キリストとの関係を公言してキリストの是認を得る(新共同訳)

正しいか間違っているかは別として、私は最善を尽くしましたが、これらは私の意見を表明しているだけです。

 マタイ10章ではキリストは、今の時代にクリスチャンとして必要な心構えを私たちに教えてくださっています。(マタイ10:32-39)イエスの言葉は私たちが時流に迎合するのではなく、エホバ神とキリストの是認を追い求めるよう私たちを励ましてくれます。

 ますますクリスチャンにとって事態は難しくなると考えられるので、これらのイエスの言葉はクリスチャンが熟考すべき言葉だと思います。

 「だれでも人々の前で自分をわたしの仲間であると言い表す者は、わたしも天の父の前で、その人をわたしの仲間であると言い表す。しかし、人々の前でわたしを知らないと言う者は、わたしも天の父の前で、その人を知らないと言う。」とイエスは、言われました。(マタイ10:32-34)

James Tissot - Online Collection of Brooklyn Museum; Photo: Brooklyn Museum(jesus40)イエスは人前でご自分との関係を公言する人はご自分の是認を得ると言われました

 この言葉は私たちが神とキリストに是認されるかどうかが、私たちが神とキリストとの関係を公言するかどうかにかかっていることを示しています。

 しかし、確かに、敵の前で身を隠さなければならない時もあるでしょう。パウロも迫害者から逃げたり、単にその場を立ち去ったりしました。(使徒9:24,25;29,30,13:50,51)聖書は災いが前途にある場合、身を隠すのが賢明である場合があることを述べています。(箴言22:3)

 しかし、私たちが自分の立場を明らかにしなければならない時があります。例えば、私たちが黙っているなら、神とキリストに恥辱がもたらされる可能性がある時などです。 そうした証言すべき時に、もし、私たちが神とキリストとの関係を隠しているならば、私たちはキリストから是認していただけません。

 私は、信仰のない人々の是認を失っても、エホバ神とキリストの是認を求めたいと思います。

 それで、信仰のない人々と交わる時も、自分が神と聖書を信じているクリスチャンであることを公言したいと思います。

CCISCOTown Hall Meeting in Concord, 6-8-13 by Congressman George Miller(makespeech2)人前でクリスチャンとしての立場を公言しましょう

 そして、創造説や聖書の道徳基準を擁護することが、一般社会の中で、人気がないことであっても、聖書の教えを擁護したいと思います。 一般社会で変わっている人々だと考えられても、聖書の教えを守ることが不寛容だと考えられたとしても、聖書の教えを唱道することが一般社会の時流に反していても、聖書が述べていることを隠さないようにしたいと思います。

 イエスは、「平和ではなく、剣をもたらすために来た」と言われました。(マタイ10:34)また、「敵対させるために来た」と言われました。(マタイ10:35)これはキリストは争いを引き起こそうとしているのでしょうか。もしくは、クリスチャンが剣をとって戦うことを勧めているのでしょうか。そうではないと思います。

 イエスは、ペトロがイエスを守るために剣をとって戦おうとした時に、「剣をさやに納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる。」と言われ、そうすることをいさめられたからです。(マタイ26:52)

RALPHPALLEN COLEMAN (jesuspeter)イエスはクリスチャンが剣を取ることを禁じられました

 しかし、クリスチャンが例え、剣を取って戦おうとしなくても、クリスチャンが神と聖書に対する信仰を守ってその教えに付き従うならば、結果として、信仰のない一部の人々はクリスチャンに対して憤るかもしれません。 急進的な人々は、剣をもってクリスチャンを迫害し、クリスチャンは命が危険にさらされることがあるかもしれません。それで、イエスは、剣をもたらすために来たと言われたと思います。

  例えば、ステファノは、敵対的なエルサレムの宗教指導者たちの前で、神とキリストを擁護して、石打にされ殺されてしまいました。(使徒6:15;7:59,60)

 日本の大多数の人々は、仏教徒か神道信者また、無神論者です。それで、時流が変わって戦争気運が高まるなら、それらの人々は、エホバ神ではなく国家や政治支配者を偶像崇拝するよう強制したり、武器をとって戦うようにクリスチャンに強制するかもしれません。

 そのような状況になった時、社会の時流に合わせるようにクリスチャン本人に圧力をかけてくるのは、父親や母親だったり、息子や娘だったりするでしょう。キリストは「家族の者が敵となる」と言われました。(マタイ10:36) そのようになった時、家族の者からののしられたり、暴力を振るわれたりするかもしれません。そういう際に、家族の者に従うのではなく、ただ神に従うことが大切だと思います。

