友達”
ラスベガス日本人教会 砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を
今日は、友好週間にちなんで、
“友達”について考えてみました。アメリカのある若者の話を紹介します。
僕が高校一年生になって間もない頃のことだった。ある日、同じクラスの男の子が学校から歩いて帰るのを見た。彼の名前はカイル。彼は学校から彼の本を全部持ち帰っているようだった。僕は思った。‘いったい誰が金曜日に自分の本をすべて家に持って帰るだろうか。あいつはきっとガリ勉野郎に違いない。’ 僕には週末は色んな計画があった。友達と一緒にパーティーをしたり、フットボールをしたり。僕は肩をすくめて、また歩き出した。歩いていると、突然、たくさんの子供が彼のほうに走り寄るのが見えた。彼らは彼に飛びかかり、彼の腕から本をたたき落とし、彼を地面に倒した。彼の眼鏡は飛んで10フィートほど離れた芝生の上に落ちた。彼が少し上を見上げたとき、言いようのない悲しみを帯びた彼の目が見えた。 僕は急に彼がかわいそうになった。彼が地面を這いながら眼鏡を探し始めたので、僕は急いで彼のもとに駆け寄った。彼の目は涙で一杯になっていた。僕は、彼に眼鏡を渡し、「まったく酷い奴らだ」と言った。すると彼は僕を見て、「やあ、有り難う」と言った。彼の顔には大きな微笑があった。それは本物の感謝を表すときの微笑だった。 僕は本を拾うのを手伝いながら、どこに住んでいるか聞いた。意外と僕の家の近くだった。僕はなぜ今まで会わなかったのだろうと聞いてみた。すると彼は、それまで私立の学校に行っていたからだと言った。僕たちは家まで色んな話をしながら歩いた。 彼はなかなか好感の持てる子だった。僕は彼に僕の友達とフットボールをしたいかどうかを聞いてみた。彼は「うん」と言った。僕たちは週末を一緒に過ごしたが、カイルのことを知れば知るほど、彼のことが好きになった。僕の友達もみんな同じ思いだった。 月曜日の朝になった。また巨大なかたまりの本を運ぶカイルの姿が見えた。僕は彼を止めて言った。「おいおい、君は毎日、この大量の本で筋肉を鍛えてるのかい」。彼は笑いながら、持っていた本を半分、僕に渡した。 それからの4年間、カイルと僕は親友になった。4年生になって、僕たちは大学のことを考え始めた。カイルはジョージタウンに行くことに決め、僕はデュークに行こうとしていた。僕たちはずっと親友だから離れていても問題ないと僕は分かっていた。彼は医者になろうとしていた。僕はフットボールの奨学生でビジネスを目指していた。カイルは卒業生総代になった。彼は卒業式のためにスピーチを準備しなければならなかった。 卒業式の日、僕はカイルを見た。彼はとてもいい感じだった。彼は高校時代に本当の意味で自分を見出せた数少ない一人だった。彼は堂々として、眼鏡がとても似合っていた。彼は僕よりもたくさんデートをし、女の子たちはみんな彼のことが好きだった。 彼はスピーチのことで少し緊張している様子だった。それで僕は彼の背中を叩いて、「おい、大物。きっと素晴らしいスピーチになるぞ」と言った。彼は感謝の眼差しで僕を見ると、微笑みながら、「ありがとう」と言った。 彼は話を始めた。 「卒業は、様々な困難を乗り越えてここまで来るのを助けてくれた人たちに感謝をする時です。私たちの両親、先生、兄弟、そして誰よりも友達。私は今日、誰かの友達であるということがその人に与えることのできる最高の贈り物であることを皆さんに伝えたくてここに立っています。私は皆さんにひとつの話をしたいと思います。」 彼は僕たちが最初に出会った日の話をした。彼は、その週末に自殺をする予定だったのだと言った。彼は、お母さんが後でする必要がないように、ロッカーの本を全部、家に運んだときの様子を話した。彼は真剣な眼差しで僕を見て微笑んだ。そして言った。「感謝なことに、私は救われたのです。私の友達が、取り返しのつかないことを私がすることから救い出してくれたのです」。 僕は、このハンサムで人気者の彼が自分の一番弱いときの話をするのを聞いた群集から驚きの声が上がるのを聞いた。僕は彼の両親が僕のほうを見て、その同じ謝意を表しながら微笑んでいるのを見た。僕は今日のこの瞬間まで、あの時の問題の深さを知らなかった。 感動的な話ですね。私たちは誠意ある親切な行動が持つ力を過小評価してはならないと思います。一つの誠意ある親切が人の人生を変えることもあるのです。神は私たちが互いに影響し合うために、私たちをそれぞれの所に置いておられるのです。
今日の一言: 友達は神からの贈り物 平安鶴田健次