試練は人生に幸いをもたらす」
ラスベガス日本人教会 砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を
今日は、‘
試練は人生に幸いをもたらす’ということを考えてみました。人は生きている限り、誰でも試練を経験するものです。そして、この試練は、私たちの心の向け方次第では、人生の大きな転機となったり、また私たちの人格形成に大いに役立ちます。聖書の中にも、試練や患難に関する多くの記述があり、それらが良い目的のために用いられることが述べられています。パウロは、「患難は忍耐を生み出し、忍耐は練達を生み出し、練達は希望を生み出す」と言いましたが、試練や苦難や患難を、神から与えられた訓練として受け止めていくなら、そこには物事に対する新しい解釈が与えられ、そこを通らなければならない確かな理由が見出されるものです。聖書の中に、人類史上、最大の試練を経験した人物として、ヨブという人が登場します。ヨブは、その厳しい試練を通して‘神の主権’ということを学び、そこから彼の人生に驚くべき回復がもたらされるのです。旧約聖書のヨブ記によれば、主人公ヨブは神が自慢されるほどの素晴らしい信仰の持ち主であり、また東の国で一番裕福な人でした。ところが、突然、彼の身に二度に渡って大きな試練が訪れ、すべての財産と十人の子供たち全員の命を失ってしまいます。そして更に、全身をひどい皮膚病で覆われ、陶器の破片で体中をかきながら、灰の中に座って苦しむのです。「こんなことになっても、まだあなたは神を敬うのですか? いっそのこと、神を呪って死になさい」と言って冷たく見放す妻に対し、ヨブは、
「われわれは神から幸いを受けるのだから、災いをも受けるべきではないか」と言って、ひと言も神に不平を言うことがありませんでした。
ヨブの苦難を聞いて、三人の友人がヨブを慰めるために訪ねて来ますが、想像を絶するひどい光景に、三人とも言葉を失ってしまいます。変わり果てたヨブの姿のあまりのひどさに、三人は一週間もの間ヨブのそばに座ったままで一言も声を掛けることすらできません。やがてヨブは、「どうして罪のない者が苦しむのですか」と神に問いかけるようになりますが、神は一言もお答えになりません。三人の友人は、ヨブに対し、試練の原因はお前にあるのだから、黙って神の戒めを受け入れよ、と説得します。ところがヨブは、全く身に覚えのない友人たちの忠告に対し、自分の身の潔白を訴え続け、「私には、何も思い当たるところがない」と言い続けるのです。次に、ヨブと友人たちの論争を聞いていたエリフという若者が来て、「神はあまりにも偉大で、人は神の思いをすべて理解することなど出来ないのだから、自分を賢い者としないで、全能の神を恐れ敬いなさい」と勧めます。そして、この長い友人たちとの論争の後、最後に神ご自身が、
「無知の言葉をもって、神の計りごとを暗くするこの者はだれか」とヨブに語りかけ、次のような事を延々と問われるのです。・ わたしが地の基をすえた時、どこにいたか。もしあなたが知っているなら言え。・ 星の配置を決めておられるのはわたしであって、あなたではない。・ 野ロバを放って自由にし、荒野をその住みかとして与え、本当ならば死んでしまう筈の荒地でこれらを生かしているのはわたしであって、あなたではない。・ たかが舞い上がり、その翼を伸べて南に向かうのは、あなたの知恵によるのか。・ 鷲が駆け上り、その巣を高い所に作るのは、あなたの命令によるのか。・ 非難する者が全能者と争おうとするのか、神と論ずる者はこれに答えよ。つまり神は、人間が知りうる筈のない事をすべて知り尽くした上で、絶対主権をもってこの世を支配し、ただ最善のみをなしておられるのだから、その神を認める事こそがすべての問題解決の鍵であり、人生の問題は結局、この神理解に帰着するのだ、ということをヨブは悟るのです。そこでヨブは、神の前に、地面に頭をこすりつけるようにして悔い改めの祈りをします。それに対し、神は、昔ヨブが東の国で一番の金持ちであった時の二倍の富を回復させ、新しい妻との間に十人の子供が与えられ、娘たちは、その国で一番美しいと言われるようになりました。そんな素晴らしい人生を、ヨブはこの試練を通して得ることとなったのです。あなたは今、試練の中におられますか。あなたは、その試練があなたに幸いをもたらすものであることに同意できますか。ならば、あなたは今どんな一歩を踏み出す必要があるでしょうか?
今日の一言: 試練は人生に幸いをもたらす鶴田健次
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