安楽死が自殺だということは、前回のお話で理解できました。では、尊厳死の場合は、どうですか。
「尊厳死」になると途端に、私の答えは歯切れが悪くなります。というのは、この問題は大変難しいからです。まず、定義しておきましょう。尊厳死とは、「無意味な延命行為を拒否して、人間としての尊厳を保って死ぬ」ということです。「無意味な延命行為は要らない」、「自然に死にたい」というのが尊厳死の精神ですね。
いつものように、3つ申し上げます。
1番目に、何が尊厳死であるかを判定するのは、非常に難しいです。
「いのちを奪ってはいけない」ということは、みなが了解しています。それと同時に、「死期を人工的に遅らせてはならない」というのも理解できます。ただし、この両者のどこに線を引くかということが非常に難しいのです。ですからこのテーマは、大変難しいという前提でアプローチしなければなりません。
2番目に、末期患者が自然に死を迎えられるようにするのは、必ずしも間違いではありません。
例えば、苦痛から解放されるための「ペインコントロール」というのがありますが、これは、人道的な取り組みですので、容認されるべきです。
けれども、不自然な延命治療はすべきではないと思います。つまり末期患者に対しては、ペインコントロールという処置を施しつつ、自然に死を迎えられるように導くのが良いと思います。
しかし3番目に、とても重要なポイントがあります。尊厳死の実行に関しては、極めて慎重に判断すべきだということです。
前回申し上げたように、安楽死は自殺です。尊厳死は安楽死とは違いますが、拡大解釈の危険性をはらんでいます。つまり、尊厳死を擁護することが、「生存権への脅威」となる可能性があるということです。「生産性がない人間は結局生きる価値がないのだ」という考え方が醸成されるなら、それは社会にとって大変危険なことです。「生きていても意味がない、生産性がないから。だからもう死んでいただいていいんだ」というような考え方は、いのちの尊厳と真っ向から対立するものです。
今日の結論は、こういうことです。
尊厳死は、極めて慎重に判断した結果、かろうじて許容されるものである。このことを、憶えておいてください。
「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。植えるのに時があり、植えた物を引き抜くのに時がある」(伝道者の書3:1〜2)
He is a cross pendant.
He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel
Bible Verses About Welcoming ImmigrantsEmbracing the StrangerAs we journey through life, we often encounter individuals who are not of our nationality......
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