泊まる場所

ここで引用される聖書の著作権は日本聖書協会に属します

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「泊まる場所」

廣石望
創世記18,1-8;

I

 日本のクリスマスは、とりわけ親しい友人たちや会社の同僚たちと共に、レストランその他で祝われますが、私が1990年代に留学したドイツ語圏スイスでは、町のお店はぜんぶ閉まってしまい、家族でたいへん静かに祝われていました。昔の日本の正月に近いかもしれません。

 ただ、少しだけ違ったのは、その家族の交わりの中に、外国人である私たち一家を招いてくれる友人が毎年いたことです。友人一家の親族、つまり両親や祖父母、姉妹兄弟や従姉妹その他が集まる中に、私たち一家も招かれて子どもたちもいっしょに遊びました。また当時、私の住んでいた町には一人の有名な牧師がいて、市当局の福祉課とかけあって、路上生活者たちを一流ホテルに招くクリスマスの食事会をオーガナイズしていました。そこでメッセージを語る彼の姿は、クリスマスのニュース番組の風物詩でした。

 つまり友人同士だけでなく、また「親子水入らず」だけでもない、「よそ者」をもてなす気風が当地のクリスマスにはありました。

 私たちの社会では社会格差が広がり、孤独死に象徴される無縁社会の度合いも強まり、さらに世界には、たくさんの避難民や難民がいます。そのような状況で、よそ者をもてなすことは、キリスト教会にとって大切な視点のひとつであろうと思います。

II

 先ほど朗読したルカ福音書によるイエスの誕生物語は、ヨセフとマリアの夫婦が居住地であるガリラヤのナザレから、ダビデ家系ないし氏族に属する婚約者ヨセフの故郷であるユダヤのベツレヘム、つまり古の王ダビデの出身地への旅について語られます。

 ヨセフの婚約者マリアは妊娠しており、彼女はベツレヘムで出産したと言われます。旅立ったときに妊娠何か月であったかは明言されていませんが、親族の支援のない旅先での出産しかも初産は、夫婦にとって大きな負担であったでしょう。

しかし、彼らがそこ(ベツレヘム)にいるとき、彼女が出産するための日々が満たされることが生じた。そして(彼女は)彼女の息子を第一子として出産し、彼を布にくるみ、飼い葉桶の中に彼を寝かせた。彼らには、客間には場所がなかったので。(6-7節)

 新共同訳聖書には「宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである」とあり、昨年出版された協会共同訳には「宿屋」の別訳として「客間」という欄外注がついています。

 この「客間」という欄外注の背景には、古代中東文化研究の成果があります。この時代の庶民は、人間と家畜が同じ屋根の下に住んでいたそうです。つまり日本でいう土間には家畜たちが住み、居間との境――日本でいう上がり框――に飼い葉桶があり、居間には家族がひとつ空間で生活し、その奥にある部屋が客間として提供されたそうです。――つまりモーテルや旅籠の部屋が満杯なので、家畜小屋に泊めてもらったというより、一つ屋根の下の宿泊客用の空間がすでに先約で埋まっていたので、家族用の居間に泊めてもらい、土間にいる家畜たちのための飼い葉桶に赤ん坊を寝かしたと理解できるとのこと。

 そうだとしたら、マリアは他人の家族その他で溢れかえっている空間で出産したことになります。同時に、仮に同じ氏族であるとしても、近しい血族でない旅人夫婦を家族と同じ空間に宿泊させ、出産まで世話したファミリーの存在がここにあります。

 赤ん坊イエスは、そうした客人たちをもてなす中で生まれました。

III

 私たちの物語には、有名なストーリーが続きます。荒野の牧羊者たちが天使の告知を聞いてベツレヘムを訪れ、誕生したばかりの赤ん坊のイエスを探し当てたというものです。

 牧羊者たちは「露天で、夜通し羊の群れの番をしていた」とあるように、都市ないし村ベツレヘムの外部に滞在しています。彼らは、都市に家屋を所有し、夜間はそこで眠る者たちとは別の社会層に属するでしょう。古代のユダヤ教文献には、牧羊者はしばしば信用のならない人々として言及されます。定住せず移動し、他人が所有する土地に無断で入り込むからであるようです。彼らが飼育する羊は、自分たちの財産というより、裕福な人々の所有である可能性もあります。現代で言えば、非正規雇用の夜間アルバイトに近いでしょうか。

 その彼らが村の中に入り、生まれたばかりの乳幼児の居場所を突き止めるのです。そして、

彼らは見て、この幼子のことで彼らに語られた言葉について報告した。そして聞いた者たちは皆、羊飼いたちによって彼らに語られたことごとのことで驚いた。(17-18節)

 牧羊者たちが報告したのは、天使が彼らに告げた言葉、つまりその赤ん坊が「一人の救済者つまり主キリスト」であることです(10節)。赤ん坊イエスの正体は、外部者から初めて、彼らを家の中に迎え入れることでもたらされました。

 こうしてベツレヘムの人々は、ガリラヤから来た同族のヨセフとマリアという夫妻を受け入れて初めて、さらに村落共同体の外部で暮らす牧羊者たちを受け入れて初めて、そこに誕生した赤ん坊のイエスが「キリスト(メシア)」であるというメッセージを受け取ることができました。

IV

 さて、以上のようなイエス誕生の物語を外側から取り囲む二組の者たちがいます。そのひとつが、ローマ帝国の支配者たちです。

かの日々に、カエサル・アウグストゥスから、全世界が登録されるようにとの命令が出た。この登録は、クィリニウスがシリアの司令官であったとき、最初のものとして生じた。(1-2節)

 登録は人頭税を徴収するためです。じっさいユダヤ・サマリア地方は、紀元6年にローマ直轄領となり、そのとき属州シリアの司令官クィリニウスが人口調査を行ったことが知られています。ローマ皇帝とその部下から見て、ユダヤ民衆は支配と収奪の対象です。彼らの意志が、私たちの物語の外枠になっています。

 じつは、もう一人の支配者とその部下たちがいます。神と天使たちです。マリアに現れた天使ガブリエルは、神の霊が「その陰であなた覆う」(1,35)と告げます。また野宿をしている牧羊者たちの前で、天の大軍勢は「栄光はいと高き神に」と歌います(2,14)。そしてこの赤ん坊は、誕生の8日後に、天使のお告げに従って「イエス」と名付けられました(2,21)。

IV

 つまりルカ福音書のイエス誕生物語は、ローマ皇帝とその部下の命令に従って移動する夫妻の物語で始まり、神とその天使たちのメッセージの告知とその実現で閉じられます。

 そして、この枠に囲まれる仕方で、ベツレヘムの人々がガリラヤ人夫婦を――産褥の穢れをものともせず――家族の居住空間の中に受け入れ、さらにはそこに村落共同体の部外者である牧羊者たちをも迎え入れることで、神のメッセージを受けとったと物語ります。

 イエス誕生のできごとは、私たちが通常であれば関わりの合いのない人々を互いに結び合わせます。言い換えれば、私たちが通常の価値観の外部にあると思われる人々を交わりの中に招くとき、ないし私たち自身がそこに招き入れられるときに初めて、イエスがキリストであるという告知もまた私たちのもとに届くでしょう。


 
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