暗闇に射し込む光」

ここで引用される聖書の著作権は日本聖書協会に属します

あの夜、一体何が起こったのだろうか? ルカ福音書はこう書き始める。「その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた」(8)。音楽で「パストラーレ」というのは、普通「田園曲」などと訳されているが、本来はこの場面を表現した曲をいうのだと聞いたことがある。「パストラーレとは羊飼いのことだ。

だが、この羊飼いたちは「パストラーレのように牧歌的な気分でいたわけではない。夜の闇の中で不安だった。狼が襲って来はしないか。いや、ある意味では狼よりも恐ろしい羊泥棒や強盗が隙を窺っているかもしれない。緊張していた。そこへ突然、見たこともないような不思議な光が射し込んで来る。「主の天使の光である。「主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた」(9)。この場面をレンブラントは見事に描いている。

暗い中で急に光が輝けば誰だって驚くが、羊飼いたちの恐れは、単に「あっ、ビックリしたという程度ではない。人生の深い不安から来たものだ。羊はいつ狼に襲われるか分からないし、急に病気になって死ぬかも知れない。保険や年金制度などまだない時代のことである。将来の保証は全くない。不安にならざるを得ない。

この羊飼いたちの不安は、我々にもいくらかは理解できよう。むろん我々の暮らしは、あの頃よりは良くなっているだろう。しかし、景気はいくらか上向きになったとはいえ不況は長引いている。特に中小企業に厳しい。リストラもあるし、失業率も最高だ。貯金は目減りするし年金も危ない。国は何十兆という借金を抱えている。「少子高齢化で若い人たちの肩には莫大な負担がのしかかる。その上に戦争やテロだ。米英が勝手に始めた戦争を首相が早々と支持したために、そのツケがこの国にも回って来て、お金を出すだけでは済まなくなり、自衛隊を派遣することになった。戦後半世紀以上戦争をせず、従ってただの一人も殺さなかったこの国の若者が、戦闘に巻き込まれて相手を銃撃することになるかもしれない。そうなればこちら側にも死者が出る。こう考えれば、我々もあの羊飼いたちと同じように、深い不安の闇の中にいる。

しかし、天使はあの羊飼いたちに向かって、「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった」(10-11) と言ったのだ。これを我々は、自分たちへのメッセージとして聞くことが出来る。イエスの誕生は、我々にとっても大きな喜びであり、暗闇に射し込む光なのである。どうしてそう言えるのか?

ところでこの秋、大江健三郎さんが『「新しい人」の方へ』という本を出された。今年の1月から4月まで『週間朝日』に連載された、中学生ぐらいの人々のためのエッセーを集めたもので、夫人のゆかりさんが美しい挿し絵を描いている。

その中にこういう文章がある。「私は、…なにか愉快な話をしたいという気持ちが強い少年で、その結果、ウソつき、といわれることがよくありました。中学生のころ、本や辞書で見つけた不思議な話が面白くて――たとえばタスマニアの動物には、とても多くのものにカンガルーのような育児嚢がある、というような――運動場のすみで何人かの友達に受け売りしていると、上級生のとてもきれいな女子生徒が、私を指さして、――いつもウソばかりいっている子! といっているのでした」(88頁)。

あの年頃の男の子にとって、「上級生のとてもきれいな女子生徒からそんなことを言われるのは耐え難いことだったろう。大江さんは傷ついて、家に帰っても暗い顔をしていた。私は彼と何度か話したことがあるから、この時の気持ちががある程度分かるように思う。大江さんは時に微笑ましい茶目っ気を発揮するが、心の深い所では実に繊細で真摯な人だ。

その彼が、この本の最後に、これを書いたのは「若い人たちに『新しい人』になってもらいたい」ためだ、と真剣な筆使いで述べている。心を打たれた。

彼は、この「新しい人という言葉を新約聖書から取ったという。それは、「実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し…」(エフェソ2,15)という箇所だ。彼はクリスチャンではないが、このエフェソ書の言葉を、生半可なクリスチャンよりも遥かに正確に理解した。それは、次のような文章からも明らかだろう。

「私は、なにより難しい対立のなかにある二つの間に、本当の和解をもたらす人として、『新しい人』を思い描いているのです。それも、いま私らの生きている世界に和解を作り出す『新しい人(たち)』となることをめざして生き続けて行く人、さらに自分の子供やその次の世代にまで、『新しい人(たち)』のイメージを手渡し続けて、その実現の望みを失わない人のことを、私は思い描いています」(178頁)。

さらに、「私はただ、十字架の上で死なれた、そして『新しい人』となられたイエス・キリストがよみがえられたということを、つまり再び生きられて、弟子たちに教えを広めるよう励まされたということを、人間の歴史でなにより大切に思っています。それも私の大切だと思う中心にあるのは、『新しい人』として、ということなのです。いつまでも生き続ける『新しい人』というイメージが根本にあるのです」(179頁)。これは、信仰の告白そのものではないか。

イエスがこの世界に生まれてきたということは、大江さんも言うように、「人間の歴史でなにより大切な」出来事、その意味で「暗闇に射し込む光なのである。

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