キリストの謙虚」

ここで引用される聖書の著作権は日本聖書協会に属します

 フィリピ書2章でパウロは、「何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え、めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい(3~4節)と教えている。これは謙虚の勧めだが、特にキリスト教的というわけでもない。「高慢がよくないというのは、人間のモラルとしてかなり普遍的である。箴言にも、「高慢なまなざし、傲慢な心は神に逆らう者の灯火(21,4)とある。

 第4世紀の偉大な神学者アウグスティーヌスは、「キリスト教の教えで何が一番大切ですか?と弟子に問われたとき、一言、「フミリタス(humilitas.謙遜)と答えたという。「では、二番目に大切なものは?という問いに対して、再び「フミリタス。「三番目は?と聞かれると、同じように「フミリタスと答えた。

 彼はその際、単に対人関係におけるモラルを教えたのではないであろう。むろん、それも重要だが、それ以上に、彼は真に謙虚であったイエスのことを思っていたのではないか。「人に愛された者が人を愛すると言われる。そのように、この世界には、我々に先んじて、真に謙虚に生きたイエスがおられる。彼を知るとき、我々は深く心を打たれる。自分たちのような人間がいくらかでも謙虚になれるとすれば、それはイエスが既にそういう生き方を示されたからである。アウグスティーヌスが「フミリタスと言ったのは、そういう意味だったのではないか。

 さて、パウロも前述の言葉を受けて、「互いにこのこと(=謙虚)を心がけなさいと言った後で、「それはキリスト・イエスにもみられるものです(5節)と続ける。彼もまた、真に謙虚に生きたイエスを指し示しているのである。もっとも、新共同訳は原語に忠実ではあるが、いささか歯切れが悪い。文語訳聖書の、「汝らキリスト・イエスの心を心とせよという単刀直入な言い方で十分だろう。「へりくだること。そして、「自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払うこと。これは単なる道徳を越えて、「キリストの心なのだ。そして、この「キリストの心が我々の世界を根底において支えているということを、我々は知らなければならない。

 さて、パウロはこの「キリストの謙虚をさらに掘り下げる。「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました(6~7節)。

 このことを良く理解するために、これと正反対のイエスの言葉を引用しよう。「異邦人の間では、支配者と見なされている人々が民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている(マルコ10章42節)。

 この背景には、疑いもなく当時全盛を極めていたローマ帝国の権力機構がある。むろん、ローマに限らない。いつの時代でも、政治的・経済的・軍事的により強大な力を握る者が、無力な者を征服し、抑圧し、自らの目的のために仕えさせるなど、権力を振るう。「弱肉強食は自然の摂理であるとか、「力こそ正義であるというような理論を振り回し、「普通の国として核武装さえ正当化しようとする。――これが我々の世界の現実であって、イエスはそれをはっきり見据えていた。

 だが、その現実を直視した上で、イエスは言われた。「しかし、あなたがたの間では、そうではない! 絶大な軍事力を背景に戦争を仕掛けることは、神が造られたこの世界の在るべき姿ではない。劣化ウラン弾やクラスター爆弾を撒き散らして見境なく子供たちを殺傷することも、世界の在るべき姿ではない。そのような戦争を支持し・協力することも同様である。「あなたがたの間ではそうではない! イエスはこう言われることで、我々の世界の現実に根本的な疑問を投げかけたのだ。

 イエスがこの世に生まれてきたのは、このような世界の現実を是認したり黙認したりするためではなかった。そうではなく、自ら徹底して他者を愛し・他者と共に生きることによって、我々の世界の在り方に根本的な疑問符をつけるためであり、その対極にある全く新しい「愛の世界を創り出すためであった。「人の子は仕えられるためではなく、仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来た(マルコ 10,45)。これこそ、「自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられたという言葉の具体的な内容なのである。

 第4世紀にキリスト教がローマ帝国の国教とされて支配者的な立場に立って以来、「人の子は仕えられるためではなく、仕えるために来たというキリストの謙虚は事実上無視されて来た。「キリスト教的と自称するヨーロッパと、その体制を支えた教会は、「仕えるどころか、高ぶって自らを絶対化し、支配者として君臨した。その結果、あらゆる堕落が生じたのである。魔女狩りや十字軍。ヨーロッパ以外のさまざまな文化に対する優越意識。他宗教を見下す姿勢、等々。そして、それは現代に至るまで受け継がれている。この高ぶった世界!

 だが、我々は今、この高ぶった世界のただ中に、あの謙虚な主イエスを迎えなければならない。徹底して他者を愛し・他者と共に生きることによって「弱肉強食的な生き方に根本的に否定した主イエスに、もう一度、我々の世界の中に来て頂くこと。それが「クリスマスを祝うことの意味ではないだろうか。

 アドヴェント第三主日。来週はいよいよクリスマスを迎える。

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