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習慣は品性を作る”

今日は‘習慣は品性を作る’ということについて考えてみました。 「すべての事にあなたの進歩があらわれるため、これらの事を実行し、それを励みなさい」(1テモテ4:15) 私たちは、救われた瞬間に全く新しい霊的な生まれ変わりを経験しますが、依然として、取り除かれ、取り替えられなければならない古い習慣や行動パターンがあります。私たちは、自分の現実の姿を謙遜になって直視することを恐れます。真理は私たちを自由にしますが、最初は、私たちを惨めにします。 自分の性格の欠陥を正直に直視することへの恐れは、私たちを、いつまでも自分はそういう者ではないという“否定の獄”に閉じ込めてしまいます。しかし、もしそれを否定し続けるなら、その欠陥の周りに自分自身を築き上げていくことになるのです。私たちには、もし自分の中のも

ゴールデンルール”

今日は、‘ゴールデンルール’について考えてみました。 ある人が、サンタモニカのモールの外で風船を売っていました。売れ行きが思わしくなくなると、この風船売りは大きな風船を一つ空に飛ばしました。風船が空に舞い上がると、新たに子供たちが集まり、しばらくの間、また風船の売れ行きが良くなるのです。彼は色を交互に変え、白い風船、赤い風船、青い風船、黄色い風船、緑の風船を放ちました。 しばらくすると、小さな黒人の少年が風船売りのズボンを引っ張り、彼の目を見つめながら、こんな質問をしました。「おじさん、黒い風船も手を離したら、飛んでいくの?」。風船売りは少年を見て、思いやりと理解と優しさを込めてこう言いました。「坊や、風船が飛んでいくのは、色には関係なく、中に入っているもののおかげなんだよ」。すると、その小

11月10日献堂式のお知らせ

ハレルヤ!2002年8月22日の教会設立以来、祈り求めていた私たちの教会堂が、この度与えられました事を主に感謝致します。そしてこの新教会堂が与えられるまでに携わってくださった全てのご奉仕者の方々、また、多くのお祈りで支えてくださった方々に心からの感謝を申し上げます。来る11月10日に、ラスベガス日本人教会の新教会堂の献堂式を予定しております。場所:新教会堂 1800E Desert Inn Road , Laa Vegas , NV 8919献堂式礼拝:午前11時献堂式祝賀会:午後1時祝賀会では挨拶、祝辞、賛美、日本舞踊、詩吟、教会のヒストリーの放映などが予定されています。献堂式は、神様から与えられた教会堂を神様に捧げる儀式です。私Sao は、洗礼を受けたこの教会が新教会堂を与えられ、

教会移転決定

(先日、カリフォルニアに引っ越された未樹姉妹もお手伝いに来て下さいました)教会の移転が決まり、9日(日)が現在の教会での最後の礼拝となりました。礼拝後は皆で引っ越し作業を行いました。かねてから手狭になってきた現在の教会に代わる場所を探し、様々な候補地の下見を重ねてきましたが、ついに良い場所が見つかったのです。場所は、Las Vegas Blvd(ストリップ)を南下していき、South Point Hotelの少し手前にある、Vegas Point Plazaというショッピング・センターの一角にあります。I-15のSilverado Ranch Blvdの出口から約1分と車で非常に便利な場所です。9155 Las Vegas Blvd S #108, Las Vegas, NV 89123 (

平和な人間関係”

今日は、‘平和な人間関係’について考えてみました。平和な人間関係を築き、維持するための重要な要素のひとつは赦し合いということです。あなたもこの問題で苦しんだ経験をお持ちですか? 誰にとっても、人を赦せないのには、それなりの理由があるものです。しかし、どんな理由であれ、人を赦せないとき、その人は赦せない人に心を束縛され、自分を苦しめてしまいます。たとえ自分が100%正しく、相手が100%悪くても(普通、そんな事はありませんが)、たとえ仮にそうだとしても、その赦せない思いは、あなたの心を束縛し、傷つけ、あなたを不幸にしてしまいます。そして、その赦せない思いは’平和な人間関係’を壊してしまうのです。この事について聖書は、「互いに忍び合い、だれか他の人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい

イースターの不思議”

