天の父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたにありますように。アーメン。
クリスマス ―― すてきな祭
今年もクリスマスを守りました。皆さんの多くは、25日にはまだ仕事をしておられたことを私も知っていますが、それでも、お祝いはなさったと思います。
クリスマス。毎年、どんなに熱い思いでこの祝日を待ち望んでいることでしょう。子供たちはプレゼントを、大人は家庭での静かな時を楽しみにしている。私の家では、クリスマス・イブにやっとプレゼントを開きます。ツリーの下に皆が一緒に座り、バッハのクリスマス・オラトリオを聞き、キッチンからは美味しそうな匂いが居間に流れ込んでくる。平和です。そして、子供たちは遊んでいる。その後の数日も華やかで、お客さんが大勢来ます。
クリスマス ―― 表面的な祭
しかし、大人や子供が楽しみにしているだけではありません。それを喜ぶ三番目のものがあります。商売です。クリスマス前になるとデパートは贈答用の商品で溢れ、ひっきりなしにスピーカーからクリスマスの曲が流れ、どこの街角にもサンタがいて、素敵なクリスマスを祝うためにお客さんがどうしても買わなければならない品々を売り出しています。
クリスマス。それは、日常から脱け出す試みです。しかし、日常は払いのけられるものではありません。心配事はなくならないし、いつかまた、それは圧倒的な力でぶり返す。どんな祭にも終わりがあるからです。
信仰とはなにか?
クリスマスとは一体何なのでしょうか? 日常を美しく覆い隠すこと、何か素敵な行事、一年の特別の時に貰うプレゼントの包み、といったものでしょうか? でも、私たちがそこに見出すのは、本当は、心配事で満ちたその他の日々の生活と同じではないか? 多くの人はそう考えるかもしれません。最後は、クリスマスなどというものはメルヒェン(童話)に過ぎず、メルヒェンチックな気分でお祝いをする結構なチャンス以外の何物でもない、という結論に達する。―― 実際、多くの人にとっては、祝祭の根拠にはこの気分だけで十分なのです。だから、私がこの日本でも見聞きしたように、クリスチャンでなくてもクリスマスを祝うのです。
商業は、この時期の生活を、一枚の美しい包装紙で包みます。多くの人はその際、クリスマスの本来の意味を見る目を失い、別に深い意味などなくてもお祝いをする機会だと見ているに過ぎません。それを商業は臆面もなく利用します。この祭の背後にキリストへの深い信仰があるということなど、もはや真面目に考えない。だから、祝祭の行事はすべてメルヒェンなのです! この時代の人々、時代精神に従ってただ目に見えるもの・証明できるものだけを正しいとする人々は、「メルヒェンなど誰が信じるだろうか?と自問するでしょう。包装いが、本来の出来事とその意味を見上げる彼らの目を塞いでしまったのです。ですから、彼らはこの問いに対して「私は信じない!と答えるでしょう。
しかしながら、それが単なるメルヒェンチックな信心に過ぎないということを見抜く目、つまり、信仰の目にとって、本来の出来事とは何か? 聖書には、信仰について意識的に別の仕方で語られています。信仰とは、人がそこへ巻き込まれざるを得ないようなもの、しかも戦いを意味するかもしれないような何物かなのです。聖書そのものは、信仰を安易なものとして描いてはいません。
聖書のテキスト:ヘブライ人への手紙 11,8-12 (省略)
服従と徒歩旅行としての信仰
ここでは、文体から見て非常に円熟した未知の著者が、ユダヤ人キリスト者の教会に対して、信仰から脱落しないように戒めています。彼はこの箇所で、アブラハムの信仰について、何よりも服従と徒歩の旅と性格づけている。その際、アブラハムの服従が、彼の徒歩の旅の原因をなしています。信じるということは、この世で起きている出来事と上手く調和して生きることを意味せず、この世に対して批判的であること、この世の不正義を受け入れないことを意味します。私たちは、この一つの世界に属している。私たちはニュースで、毎日のように新たな暴力が燃え盛っていることを読みます。信じるということは、この私たちの世界の中で、理解できないほど異なる経験をするということです。私たちは、予想もしなかったような状況と日々新たに出会う旅人なのです。
この世界の恐ろしい出来事を見て、それでも信仰を失わないこと、そして勇気を失わないことは、難しい。私たちは旅の途上にあり、異なる経験と付き合うことを学ばねばなりません。その実例として、私自身の経験からお話したいと思います。
