服する者」は「白い外衣で身を装う」ことになると約束されています。そし

どのようなクリスチャンが神に是認されるのですか(3)エホバの証人がパリサイ人のようになる危険性

(1)証人たちは聖書的に間違っていない習慣を間違った解釈のために断罪する場合がある  エホバの証人は、大いなるバビロンを間違って解釈しているために、他のキリスト教教会の習慣を悪くないのに、悪いとして見下げることがあったかもしれません。例えば、エホバの証人は、以前、黒い喪服を着ることは、大いなるバビロンの習慣だからいけないという説をしばらくものみの塔の読者からの質問の中で説明したことがあります。 エホバの証人は大いなるバビロンの習慣なので黒い喪服を着るのは望ましくないとされたことがあった  わたしも昔は、そのように考えていました。しかし、聖書の中で、死者の喪の期間に黒ではなくても、地味な特別な衣服をまとうことは昔から行われていたことです。ヤコブは息子の死を粗布をまとって嘆きました。(創世記37

聖霊で油そそがれたクリスチャンと大群衆の長老の立場

 聖霊で油そそがれたクリスチャンたちと大群衆の長老兄弟の立場はどのようなものでしょうか。エホバの証人の統治体の兄弟たちは、聖霊で油そそがれたクリスチャンたちで構成されています。 エホバの証人の統治体は、大群衆の長老たちに、自分たちと同じ権威を与えているように思います。しかし、聖霊で油そそがれた者と、大群衆の長老たちの立場は聖書的に同じでしょうか。 天的な希望を持つクリスチャンと地的な希望を持つクリスチャンについて同時に言及している聖書の記述の一つは、羊とやぎのたとえ話です。そこで、イエスは、「すべての国の民が彼の前に集められ,彼は,羊飼いが羊をやぎから分けるように,人をひとりひとり分けます。」(マタイ25:32)そして、羊には、「永遠の命」が与えられます。やぎは、「永遠の切断」に入ります。

神に感謝すべき理由―万物を通して示されている神の親切

私たちは神に感謝するべきでしょうか。エホバ神は確かに存在されています。そして、エホバ神は万物を通して私たち人間に数々の親切を示してくださっています。エホバ神が私たち人間に示してくださっている親切を数え上げてみましょう。 神は昔創造の三日目に陸地に数知れない植物を創造してくださいました。(創世記1:11,12)神が人間のために作られた食物には、神の人間に対する愛と親切と神の知恵が見られます。(詩編104:24)ニンニク、ショウガ、ニンジン,白菜、ナスなど私たちの人間の健康にプラスになる野菜はたくさんあります。それらには、抗癌効果があります。(garlicginger)にんにくやしょうがなど抗がん効果のある健康的な野菜はたくさんありますBasket of Veg by MICOLO J Than

キリストとの関係を公言してキリストの是認を得る(新共同訳)

 マタイ10章ではキリストは、今の時代にクリスチャンとして必要な心構えを私たちに教えてくださっています。(マタイ10:32-39)イエスの言葉は私たちが時流に迎合するのではなく、エホバ神とキリストの是認を追い求めるよう私たちを励ましてくれます。 ますますクリスチャンにとって事態は難しくなると考えられるので、これらのイエスの言葉はクリスチャンが熟考すべき言葉だと思います。 「だれでも人々の前で自分をわたしの仲間であると言い表す者は、わたしも天の父の前で、その人をわたしの仲間であると言い表す。しかし、人々の前でわたしを知らないと言う者は、わたしも天の父の前で、その人を知らないと言う。」とイエスは、言われました。(マタイ10:32-34)James Tissot - Online Collecti

電磁波の攻撃を避けるため祈って行動する  

聖書は、エホバ神が祈りを聞かれる方であることを示しています。(詩編65:2)では、私たちは神に保護を祈り求めて聞いていただきたいならば、どんなことが求められるでしょうか。私たちの祈りが聞かれるためには、祈るだけでそのまま何もしないというのでは、不十分です。過去に神に聞き届けられた祈りについて調べてみると、神の僕は、神に祈って、その祈りに調和して行動しています。 例えば、ダビデは、その祈りを聞かれました。ダビデの場合、息子のアブサロムが反逆して、親しい助言者だったアヒトフェルが敵の側につきました。アブサロムに与えられたアヒトフェルの助言は、彼がダビデのことを知り尽くしていたために大変効果的なものでした。 ダビデは、アヒトフェルの助言がうまくいかないようにしてくださいと、エホバ神に祈りました。(

