啓示16章14節で、悪霊の霊感による表現が、全地の王たちを全能者なる神の大いなる日の戦争に集めることが預言されます。16節では、王たちはハルマゲドンに集められることが預言されています。
14節と16節の間には、挿入句があります。15節には、イエス・キリストご自身が盗人のように来るので、外衣を守り、裸で歩いて自分の恥を人に見られることがないようにする者が幸いであるという文言が挿入されています。外衣を守り、裸で歩いて恥を人に見られないようにとは、何を意味するのでしょうか。
(1)外衣を守るようにとは?
啓示3章のサルデス会衆に対するイエスの言葉によると、白い外衣を着る者は、イエスと共に歩きます。(啓示3:4)そして、「征服する者」は「白い外衣で身を装う」ことになると約束されています。そしてイエスは、白い外衣で身を装う者の「名を命の書から決して塗り消さず,わたし(イエス・キリスト)の父の前またそのみ使いたちの前で彼の名を認め」ます。(啓示3:5)
ですから、白い外衣を着てイエスと共に歩く者は、将来の命の希望が保証され、エホバ神とみ使いたちからなる天の組織で、公にその名が認められることになります。(啓示3:5)最終的には、永遠の不滅の命を享受することができます。
外衣で身を装う者は、イエスの行われたことに最後まで見習う者です。なぜなら、テアテラ会衆に対するイエスの言葉によると、征服するとは、「わたしの行ないを終わりまで守り通す者」であると述べられています。(啓示2:26)イエスが行われたこととは、神の王国を宣べ伝え、イエスの弟子を作る事でした。(マタイ4:19,23;28:19)イエスの行われたことを最後まで見習う者は征服する者となり、白い外衣を着る者となります。
白い外衣を着てイエスと共に歩む者は、その名が天のエホバ神とみ使いの間で公に認められます。(啓示3:5)ですから、白い外衣を着ている者は、イエスの是認を得てその助けを受けられます。ですから、その者は、将来、神の王国に入って不滅の命を得るという見込みを確実なものにします。
ですから、白い外衣を守るとは、イエスの追随者として、エホバに献身した生き方を守り続けるという意味になります。そして、そのようにすることによる現在と将来の見込みはとても大きなものです。
(2)裸で歩いて自分の恥を人に見られるとは?
裸で歩いて自分の恥を人に見られるとは、何を意味するのでしょうか?ラオデキア会衆のみ使いに対する言葉の中には、自分は富んでいて何も必要なものはないと言う者に対して、その者は自分が「惨めで哀れで貧しく盲目で裸であることを知らない」と言われました。(啓示3:17,18)そして、イエスは、その者に対して、「身にまとってあなたの裸の恥が現われないようにするために白い外衣」をイエスから買うようにと忠告すると言われました。(啓示3:18)
つまり、ラオデキア会衆のクリスチャンは、高価な衣服で身を包んでいたので、文字通りには、決して裸ではありませんでした。また、物質的に豊かだったので、人前では、ある程度、良い評判を持っていたかもしれません。しかし、イエスがラオデキア会衆のクリスチャンを見ると、霊的には、貧しく裸の状態だったのです。
ラオデキア会衆は物質的に豊かだったので、自分の豊かさに欺かれて、自分たちの霊的な状態が裸であることに気づいていませんでした。どうして、ラオデキア会衆のクリスチャンは、裸の状態だったのでしょうか。ラオデキア会衆の使いは、生ぬるく熱くも冷たくもないとイエスに言われています。(啓示3:16)ラオデキア会衆は、クリスチャンの活動においては、生ぬるい状態だったようです。
啓示の書の裸で歩くとは、もちろん、比ゆ的な意味です。恥をかくとは辱めを受けることです。(イザヤ41:11;45:16。詩編44:15)それで、裸で歩いて自分の恥を人に見られるとは、神のみ前で霊的に惨めで貧しい状態で歩むことにより、人前で恥をかき、辱めを受けることを意味するでしょう。
「恥をかく」とは、詩編によると、エホバに退けられているので、「大いなる怖れに満たされる」ことを意味しています。(詩編53:5)エレミヤ書によると、「恥をかく」とは、「あざけりの的となり,その周りの者すべてにとって恐れおののかせるもの」になることを意味します。(エレミヤ48:39)
さらに、エホバに依り頼まなかったので、「シェオルで沈黙」することになります。(詩編31:17,18)恥をかくとは、「そしりと辱めで身を覆い」、「終わりを迎え」ることを意味します。(詩編71:13)また、バビロンは、「北から」「ひとつの国民」が「攻め上って」来るのでその偶像は恥をかきます。(エレミヤ50:3)ですから、恥をかくとは、大患難に不意打ちされ、命を失うことを意味する事が分かります。
多くの場合、霊的な裸の状態のクリスチャンは、自分が霊的に裸であることに気づいていません。クリスチャンとして生ぬるい状態であると、神やイエス・キリストとの関係を吟味したり聖書の知識を取り入れたりしないので、聖書の正確な知識に欠けて、霊的に眠った状態になります。
霊的に眠った状態になると、神の律法に違反したりするでしょう。また、聖書の預言に基づいて将来のために準備したりできません。すると、気づかずに神に非とされた状態となり、大患難に不意打ちされ、神からの救いを得られず、恐れにとらわれ、命を失うという結果になります。見ている人たちも、それを見て怖れにとらわれるでしょう。
ですから、目ざめていて、自分の外衣を守り、裸で歩いて自分の恥を人に見られることのないようにする者が幸いであるというイエスの言葉は、次のようにすることを意味します。(啓示16:15)クリスチャンはイエス・キリストの弟子として、エホバに献身した生活を守り、霊的に眠ることにより、エホバの日に不意打ちを受け、命を失ってしまうことのないようにしなければならないということです。
He is a cross pendant.
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He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel
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