大嶋重徳
キリスト者学生会 北陸地区主事
ある時、男子学生がこう言った。「主事、自分は男性であることに自信がもてない。」私はこの時から、男子学生たちと「主が男性を創造された意味は何か?」ということを問い始めた。
まず直面したことは男性ゆえの罪深さだった。ドラマで出てくる夫のセリフはいつもこうだ。「家のことはお前に任せたと言っただろ!」自らの家庭における責任を放棄し、妻に責任転嫁する男性の姿が目にとまった。
アダムも同じようなセリフを神とエバに吐いている。「あなたが私のそばに置かれたこの女が、あの木から取って私にくれたので、私は食べたのです」(創世記3章12節)。私は悪くない。神様、あなたがこんな女性を置かなければ、私はこの実を食べることはなかったのに、と。
先ほどまで「骨からの骨、肉からの肉」と語ったあの愛の言葉はいったいどこへいったのか。そして神からの助け手として備えられた妻を、「この女……」と蔑(さげす)む。平気で「神様、あなたのせいですよ」と語るアダムに、悔い改めの姿はどこにもない。男性の責任転嫁と悔い改めからの逃避行が、ここに幕を開けたのである。
創造の初め、神は男性にのみ「善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べる時、あなたは必ず死ぬ」(同2章17節)と語られた。男性は女性に、これから「生まれて」くる家族に、「増えて」いく共同体に、神との契約を伝え、契約を守らせる責任があった。男性が失ってしまったものは、神様に責任を果たす姿勢、命懸けで契約を守る姿勢ではないか。
まさにこれこそ、イエス・キリストの生きかたに見られるものである。ゲツセマネの園で「わが父よ、どうしても飲まずには済まされぬ杯でしたら、どうぞみこころのとおりをなさってください」と血の汗を流しながら祈り、自らに託された責任から逃げ出さず、ただまっすぐに十字架の道を歩いていかれた。そしてサタンの「全世界を手に入れられる」という甘いささやきからも、言葉の剣をもって誘惑に打ち勝たれた。「ご自分を無にし、仕える姿を取」られたキリスト。さらにこの時代、蔑まれていた女性を愛し、愛の言葉を語られたキリスト。この方にこそ、創造のはじめに神が創られた男性のアイデンティティがある。
このキリストの生きかたが、私たち男性の生きかたの基となっているだろうか。
He is a cross pendant.
He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel
Bible Verses About Welcoming ImmigrantsEmbracing the StrangerAs we journey through life, we often encounter individuals who are not of our nationality......
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