今日は、‘イースターの不思議’ について考えてみました。“イースター” は、ご存知の通り、十字架で死んだイエス・キリストが三日目に死からよみがえった“復活”を祝う日で、クリスマスと共に測り知れない重要な意味を持っています。ところが、多くの人々にとって、キリストの復活はそう簡単には信じられないもので、それを信じるクリスチャンたちは論理性に欠ける人種として簡単に片付けられてしまいます。しかし、そういう人種の中にニュートン、コペルニクス、ケプラー、ガリレオ、ベーコン、デカルト、パスカルといった近代科学の開拓者達がいることは、そう簡単にこの問題を片付けられないことを物語るのではないでしょうか。“事実は小説より奇なり” と言われます。キリストの復活は確かに不思議極まりないことですが、実はこの不思議な出

感動的な話”

皆さん、新年明けましておめでとうございます。今日は、新年に当たり、“感動的な話”をお分かちします。私たちの中に潜む優しい心を引き出してくれそうなお話です。ある家庭に脳に障害のある男の子が生まれた。そして数年後、さらに次男誕生。小さい頃弟は喧嘩の度に、「兄ちゃんなんてバカじゃないか!」と言うのを聞いて母親は悲しんだ。だが、母は何も言わずじっと待つことにした。兄が小学一年生に入学した時、同級生を招いて兄の誕生日の祝いをしたが兄は、悲しいかな急に招待した同級生を殴りはじめた。その時、弟が飛び出してきて・・・・「お兄ちゃん・・・殴るんだったら僕を殴って。」「僕なら痛くないから!!」それを聞いた母は心の中で「ぼうや、ありがとう。。。」と言った。その弟が小学一年生に入学した時隣の席は手に障害のある子だっ

マリアーノ・ゴンザレス氏 ハープ・コンサートのお知らせ

(2007年8月8日 教会でのハープコンサート)12月7日(日)礼拝後に行われるハープ・コンサートはすごいです!世界的ハープ奏者のMariano Gonzalez氏をお迎え致します。マリアーノさんには昨年の8月8日にも私達の教会でコンサートを開いて頂きました。その時も会堂に座りきれないほどのたくさんの方にお越しいただきましたが、今回ももちろん一般の方でも大歓迎です。12月7日(日)礼拝11:00より ハープ・コンサートは13:30開始予定 ラスベガス日本人教会にて(Map)[マリアーノ・ゴンザレス氏 プロフィール]アルパの本場、パラグアイ生まれ。歳の頃より父や伯父よりギターとアルパを習い始める。国立のArtistico y Cultural del Ministrio Defensa Nac

本物の善

今日は、“本物の善”ということを考えてみました。ところで皆さんは“善”をどのように定義されますか? 善に対する定義はかなり相対的で、人によって、国によって、時代によって、また置かれた状況によって、善であることの捕らえ方に違いがあるのが現実かも知れません。またそれは悪についても同様で、その定義はかなり相対的です。では、いかなる違いによっても変わらない普遍的な善、本物の善というものはないのでしょうか。どの時代の、どの国の、どの人にも適用される、普遍的な善。それによってどんな悪にも勝利し、すべての人間関係に最良の結果をもたらす本物の善というものがあるとしたら、それはどんなものでしょうか。私たち人間には生まれながらに罪の性質があり、その性質から出てくる行いは、善に対して悪を行い、悪に対して悪で報いる

人を思いやることの難しさ”

今日は、”人の心を思いやることの難しさ”について考えてみました。人の心を思いやるということは何と難しいことでしょうか。特に人の隠れたところにある事情を知らないとき、私たちは人の見える部分だけを見て相手を判断し、さばいてしまうようなことがないでしょうか。人はしばしば、誰にも言えない隠れた重荷を抱えて生きている、ということがあるものです。ある高校生がこんな事を書いていました。私の母は昔から体が弱くて、それが理由かは知らないが、母の作る弁当はお世辞にも華やかとは言えない質素で見映えの悪い物ばかりだった。友達に見られるのが恥ずかしくて、毎日食堂へ行き、お弁当はゴミ箱へ捨てていた。ある朝、母が嬉しそうに「今日は〇〇の大好きな海老入れといたよ」と私に言ってきた。私は生返事でそのまま高校へ行き、こっそり中

明け渡しの意味”

