イエスと統治体の権威に関する聖書的な考察(20)証人の排斥処置と会衆の問題報告の聖書的根拠

正しいか間違っているかは別として、私は最善を尽くしましたが、これらは私の意見を表明しているだけです。

 わたしは個人的に淫行のゆえにエホバの証人から排斥されてその後復帰した例を数多く知っています。ネットの世界では、エホバの証人の中で行われている排斥が不当で愛がないという声が、見られます。その声はとりわけ大勢の聖書の反対者や進化論者やエホバの証人の反対者でなるサイトの中で見られます。

 

エホバの証人の排斥処置が聖書的でないと言う個人やグループがいる

神の律法に故意に従わないクリスチャンを会衆から除名するのは聖書的

 しかし、クリスチャン会衆から神の律法に故意に従わないクリスチャンを排斥するのは聖書にかなった処置です。今回の記事では、エホバの証人の間で、行われる排斥処置が聖書的に正しい場合があることを説明したいと思います。

 

 とりわけ長老に、神の律法に違反する人に助言を与えたり会衆から排斥したりして、会衆の健全さや清さを保つ責任があります。また、聖書は長老でない人が仲間のクリスチャンの神の律法の違犯を目撃した場合、それを正すことができる人に報告するのが正しく賢明であることを示しています。 

 それで、聖書の道徳基準を擁護するために、長老も、そうでない会衆の成員もできることをする必要があります。 

(1)エホバの証人の排斥処置が聖書的に正しい理由-パウロのコリント会衆に対する指示 

 パウロのコリント会衆に対する第一の手紙の中では、パウロはコリント会衆で淫行を犯す悪行者がいることを知って、その悪行者を会衆から排斥するようにという指示を出しています。そして、パウロは、そのようにするべき理由を説明しています。 

使徒パウロはコリント会衆会衆の状況を聞いて・・・

コリント会衆へ手紙を書いて淫行の男性を排斥するように指示した

 

 パウロは、コリント会衆での「異国の人々の間にさえ見られないような性的不道徳」について耳にしました。コリント会衆の男性クリスチャンが、「自分の父親の妻を自分のものにして」いました。(コリント第一5:1新世界訳改訂版) 

 これは、たった一度の性の不道徳ではなく、おそらく、男性のクリスチャンが自分の父の妻と同棲するというような多くの目撃証人がいるショッキングな事件だったのかもしれません。後程「多数の人」がその男性を叱責したと述べられているからです。(コリント第二2:6新世界訳改訂版) 

 ところが、多くの人が知っていたにもかかわらず、コリント会衆の監督は何もしませんでした。それでパウロはその状況について心を痛めたコリント会衆の人から報告を受けました。 

 パウロは、次のように指示しました。「私は皆さんの中で性的不道徳が行われていると聞いています。・・・そういうことをした人を追放すべきではないでしょうか。・・・そのような人をサタンに引き渡して悪い影響力を除き去らなければなりません。」(コリント第一5:1,2,5新世界訳改訂版) 

  パウロは、クリスチャンはこの世で生活しているので、この世の「性的に不道徳な人」や「偶像を崇拝する人」と全く接しないようにすることはできないと言いました。(コリント第一5:10新世界訳改訂版)でも、パウロは、神の律法に対する重大な違反がクリスチャンによって故意に繰り返し行われている場合、クリスチャン会衆から排斥するようにと指示しています。 

例えば、パウロはこう述べました。「兄弟と呼ばれる人で,性的に不道徳な人,貪欲な人,偶像を崇拝する人,ののしる人,酩酊する人,脅し取る人がいれば,そのような人とは接するのをやめなさい。一緒に食事をしてもなりません。・・・『皆さんの中から悪い人を除きなさい』」(コリント第一5:11-13新世界訳改訂版) 

 ここにはっきり、兄弟と呼ばれる人に、性的な不道徳、偶像崇拝、酩酊などの重大な神の律法違反が見られるのであれば、その悪い人を会衆の中から除くようにという指示があります。しかし、この指示を履行することに一番責任があり、適任なのはやはり、会衆の長老です。(格言27:23新世界訳改訂版) 