どのように聖書を正しく解釈できますか(1)聖書の各書にある聖句を参照することはなぜ妥当なのですか

聖書のある部分を理解するために、聖書の他の部分を参照することに抵抗を覚える人がいます。聖書は各書でそれぞれ意味が異なっていると考えるからでしょう。そして、そのように考える人は、基本的に聖書が全体的に調和をしているはずだと考えていないかもしれません。   例えば百科事典のように大勢の筆者がそれぞれに異なる項目を書いて、それが一巻の本になっている場合があります。その時には、その百科事典の項目それぞれは、互いに矛盾している場合があります。しかし、聖書はそのような本ではありません。聖書は実際には、ひとりの著者によって書かれた本だからです。  それで、聖書全体を理解するためには、聖書の各書をすべて参照することが必要であり、妥当であることをこの記事で説明したいと思います。 (1)人間をはるかに超えた知能

啓示8・9章-七人のみ使いが第一から第六のラッパを吹く(16)新・祈りと香を捧げる別のみ使いとは

  七人のみ使いに七つのラッパが与えられて後、黄金の香炉を携えた別のみ使いが到着して、祭壇のところに立ちます。(啓示8:3)聖なる者の祈りと共に捧げられるために多量の香が別のみ使いに与えられます。(啓示8:3)そのみ使いの手から聖なる者たちの祈りと共に香の煙が神のみ前に上ります。(啓示8:4)まず、この別のみ使いは誰を表わしているかを検討してみます。 (1)多量の香を捧げた別のみ使いとはイエス・キリストではないか?  この別のみ使いは、黄金の香炉を携えて、香を捧げています。金の香炉は、聖書時代に至聖所にあり、大祭司だけが扱いました。(レビ16:12,13)それで、この別のみ使いは昔のモーセの律法下の大祭司によって予表されていた仕事を行なっています。  民数記によると、聖書時代に、「アロンの子

出エジプト28章・大祭司が身につけた12個の宝石最初の6個

昔、幕屋で奉仕する大祭司は、エホバの指示に従って作られた特別の職服を身に着けました。大祭司の聖なる衣は、エホバの栄光と美を反映することになっていました。(出エジプト28:2)  祭司はターバンをつけていました。そして、祭司は格子じまの長い衣を着て、その上にそでなしの上着をつけ、その上にエフォドをつけたようです。(出エジプト29:5)エフォドは腰の少し下までしかなかったという人もいます。そしてその上に飾り帯を締めました。それらの衣は、金色、青色、赤紫色、緋色、白色で彩られた、色とりどりで華やかで美しい衣でした。  そして、上着の上に胸掛けをかけました。そして、その胸掛けの上には、12個の宝石が並べられていました。宝石は、一列が3個で、四列になっていました。(出エジプト28:17)  その宝石

啓示8・9章-七人のみ使いが第一から第六のラッパを吹く(45)証人が聖句を検討するようお勧め

 第六のみ使いがラッパを吹いた後に四人のみ使いが解放されます。(啓示9:15)その後、万の二万倍の数の騎兵隊が登場します。(啓示9:16)前回の記事で述べたようにエホバの証人は、この騎兵隊を大群衆の奉仕者であると解釈しています。しかし、聖書をもっと調べると、文字通りの軍勢を意味すると解釈する方が妥当です。  そのように解釈する方がなぜ妥当なのか、そして、解釈の間違いがどのような重大な結果を招き得るのかを今回は、ご説明します。そして、エホバの証人の証人がもっと聖句を詳細に参照することをお勧めしたいと思います。 (1)聖書は文字通りの戦いに関して何度も馬に乗る軍隊に言及している  聖書は確かに文字通りの戦いに関連して何度も文字通りの「馬」に言及しています。そして、それは、諸国民の軍事攻撃に用いら

啓示15・16章-七人のみ使いが七つの災厄を注ぎ出す(21)王国が暗くなり人々がかいようで苦しむ

第五の者が野獣の座に神の怒りの鉢を注ぎ出すと、王国は暗くなり、人々は苦痛のあまり、自分の舌をかみました。しかし、その苦痛とかいようのために、野獣の崇拝を悔い改めるのではなく、神を冒とくすることが預言されています。(啓示16:10,11)  王国が暗くなるとは何を意味するでしょうか。自分の舌をかむとは何を意味するのでしょうか。神を冒とくするとは、何を意味するでしょうか。 (1)暗くなった王国とは? 王国とは、当然神の王国ではなく、野獣の座に座っている者の支配する領土を意味しているでしょう。(啓示17:17)この野獣の領土で明確になっているのは、啓示13章の冒頭で海から出て来る野獣です。この野獣は、「十本の角と七つの頭」があり、「ひょうに似ていたが,その足は熊の[足]のようであり,その口はライ

箴言6章・朝寝と怠惰と酔酒によって貧困に導かれる―会津磐梯山の合唱

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