今日は、自分自身を神に明け渡すことについて考えてみました。 信仰生活は戦いです。しかし、私たちが犯しやすい間違いは、創世記32章にあるヤコブのように、その戦いが、しばしば神との戦いになることです。つまり、私たちは無意識のうちに神と戦っているのです。その戦いは絶対に勝てる戦いではないのですが、それでも私たちは神との戦いとは知らず、それを試みるのです。 多くのクリスチャンが未だに同じ問題を抱え、その問題にほとんど進展が見られないということがあります。その理由は、自分の中にある心の王座を神に譲ろうとしないからです。つまり、私たちは自分を神の立場に置き、自分の思いを貫きながら、私たちの内になされようとする神の業を妨げている場合があるのです。 私たちは神ではないし、これからも絶対に神にはなれません。私

友達”

今日は、友好週間にちなんで、“友達”について考えてみました。アメリカのある若者の話を紹介します。 僕が高校一年生になって間もない頃のことだった。ある日、同じクラスの男の子が学校から歩いて帰るのを見た。彼の名前はカイル。彼は学校から彼の本を全部持ち帰っているようだった。僕は思った。‘いったい誰が金曜日に自分の本をすべて家に持って帰るだろうか。あいつはきっとガリ勉野郎に違いない。’ 僕には週末は色んな計画があった。友達と一緒にパーティーをしたり、フットボールをしたり。僕は肩をすくめて、また歩き出した。歩いていると、突然、たくさんの子供が彼のほうに走り寄るのが見えた。彼らは彼に飛びかかり、彼の腕から本をたたき落とし、彼を地面に倒した。彼の眼鏡は飛んで10フィートほど離れた芝生の上に落ちた。彼が少

日本二十六聖人の殉教

1957年(慶長元年)2月5日、長崎の西坂の丘で外人宣教師名、日本人信者20名が十字架で処刑されるという事件が起きました。この殉教者たちを、日本二十六聖人と呼んでいます。今から415年前、時は豊臣秀吉の天下でした。この事件がおきる48年前にフランシスコ・ザビエルによってキリスト教が初めて日本に伝えられました。秀吉は最初、南蛮貿易の益も考え、キリスト教に対する大きな迫害は起こしていませんでしたが、159年のサン=フェリペ号事件をきっかけに迫害が強まり、禁教令を公布し、みせしめの為に2人を捕らえ、処刑するように命じました。24人のキリスト教信者は捕らえられ、京都・堀川通り一条戻り橋で耳を切り落とされ(秀吉の命礼は耳と鼻をそぎ落とす事との事)、裸足のまま、厳冬の道を京都から長崎まで縄で縛られ、引き

クリスマス”

今日は、 “クリスマス”について思いをめぐらしてみました。今年ももうじきクリスマスですね。私が初めてクリスマスを意識するようになったのは幼稚園の頃だったと記憶しています。もちろん、その頃は、クリスマスがイエス・キリストの誕生を祝う日だとは知りませんでした。クリスマスと言えば、サンタクロースとクリスマスケーキ、それに靴下に入ったプレゼントくらいしか頭になかったような気がします。それ以来、高校生になるまで、クリスマスの表面的な意味すらも知らず、またクリスマスがイエス・キリストの誕生を祝う日と知ってからでさえ、その背後にどんな意味があるのか考えたことすらありませんでした。ところが、こうしてアメリカに来て聖書に触れ、クリスチャンになり、さらに牧師にまでなって、クリスマスの意味を絶えず味わうようになっ

天に宝を蓄える”

今日は、‘天に宝を蓄える’ということを考えてみました。 私たちに与えられている地上の生涯には限りがあります。100歳以上まで長生きする人もいれば、20歳の若さで死ぬ人もいます。冷静に考えれば、明日の命は誰に対しても保証されてはいません。とすれば、一時的なもののために人生を無駄にしてはならないことを思います。 「私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。」(2コリント4:18) 私たちは、どうでもいいような事のために多くのエネルギーを浪費し、永遠のためには何と僅かなエネルギーしか使っていないことでしょうか。私たちは一時的なもののために人生を無駄にすべきではありません。イエス様は、「手をすきにかけてから、うしろ

エキストラマイル”