私は今のところ、遠い異国にいます。到着したその日、私は既に最初の教訓を学ばねばなりませんでした。夜通し飛行機で飛んで無事に京都に着き、宿舎に入ったのはまだ午前中でした。昼頃、まだたっぷり時間があるので、外出して夜になってから帰ればいいと考えました。出るときに入り口の引き戸に気がつきました。それは、私の目には実に見慣れないものに映ったのです。これさえ目印に覚えておけば、自分の宿をまた見つけるのは簡単だろう、と思いました。一日中楽しんだ後、さて帰ろうとしたのですが、これが思ったほど簡単ではなかった。やっとその通りは見つけたのですが、その道には同じような引き戸のついた、似たような古い家が余りにも沢山あることを知って、私は愕然としました。自分の宿を見分けることなど出来そうもありません! 私は忍耐づよく捜し、そして有り難いことに日本の人々の助けによって、夜も遅くなってからその家を見つけ、自分の部屋で眠ることが出来たのです。
外国で暮らすということは、新しい経験をするということですし、新たな方向づけが必要になるということです。信仰もまた、方向づけを必要とします。ヘブライ人への手紙はいろいろな例を挙げていますが、そこでは、信仰はそんなに自明のことではない。例えばサラについて、神の約束に対する彼女の反応は疑いと嘲りであったと、創世記は報告しています(創世記18,10-15)。信じるということは、簡単ではありません。ペトロなども、何度疑ったことか。疑ったために、彼はゲネサレ湖に沈みそうになったし、主が捕えられた後、鶏が鳴く前に三度も主を知らないと言ったのです。それにもかかわらず、イエスは彼に、あなたは岩であって、この岩の上に私の教会を建てる、と言われたのでした。
信仰のためには、徒歩の旅をする価値がある
信仰は神の贈り物です。しかし、これを受け容れることは、簡単ではありません。信じるということはしばしば、自分の信仰のために戦うことを意味します。それは、未知の領域で歩いて行くことなのです。その際、私たちには方向づけを持ち続ける、あるいは取り戻すことが必要です。
今日のテキストには一つの驚きが隠されています。つまり、私たちには一つの目標がある、ということです。すなわち、神が設計者であり建設者である堅固な土台を持つ都です。皆さんもきっとご存知でしょう。目標のある旅がどんなに楽しいか。私がドイツで山歩きをするときは、初めから、ビアガーデンの木陰で休憩すること、あるいは友達と一緒に楽しい気分で終わることを楽しみにしていました。目標がなければ、歩いてもそんなに面白くありません。
目標に到達することは喜びをもたらします。京都で最初にあの経験をした後、私は再び宿を見つけて眠ることが出来て、とても嬉しく思いました。それは日本の町で方向を失わないようにするためには良い経験でした。それ以来、私はいつもちゃんと家に帰っています。
信仰にとっては神の都が旅の目標でなければなりません。この目標によって、救い主誕生の祭であるクリスマスも、深い意味を獲得します。メルヒェンのような信仰は捨てましょう! そして、この信仰によって、つまり、神の都を目の前の目標として、私たちは勇気を持ってこの世で働き、不正義や戦争を単純に容認せず、神の創造の意思に従って世界の平和のために行動すべきです。今日のテキストは、信仰のためには、旅をする価値があると明言しています。サラとアブラハムの子孫はどんなに増えたことでしょう! 誕生の喜びを想像して下さい。
ペトリ・ハイル!
私の説教を終わるに際して、私の心にあることをもう少し申し上げたいと思います。人は、一人では旅をしません。友達と一緒ですと楽しいし、その途中で人々と良く知り合えます。たとえば私は、京都で学んでいる仲間と何度も何度も一緒に歩いています。より良く知り合うということは楽しいものです。また、その途中で、同じ目標を目指す他の人々と出会うこともある。私が今皆さんの教会にいるのも、そのためです。私たちヨーロッパのキリスト者も日本のキリスト者も、神の都を捜す同じ旅の途上にあるのですから。そして、私たちの旅のために、私の故郷で旅人が言い交わすように、「ペトリ・ハイル!と言って成功を望みたいと思います。アーメン。
講壇からの祝福
あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守って下さるように。アーメン(フィリピ 4,7)。
(訳:村上 伸)
He is a cross pendant.
He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel
Bible Verses About Welcoming ImmigrantsEmbracing the StrangerAs we journey through life, we often encounter individuals who are not of our nationality......
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