(2)クリスチャン会衆から排斥が行なわれるべき理由 

 パウロは会衆から悪行者を排斥するべき理由を説明しています。パウロは、その理由として第一に、「会衆の健全な精神が守られるようにするため」と述べています。(コリント第一5:5新世界訳改訂版)

  パウロは説明を付け加え、「少しのパン種が生地全体を発酵させる」と言います。パン種とは、「悪意と邪悪」を表しています。クリスチャンは、「誠実と真実の無酵母パン 」の「パン生地」でなければなりません。(コリント第一5:6-8新世界訳改訂版) 

    つまり、クリスチャンは、淫行や殺人や偶像崇拝などをきっぱりと避けて、神に対する誠実さを示し、聖書の教えに真実に従うことが求められています。しかし、そのような悪行を犯すクリスチャンが自分の会衆に存在することを容認するなら、神に対して誠実に忠実につき従うクリスチャンの基準が損なわれて、クリスチャンの道徳基準が徐々に下がっていくことになります。信仰を持たず神を知らない世の人と同じになってしまいます。 

 このように神に対する誠実な態度が損なわれることをパウロは、パンがパン種で発酵することになぞらえました。日本人は、パンやみそなどの発酵食品はだいたい良いものだという常識があります。しかし、発酵も腐敗も、微生物が活動して食品を変化させるというメカニズムは同じです。微生物が活動して、食品が人間にとって有用なものになる時、ふつう発酵と言います。また微生物が活動して、悪臭がしたり、変な味になったり、お腹を壊したりする時に、腐敗したと言います。 

 

邪悪を表す少しのパン種が・・・

David JackmansonElinorD

誠実と真実の無酵母のパン生地を・・・

 

発酵させるつまり腐敗させる聖書の基準からの少しの逸脱が会衆全体に堕落させることになる

 

 ですから、パウロはクリスチャンの神に対する誠実さと忠実さという心の態度を堕落させることをパン生地をパン種で発酵させることになぞらえました。私たちクリスチャンは、ひとりひとりエホバ神の是認を保つために、自分の心が腐敗して、自分の中に「邪悪」を育てて世の人と同じ道徳レベルにならないように努力をする必要があります。 

(3)主宰監督がどのように行動していれば監督から降ろされなかったか 

 その雑魚寝事件の主宰監督の兄弟は、どのようにすれば長老としての立場から除かれないですんだでしょうか。当然、妻が排斥されることになっても、その兄弟が監督としての務めを忠実に行っていれば、その兄弟は、長老としての立場から除かれることにはならなかったのではないかと思います。 

 一晩泊まって帰ってきた姉妹から事情を詳しく聞いて聖書から助言を与えることができたでしょう。もちろん、妻に文字通りの姦淫があったかどうかは、確認するのが、そういう場合のご主人の常だと思います。監督であれば確認するのが義務でした。でも、その兄弟は確認しなかったのでしょうか。 

 性の不道徳があったと、早急に判断されたのかもしれません。もちろん、妻が淫行を犯して反省の色がないというのであれば、妻であっても、ご自分で会衆から排斥しなければならなかったでしょう。 

 さらに、関係者に対して個人的に状況を聞いて聖書的な助言を与えることも必要だったでしょう。さらに、会衆の必要のコーナーなどで、その雑魚寝事件に関連して会衆に対して、聖書的な話をして会衆に助言を与えるべきだったと思います。そのように適切な処置をとっていれば、主宰監督のご主人さんは、たとえ妻が罪を犯していても、長老から削除されなかったと思います。 

 でも、その兄弟の気持ちは同情できます。その同じ会衆に前に特開者の肉の二人の若い独身兄弟たちがいました。その奥さん姉妹が自分で働いて得たお金を使って彼らとよく遊びに行っていたということを聞いています。そのことも、ご主人としてはもうとても不愉快だったでしょう。でも、その特開者たちは任命が変わっていなくなりました。それでご主人としては、これで問題がなくなったと考えてほっとしていたと思います。 

