辻川 宏
単立 ホサナ・キリスト教会 牧師
教会は、この世にある集団・共同体の中で、非常にユニークな存在です。年齢も賜物も趣味も社会的な地位も異なり、民族の違う者たちが、キリストにあって「一つ」にされている群れです。
主イエス・キリストが「わたしの教会(単数形)を建てます」と言われているとおりです。相違点の多い者たちが、キリストの十字架の血によって、罪を赦され、「一つ」の神の家族に加えられているのです。それは、互いの交わりによって成長し、外に向かっては伝道と言う使命を果たすためです(ローマ14:18-19、マタイ28:18-20)。
いっしょに集まる
教会が祝福されるには、キリスト者が一人ひとり、日ごとに神との交わりにより、み言葉の糧によって養われることが大切です。「日々新たにされ成長する」必要があります(2コリント4:16、1ペテロ2:2)。しかし、現実の問題として、この世の嵐に翻弄されたり、試練に押し潰されたり、人間関係に疲れてしまうことがあります。
ですから、聖書は「ある人々のように、いっしょに集まることをやめたりしないで、かえって励まし合い」(ヘブル10:25)と勧めています。
初代キリスト教会は、主にあって一つにされ、物心両面において互いに助け合い、命に輝いた、喜びに溢れた、愛の共同社会を築いていました。「毎日、心を一つにして宮に集まり、家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、神を賛美し、すべての民に好意を持たれた」と記されています(使徒2:46、47)。
交わり
礼拝は、神との交わりで、縦の関係とすれば、「交わり」は、主によって救われている兄弟姉妹たちとの交わり、神の家族としての交わり、横の関係です。まず礼拝において、主によって選ばれ、一つにされている、この聖なる連帯意識を強くすることが大切と思います。
私たちの教会の礼拝では、「開心の時」があります。感謝の証しや祈りの要請もあり、主の前で喜びや悲しみを共にしたり、重荷を分かち合います。これが互いの横の交わりを深め、確かにしてくれるきっかけともなります。
「交わり」とは、ギリシア語では「コイノニヤ」です。キリストの十字架によって、神との交わりが与えれています(1ヨハネ1:3)。その結果、キリスト者は互いに、真実な愛の交わりができるのです。
主の再臨を待ち望み、主イエスを恋い慕う花嫁として、キリスト者の交わりは、清く、真実で、熱いものが感じられるものでありたいです。この愛の冷えきる終末の時代のただ中で、教会には、キリストの香りがプンプン漂う「コイノニヤ」→「恋の匂いや」と感じさせる「交わり」をつくり出して行く努力が求められているのではないでしょうか(ヨハネ13・34、35参照)。
そのために、初代教会をお手本として、次のことを心に留めたいものです。
信仰の原点に戻る
互いにキリストにあって「新しく」されている(2コリント5:17)ことを認め合う。救いの恵みを共に感謝すること。
へりくだる
神は、「無に等しいものを選ばれた」(1コリント1:28)。この事実は、私たちを謙虚にさせてくれます。
「初めの愛」に戻る
全身全霊を傾けて、キリストを愛すること(黙示録2:4、マルコ12:30)。私たちは、罪赦された者として「赦し」を実践する。「赦し」は、交わりの潤滑油のような働きをします(エペソ4:32)。
共感し合う
喜びや悲しみを共感し、分かち合う。「良かったね」「辛いね」と声をかける。また安否を問い合うことも大切です(ローマ12:15)。
祈り合う
どんな事でも、誰のためにも祈ることができます。祈りは特権です。祈りは、天の窓を開いてくれます。祈りは、主にある「交わり」を広くし、豊かにし、また深くし、強くしてくれます(エペソ6:18)。
He is a cross pendant.
He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel
Bible Verses About Welcoming ImmigrantsEmbracing the StrangerAs we journey through life, we often encounter individuals who are not of our nationality......
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