主が与えてくださったもの
ラスベガス日本人教会 砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を
いつもラスベガス日本人教会のブログを読んでくださっている皆様、ありがとうございます!私はこのブログチームに参加させて頂くことになったTKと申します。主を愛する喜びをいろんな方に伝えることができる幸いを、神様に感謝です。さて、ブログを書くにあたって、私の自己紹介から始めさせて頂こうと思います。私は現在UNLVでホスピタリティを専攻しており、ラスベガスに来てから1年が経ちます。ラスベガスに住む前にはフィラデルフィアにあるコミュニティカレッジに、2年間通っていました。神様がフィラデルフィアで与えてくださった家族のおかげで、神様について知るきっかけを与えて頂きました。歴史の街フィラデルフィアから。。。都会ラスベガスへ。。。初めて教会へ行ったのは、一緒に住んでいたホストファミリーの奥さんが連れて行ってくださった、中国教会を訪れた時です。そこで英語部の牧師先生と、彼の奥さんに出会いました。三人で一緒に時間を過ごすうちに家族のようになり、私が困難を乗り越えようとしている時には、御言葉をシェアしてくださいました。また、学校のイベントで、クリスチャンのアメリカ人女性とも出会いました。彼女とも、2人だけの時間を過ごすうちに、お互いのことを姉妹として思うようになりました。彼女は私の信仰を引き上げてくださる良きパートナーであり、悩んでいる時にはアドバイスをくださるお姉さんです。この素晴らしい出会いの中で、神様の存在を意識し始めていましたが、なかなかクリスチャンになる決意はできませんでした。特に私が最後まで受けいれるのに時間がかかったのは、私の中にある罪の性質と、イエス様が私のために死んでくださったということです。私の心は固く閉ざされており、“受け入れられない”という強い思いがありました。私はどうしてもいつもしてしまう、自分の嫌いな所があります。それは、怠惰な所です。私は長年それを直したいと思っており、自分がするべきことを計画通りにできる日もあります。しかし、必ずいつも怠惰な自分に戻ってきます。そんな自分が嫌いで、なぜそうなってしまうのか考えた時に、自分の中にある罪の性質について気づかされました。イエス様については、聖書を何度も何度も読んでも、長い間はただ心に響かず、架空の人としてしかとらえることができませんでした。しかし鶴田先生との勉強会を通して神様が私たちのためにしてくださったことについて学びました。イエス様が私たちの罪のために死なれ、その十字架の贖いのおかげで、私たちはクリスチャンとしての新しい命が与えられるのです。私が罪人の一人だと気がついたように、私たち全員がそうなのです。ローマ人への手紙3章23節に、「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができない」と書いてあるとおりです。しかし、神様はイエス様を信じるすべての者の罪を赦し、全く新しい者に造り変えて下さるのです。コリント人への手紙第2の5章17-18 節にこうあります。「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」私の中にある罪の性質と私たちのためへのイエス様の十字架について学んだ時、私はイエス様の犠牲に感謝してもしきれませんでした。同時に、私たちは神様によってまた造りかえられたのですから、それを喜ぶこともできます。神様の御業はなんて素晴らしいんでしょうか。私は神様の新しい創造物ですから、私が自分の中の罪の性質のせいで怠惰でも、神様に頼ることで、怠惰を乗り越える希望を持つことができます。まだまだ勉強不足で胸を張ってイエス様について語ることはできませんが、イエス様が私たちの罪のために死なれたことの、感謝の気持ちはいつでももっていたいと思います。(理想では(*^^))神様が私に見せてくださった御業はもーーーーっとあるのですが、書いても書ききれないので、今回はここまでにします。今はクリスチャンとしての成長を導いて頂けるよう、毎日祈っています。大したお話ではないですが、私のこの話がまだ神様を知らない方々へ、神様を知りたいと思うきっかけになりますように!(TK)
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