毎年、待降節になると、私はヨッヘン・クレッパーのことを思わずにはいられない。説教の後で歌う讃美歌243番の歌詞を書いた詩人である。
彼はちょうど百年前(1903年)に、ドイツのシュレージエン地方(現・ポーランド領)の小さな町で牧師の息子として生まれた。多感な少年時代を送った後、ブレスラウ大学で神学の勉強を始めたが、当時の神学部の「聖書を死体解剖をするような(!)学問に馴染めず、断念して文学に転じた。しかし、毎朝『日々の聖句』(ローズンゲン)を開き、そこに記されている聖書の箇所を人生の導きの光として読み、心に響いた聖句は必ず日記の冒頭に記していた。
そうこうする内に、彼は年上のユダヤ人女性ハンニ・シュタインと運命的な出会いをする。クレッパーは、死別した前夫との間に生まれた二人の娘と暮らしていたハンニと結婚し、娘たちも心から愛した。しかし、詩人としての収入はまだ少なく、生活は厳しい。その上に、反ユダヤ的な社会風潮は高まる一方である。前途に不安を抱えて暗い気持ちでいたとき、1937年11月27日、それはアドヴェント直前の土曜日のことであったが、朝『日々の聖句』を開くと、「夜は更け、日は近づいた。だから、闇の行いを脱ぎ捨てて光の武具を身に着けましょう(ローマ13,12)というパウロの言葉が目に飛び込んできた。これは特別な感動だったらしい。彼は詩心をかき立てられる。3週間かけて完成させたのが讃美歌243番で、これは彼の代表作である。クレッパーが「アドヴェントの詩人と呼ばれるのは理由のないことではない。
この日本語の歌詞は、讃美歌としては中々良いと思うが、かなりの意訳である。原詩の意味内容をなるべく正確に掴むために、敢えて私の拙い直訳を紹介しよう。
第一節はこうである。「夜は更けた。もはや朝も遠くはない。だから、輝く明けの明星に向かって讃美の歌を歌え!夜通し泣いた者も、喜ばしく声を合わせよ。明けの明星はあなたの心配や苦痛をも照らしている。
夜の暗さが極まったその時に、東の空が白み始め、明けの明星が一際輝きを増す。これは自然界に起こる転換である。だが、彼はこの自然現象を歌ったのではない。「輝く明けの明星とは主イエスのことである。我々の苦しみがどん底に達した時に、それを代わって負われたイエスの姿が輝きを発する。それによって救いが近づいて来る、と言っているのだ。第二節に「すべての天使に仕えられる神が、今、幼子(=イエス)となり、僕となった。神ご自身がその義を償うために現れた。地上で負い目を負う者も、もう頭を垂れるな。幼子を信じれば彼は救われる」と書いた通りである。
イエスが幼子となり、また僕となって、この暗い世の中に来られた。そこに救いがある、と彼は心から信じていた。これは疑いのないところである。だからこそ、第三節では「夜のとばりは既に消えようとしている。起きてあの馬小屋に向かえ!そこで、お前たちは…約束されている救いを見出すだろうと歌ったのである。
さらに、第四節。「神は暗闇の中に住もうとなさり、しかもその暗闇を照らされた!…全世界を造られた方は、罪人を放っては置かれない…。
だが、その暗闇がまさにクレッパー一家を呑み込もうとしていた。この詩を作った翌年、38年の11月9日には「帝国水晶の夜と呼ばれたユダヤ人大迫害が起こる。何千人というユダヤ人が各地で虐殺された。迫害は日増しに激しくなり、遂に42年1月20日には「ヴァンゼー湖畔の秘密会議が開かれた。ユダヤ人を根絶やしにしなければ問題の「最終解決は望めないというヒトラーの主張が国家の方針として確定したのがこの時だ。すべてのユダヤ人は強制収容所に送られることになった。
クレッパーは、妻と娘たちの助命嘆願に奔走したが無駄であった。辛うじて娘の一人をスウェーデンに亡命させることには成功したが、もう一人の娘レナーテと妻のハンニは悪名高い「絶滅収容所に行くことが決まる。彼は、愛する妻と娘をそんな所へ送って自分だけ生き残ることに、到底耐えられない。こうして最後が来る。1942年12月10日、今週の水曜日がその記念日に当たるが、彼は妻と娘と三人で死ぬことを選ぶのである。この日は、アドヴェントの第二週であった。
キリスト教の信仰では「自殺は許されないと言われてきた(カトリックでは、それは今日もなお「重大な罪である)。だから、広く敬愛された詩人ヨッヘン・クレッパーの自殺は、教会にも周囲の人々にも衝撃を与えた。我々も問わずにいられないだろう。「他に道はなかったのか?。「あの素晴らしい詩を作ったクレッパーの信仰はどうなったのか?。「明けの明星はあなたの心配や苦痛の上にも輝いているといい、「幼子を信じれば救われる」と告白した信仰を、彼は放棄したのだろうか?
否、私はそう思わない。罪は、彼のような人々を追いつめて生きる希望を奪った権力者の側にある。この権力者の罪は、今日もいくらか違った形で繰り返される。どれだけ多くの人が、強大な力を持つ者の理不尽な仕打ちによって自ら死を選んだことだろう。このことを問題にしないで犠牲者を責めるのは、キリスト教的ではない。
クレッパーは、日記の最後のページにこう記した。「午後、秘密警察本部で交渉。我々は死ぬ。ああ、これもまた神のみ旨か。我々は今夜一緒に死んで行く。この最後の時も、我々の枕元には祝福を与えるキリストの像が立っている。彼は我々のために戦い給う。その眼差しの中で我々の人生は終わる。彼は自ら死を選んだが、最後の瞬間にも十字架の主イエスを見上げていた。このことは確かである。
He is a cross pendant.
He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel
Bible Verses About Welcoming ImmigrantsEmbracing the StrangerAs we journey through life, we often encounter individuals who are not of our nationality......
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