今日は、‘エキストラマイルを歩く生き方‘について考えてみました。世界的な経済危機の中で、今までになく多くの人が仕事を失い、就職活動に困難を覚えておられるようです。ここラスベガスは、アメリカでも最も失業率の高い所のひとつに数えられています。ところが、どんな不景気な世の中であっても、どこの会社からも引っ張り凧という人材がいるものです。私も小さいながら20年間の会社経営をした経験がありますが、こういう人ならいつでも自分の会社で働いてもらいたい、或いは、こういう人ならいつまでも会社を辞めて欲しくない、という‘人材’がいることを知っています。また反対に、こういう人はできるだけ採用したくない、或いは、こういう人にはできれば辞めてもらいたい、という‘人罪’がいることも事実です。私自身、振り返ってみて、経営

”高貴な生き方”

今日は、‘高貴な生き方’について考えてみました。ところで皆さんは、どんな人生を送りたいと願っておられますか?もちろん、自分の願い通りにはならないのが人生ですが、少なくとも、こんな人生を生きたい、という目標を持つことは大切なことだと思います。フランス語に、ノブレス・オブリージュという言葉があります。これは日本語に訳すと‘高貴なる義務’という意味です。つまり、王侯貴族のような富や権力を人よりも多く持っている者は、それだけ人よりも多くの社会的義務と責任があるという考え方で、これは「多く与えられた者からは多く求められる」という聖書の言葉がその土台になっています。また、この考え方はヨーロッパにおける指導者観の基本で、その源流は‘騎士道’つまり‘ナイトの精神’であり、‘紳士の道’つまり‘ジェントルマンシ

もっとも非凡な人 ジョージ・ホィットフィールド

15歳になったばかりのジョージは、イギリスのグロスターにある、サウスゲート・チャペルの牧師コール先生の口まねをするのが大得意であった。彼は母親と義父のために、居酒屋の番をしながら、毎晩のように、近所の牧師の口まねをして楽しんでいたのである。ジョージが他人の口まねをしたり、劇的な演出をする才能を持っていることは、近隣に知れ渡っていた。学校では、市長が年に一度訪れるときに、いつも彼がスピーチをするように頼まれるのだった。ときには、幾日も学校をずる休みして、演劇の練習をしたりしたこともあった。彼が15歳になったとき、学校教育は終わってしまった。家族でやっている居酒屋の手伝いに、彼が必要だと母親が言い出したからである。未来の世界的大伝道者となるべきこの少年は、午後と夜の間、居酒屋の床をモップで拭いた

7月24日のお知らせ 「奇跡を体験:力丸嗣夫牧師のメッセージ」

神の奇跡的な癒しを受け、車椅子から立ち上がった。力丸嗣夫先生は生死を分ける重篤な病(死亡率50%)を患われ、劇症で40度の高熱が続き、呼吸困難、両眼の一時的失明、腎機能の完全停止、炎症による多臓器不全に陥るという死線をさまよう試練に遭われたが、ヶ月の治療で完全な癒しを経験された。ところが、それから間もなくして両下肢の状態が不安定となり、歩くのに力が入らず、転倒することが多くなり、検査の結果、脊椎神経のどこかで脳からの指令伝達不良が起こっているとの診断で、身体障害者手帳が交付され、車椅子が貸与されるようになった。そして、日に日に歩くことができなくなり、ついに車椅子生活が始まったのである。その後、半年間に渡ってリハビリをされたが、改善の気配は全くなく、二本の杖なしには立つことさえできなくなられた

より良い価値観を”

今日は “価値観”ということを考えてみました。私たちは誰でも自分の価値観というものを持っています。しかし、よくよく自分の胸のうちを覗いてみると、本音の価値観と建前の価値観を持っていることに気づかされます。また、それは潜在意識に刻まれた価値観と、顕在意識の中に持っている価値観と言い換えることもできるでしょうか。潜在意識の中に刻まれた価値観のほとんどは、自分が幼いときに、周りの近しい大人たち(たとえば両親)の語る言葉を聞き、生き方を見ることで身に付いた、その人たちの価値観のコピーとも言えるものです。ところが、大人になって気づかされることは、そのようにして植えつけられた価値観の中には、悲しいかな、自分の人生にマイナスの効果をもたらす良くない価値観があるということです。そこで、私たちはその良くない価

The Cross Pendant

He is a cross pendant.
He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel

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Bible Verses About Welcoming ImmigrantsEmbracing the StrangerAs we journey through life, we often encounter individuals who are not of our nationality......

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