 しかし、その雑魚寝事件は、その特開者の兄弟たちがいなくなってから起こりました。それで、ご主人は、今度は妻が別の若い兄弟と一晩雑魚寝をしたのかと思って、妻が他の若い兄弟にいつも夢中になることにもう耐えられなかったのだと思います。それで、ご自分の個人的な感情だけにとらわれて、もう急いで離婚することしか考えられなかったんだと思います。 

 でも、やはり、長老であれば、会衆の健全な基準を保つという長老の務めを行なわなければならなかったと思います。(テトス1:9) 

 相手の不貞の許容範囲は人によって違います。世の人の場合、また未信者のご主人を抱えた姉妹の場合は、相手の性の不道徳があっても、許して夫婦としての関係を続けるということはよく聞きます。でも、その兄弟の場合、エホバの証人で、しかも監督なので、配偶者に要求する振る舞いのレベルが高かったんだと思います。それで、たとえ性の不道徳がなくても、許せなくて、離婚をされたのかもしれません。 

 でも、基本的に聖書は身体的な結合の淫行だけを離婚の根拠としているので、もし、淫行がなかったということであれば、可能であれば、姉妹を許せたらベターであったとは思います。(マタイ5:32)しかし、離婚した場合は、再婚する自由はなかったので、結婚を控えるのが正しかったと思います。でも、その兄弟は、もしかすると、淫行があったと信じていたのかもしれません。 

 わたしとしては、その姉妹が淫行がなかったということは、その姉妹の言葉だけでは、確信が持てません。その姉妹が淫行の正しい意味を理解されていたかどうかも分かりません。また、この雑魚寝事件は、今から三十年くらい前のことであり、その兄弟姉妹が実際はどうだったのか確認のしようがありません。また、その後どのようにされたのかを知りません。 

(4)会衆の地元の長老に自分の会衆の清さを見守り成員が神の基準から離れたら聖書から助言を与える責任がある 

 この点は、当然エホバの証人の大群衆の長老は、十分分かり切っていることだと思います。聖書は、長老が自分の属する会衆の霊的な状態をよく把握するように努力する必要があると述べています。そして長老は、成員が神の基準から離れる傾向がみられるならば、聖書に基づいて助言を与える責任があると述べています。 

 それは、単に大群衆の長老の権威を振るうことや、自分の個人的な意見に従わせることを意味してはいません。 

 格言には、「自分の羊の群れの様子をよく知っておくべきである。羊をよく世話しなさい 」とあります。(格言29:23新世界訳改訂版) これは、羊飼いに与えられている助言です。ところで、聖書の中では会衆の長老が羊の群れを牧する羊飼いに例えられています。ペテロ第一の手紙の中では、ペテロは長老に「皆さんに委ねられた神の羊の群れを世話してください」と勧めています。(ペテロ第一5:1,2新世界訳改訂版)ですから、会衆の長老は自分の任命された会衆の羊の群れの成員の霊的状態を良く把握している必要があります。 

聖書は長老には牧者として群れを良く知り世話をする務めがあると述べている

 

 テトス書には、「神の信頼できる言葉にしっかり従った教え方」をして、「健全な教えによって励まし」たり、「逆らう人を戒め」たりするようにと指示されています。(テトス1:9新世界訳改訂版) ですから、長老には、信頼できる神の言葉聖書を固守して、聖書の健全な基準を守るよう励ましたり、それから離れようとする人を戒める責任があります。 

 そして、威張ることがないようにと戒められています。(ペテロ第一5:3)ですから、長老の個人的な意見や権威を強調するのではなく、あくまで神の言葉聖書を強調するべきです。 

 さらに続くパウロの言葉によると、「皆が,人と接する上で謙遜さを身に着けてください。 」と助言されています。(ペテロ第一5:5新世界訳改訂版)謙遜さが必要なのは、みんななのですから、若い人だけでなく、長老たちも謙遜さが必要です。 

