狼は小羊と共に宿り」

ここで引用される聖書の著作権は日本聖書協会に属します

心の内に強く促すものがあって、今年のクリスマスはイザヤ書11章の預言について語りたいと思う。先ず、この個所の時代背景について簡単に述べる。

イザヤは、紀元前8世紀の後半にユダのエルサレムで活躍した預言者である。その頃、イスラエル王国は南北に分裂して既に久しく、その上、当時最強の帝国であったアッシリヤの脅威が東から迫っていた。結局、北王国はアッシリヤによってB.C.722年に滅ぼされるのだが、その直前にシリヤとの間に「反アッシリヤ軍事同盟を結び、南王国ユダにも加盟を求めた。しかも大軍を送ってエルサレムを包囲し、圧力をかけたのである。これが「シリヤ・エフライム戦争」である。ユダのアハズ王はひどく動揺した。アッシリヤも恐いが、シリヤ・エフライム連合軍も恐い。そのために「王の心も民の心も、森の木々が風に揺れ動くように動揺した(イザヤ書7,2)。

もちろん、当時の世界情勢は現在とは違う。しかし、同じ民族が南北に分裂して緊張関係にあったことや、超大国が我が物顔に覇権を拡張しようとしたことなど、今と似た点がなくもない。その中でイスラエルは相変わらず、軍事力に対抗するには軍事力しかないと考えていた。発想が貧困である。これは、当時も今も変わらない。

この軍事優先の戦略を突き破り、乗り越えたのがイザヤだった。彼は王に向かって、「落ち着いて、静かにしていなさい。恐れることはない」(イザヤ書7,4)と直言した。目先の不安に駆られて軍事同盟などに頼るのは愚かなことだ。アッシリヤの大軍の前では、そんなものは何の役にも立たない。それに、どんなに強大な帝国でも神の定めた時が来れば必ず倒れる。神がそのように歴史を支配し給う。イザヤは、このような歴史洞察と主なる神への信仰に立っていた。だから、「ジタバタするな!と言えたのである。これは、その場逃れのいい加減な気休めなどではない。彼は言った。「武装せよ、だが、おののけ。戦略を練るがよい、だが、挫折する。決定するがよい、だが、実現することはない。神が我らと共におられるのだから(8,9-10)。これは逆説的な言い方だが、不思議な説得力を発揮する。神が我らと共におられるからこそ、安易な軍事同盟は挫折する。これは歴史の真実ではないか。

こうして、イザヤは一貫して軍事力に頼る道を斥け、平和的手段で事態を解決するように王に勧めた。彼はこうも言う。「主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない。ヤコブの家よ、主の光の中を歩もう」(2,4)。真の「シャローム」こそ神の意志だ、というのである。

11章の預言も、この線上にある。神が歴史を支配される以上、そこにはやがて必ず救い主(メシア)が来る。彼は「エッサイ(=ダビデの父)の株からひとつの芽が萌えいでる(1)と信じていた。切り倒された木の切り株から思いがけなくヒコバエが生えて来るように、一見望みがないように見えるこの世界に、メシアが来る。その方は、3-4節によれば、「主を畏れ敬う霊に満たされる。目に見えるところによって裁きを行なわず、耳にするところによって弁護することはない。弱い人のために正当な裁きを行ない、この地の貧しい人を公平に弁護する」。つまり、表面的な印象や肌の色によって、また、根拠のない噂や先入観によって人を判断せず、権力者におもねったり社会的弱者を不公平にあつかったりもせず、正義と真実による支配を地に確立する。「神が我らと共におられる(インマヌエル)とは、そういうことだ。

そして、それが現実のものになったとき、「狼は小羊と共に宿り、豹は子山羊と共に伏す。小牛は若獅子と共に育ち、小さい子供がそれらを導く」(6)とイザヤは言う。つまり、「弱肉強食が無くなり、真の「共生が実現するというのである。「わたしの聖なる山においては、何ものも害を加えず、滅ぼすこともない。水が海を覆っているように、大地は主を知る知識で満たされる(9)。

これは余りに理想主義的だろうか? よく言われるように、狼が小羊を食い、豹が子山羊を餌にするのは「自然界の掟ではないか?「弱肉強食は残酷に見えるが、むしろ、この食物連鎖によって自然界は絶妙なバランスを保っていると専門家は言う。私もこれを否定しないが、これを単純に人間界に当てはめるのはいかがなものか。

動物は、本能によって、例えば「同じ種の他の個体を必要以上に攻撃したりすれば種全体が滅びるということ正確に知っているし、限度をわきまえている。他の種との「生存競争においても、上手にバランスを取る。本能は、「共生」という目標のために働いているとしか思えない。

だが、人間の場合、本能は動物のように鋭敏ではない。その代わりに理性を働かすように造られているからだ。しかし困ったことに、その理性が十分に機能していない。それは何よりも、神が天地万物を創造した時、「共に生きる」ことを望まれたということを信じる信仰の目が曇っているからだ。同じ種同士で徹底的に殺し合うのは、「理性を誇る」(?!)人間だけだ。しかも、「弱肉強食を持ち出して非人間的な競争社会を肯定したり、「闘争本能」を持ち出して戦争を正当化したりするから始末が悪い。

イザヤ書11章の美しい預言は、神はすべてのものが愛し合って「共に生きる」ことを望んでおられるという真理を我々に示している。そして、それは主イエスの愛において既に始まっているのである。だからこそマタイは、主イエスの誕生こそ「インマヌエル」預言の成就であると言い(マタイ1,23)、パウロも「実に、キリストはわたしたちの平和である」(エフェソ2,14)と言ったのである。

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