 

http://wellcomeimages.org/indexplus/obf_images/e7/3b/3deab49f3fc1ba78e06b47368949.jpgGallery: http://wellcomeimages.org/indexplus/image/L0007411.html(quarrel1)家族の者に迫害される時神に忠実に従うことが必要です

 しかし、イエスは「わたしよりも父や母や息子や娘を愛する者は、わたしにふさわしくない。」と言われました。(マタイ10:37)それで、神と聖書のおきてに対する忠節は、自分の家族に対する愛よりも優先しなければならないと思います。例え、家族関係が損なわれるとしても、神とキリストに忠節を守り、聖書の教えを守りたいと思います。

 

 また、キリストは「自分の命を得ようとする者は、それを失い、わたしのために命を失う者は、かえってそれを得る」と言われました。(マタイ10:39)例えば、ステファノはサンヘドリンの前で証言して命を失ってしまいましたが、神とキリストの是認を得ていたので、彼は時が来ると天に復活します。(使徒7:55,56)

    これから、キリストに従うならば、命を失う危険性があるという事態になっていくかもしれません。例えば、国民徴兵制度が施行され、兵士として戦わなければ投獄されたり、死刑になったりするような国際情勢になるかもしれません。

 しかし、自分の今の命を守るために神とキリストに対する信仰を捨てたり、神の基準から離れたりするなら、今の命は一時的に永らえるかもしれませんが、一番大切な永遠の命を失ってしまいます。(マタイ10:39)   しかし、神とキリストに従って神の基準を守る人は、たとえ、今の命を失っても天もしくは地上の楽園への復活によって永遠の命を得ることができます。(ヨハネ12:25。黙示録20:4)

 ヘブライ書には、悪魔が「死をもたらす手だてを持つ者」と述べられています。私たちは、「死に対する恐れのために生涯奴隷の状態に服して」しまうことがあります。(ヘブライ2:14,15)でも、クリスチャンは悪魔の奴隷の状態になりたいとは思わないでしょう。

 しかし、キリストは、贖いの犠牲を備えて下さったので、私たちの罪が許され天での霊者として復活する見込みが開かれました。私たちは天での命の希望をとらえるためには、キリストの死により備えられた復活の希望に信頼を寄せて今の命を捨てる覚悟が必要です。(黙示録12:11)

 ですから、例え、命を失うことになっても、キリストとの関係を公言して、聖書で禁じられている偶像崇拝や殺人を避けるようにしたいと思います。

 しかし、ある場合、神はご自分に従うクリスチャンを今の体制の中で保護してくださいます。神とキリストに従うために、この事物の体制の中で、難しい事態に直面しても、神は逃れ道を備えて下さり、クリスチャンが今の命を失わないように助けて下さることがあります。

   聖書には次のような言葉があります。「エホバのみ名は強固な塔。義なる者はその中に走り込んで保護される。」(箴言18:10新世界訳)「人に対するおののきは,わなとなる。しかし,エホバに依り頼んでいる者は保護される。」(箴言29:25新世界訳)

 人に対する恐れのために、神への忠節から離されてしまうことがあります。しかし、これらの言葉は人への恐れに負けることなく、神のみ名を用いて神に助けを祈り求める時、神は今の命に対する保護を与えて下さる場合があることを示しています。

 とりわけ、世界情勢が厳しくなる時に、キリストの助言に従って山に逃げることも、私たちが生き永らえるのに貢献することになるでしょう。(マタイ24:15,16)また、キリストは迫害の厳しい都市からは逃げて他の都市に行くようにという助言もされました。そういう措置も私たちの命を守るということがあるでしょう。(マタイ10:23)

   聖書は数えきれない程の数の国際的な大群衆が大患難を生き残ることを預言しています。(啓示7:9,14)この預言が成就するためには、エホバ神のご自分の民に対する保護がなければ不可能です。聖書は、今の命で神とキリストの保護が差し伸べられることを示しています。

(greatcrowd34)聖書は大患難を生き残る神の民が数えきれない程になることを予告していますー今の命に神の保護があるのです

 

 神とキリストとの関係を公言することは、殉教する危険性もありますが、神とキリストとの良い関係を守り、永遠の命に導きます。また、神とキリストとの関係を公言することは、神とキリストからの今の命の保護ももたらし得ます。

 それで、今の命を長らえることができるとしても、今の命を失うとしても、私たちは必要な時に人々の前で神とキリストに対する関係を公言してエホバ神とキリストに対する是認を追い求めていきましょう。

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