 つまり、長老たちも不完全で、罪を犯したり、失敗したりすることがあり、判断で間違うことがあることを認める必要があると思います。 

 監督たちも間違いをする可能性があるのですから、長老は会衆の成員に自分の言うことにただ盲従することを求めるべきではないと思います。もちろん、エホバの崇拝や奉仕を促進するために、協力を求めることはできるとは思います。 

 でも、上で述べたように、長老は、会衆の各成員がまず第一に聖書に従うように、教えるべきだと思います。そのようにして会衆の世話ができます。 

 それで、イエスの右手の上にある星が、大群衆の長老であって、大群衆の長老の指導が自動的、奇跡的に正しいものになるという統治体の指導は間違っています。エホバの証人の各成員に聖書の指示を考慮することなく、長老たちに盲従するようにという統治体の指導は間違っていると思います。 

(5)淫行がそのままになっていることをパウロに報告したコリントのひとりあるいは幾人かの兄弟姉妹たち 

  会衆内で神の律法違犯について見聞きする場合、それを会衆の成員がその問題を扱える立場にある監督に知らせるのは、聖書的です。コリント会衆に、甚だしい淫行があるのに、その会衆の長老は、何も適切な行動をとっていないという状況があったことをパウロに知らせた人がいました。(コリント第一5:1,2) 

 このコリント会衆の状況をパウロはどのようにして知ったのでしょうか。パウロはコリント会衆の分裂という問題について、「クロエの家の人たちから聞きました。」と述べています。(コリント第一1:11新世界訳改訂版)おそらく、クロエは、監督ではなく、その問題を扱える立場になかったのかもしれません。洞察の本ではクロエという名前が女性であったことが書かれているからです。監督の立場にないクロエあるいはクロエの家族のひとりがその会衆の正されない淫行の問題をパウロに伝えたのかもしれません。

 

監督でないクロエあるいはクロエの家の者がパウロにコリントの淫行の問題を知らせたかもしれない会衆の問題が正されない時その問題を扱える人に知らせるのは聖書にかなっている

 

 さらに、「ステファナとフォルトナトとアカイコ」は、コリント会衆会衆の成員で、パウロのもとにいたという記述もあります。(コリント第一16:19新世界訳改訂版) ステファナの家の者たちは、ローマの属州アカイアの首府であるコリントに住んでいて、パウロからバプテスマを受けました。それで彼にはアジア地区では、真理に最も古いクリスチャンたちでした。(コリント第一16:15)パウロは、この淫行の問題はこれらの人々から聞いたかもしれません。 

 しかし、ステファナとフォルナトとアカイコの中には、会衆に責任を持つ長老兄弟たちも含まれていたかもしれません。 

 いずれにしても、パウロはこれらの人々の誰かから、コリント会衆の憂うべきニュースを聞きました。そして、コリント会衆では、会衆の長老たちによって、問題が扱われていませんでした。女性のクリスチャンであれば、排斥処置をとることはできませんでした。もし、姉妹であれば、できることはパウロにそのことを知らせることだけだったのでしょう。 

 それで、パウロはコリント会衆に手紙を書いて、その淫行をした人を会衆から除くように、つまり排斥するようにと指示を与えました。そしてパウロのその指示は実行される結果になりました。ですから、聖書はクロエの家の人たち、あるいは他の誰かが地元の会衆で解決されていない問題を扱える立場にあったパウロに知らせたことは、適切であったことを示しています。 

 ですから、わたしがその当時地元の会衆で扱われていない問題を日本支部に知らせたことは決して間違ってはいなかったと思います。そして、わたしは、手紙の中で性的な不道徳があったと支部に知らせたわけではありません。ただ自分の知っている状況だけを知らせたに過ぎません。 

 もし、わたしがそのことを知らせたことで、憤ったクリスチャンがいたのであれば、クリスチャン会衆内で維持されるべき道徳基準に対するその人の認識が低いということになるのではないかと思います。 

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Emmanuel

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