本物の善
ラスベガス日本人教会 砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を
今日は、“
本物の善”ということを考えてみました。ところで皆さんは“
善”をどのように定義されますか? 善に対する定義はかなり相対的で、人によって、国によって、時代によって、また置かれた状況によって、善であることの捕らえ方に違いがあるのが現実かも知れません。またそれは悪についても同様で、その定義はかなり相対的です。では、いかなる違いによっても変わらない普遍的な善、本物の善というものはないのでしょうか。どの時代の、どの国の、どの人にも適用される、普遍的な善。それによってどんな悪にも勝利し、すべての人間関係に最良の結果をもたらす本物の善というものがあるとしたら、それはどんなものでしょうか。私たち人間には生まれながらに罪の性質があり、その性質から出てくる行いは、善に対して悪を行い、悪に対して悪で報いる、というもので、そこには関係の破壊がもたらされるばかりで、何の良いものも生まれません。そういう現実の中で生きている私たちに、聖書はこのような言葉をもって、本物の善がもたらす勝利を指し示しています。
「しかし、いま聞いているあなたがたに、わたしはこう言います。あなたの敵を愛しなさい。あなたを憎む者に善を行ないなさい。あなたをのろう者を祝福しなさい。あなたを侮辱する者のために祈りなさい。」(ルカ:27-28)アメリカの第1代大統領であったアブラハム・リンカーンは偉大な大統領であったと同時に偉大な人物であったと言われています。リンカーンは熱心なクリスチャンでした。彼は小学校もろくに卒業していない人でしたが、神を信じて生きていく過程で、様々な試練を経験しました。苦しい人生を通して、彼は自分の道を捨て、神の道に歩むようになり、そのおかげで大統領になることができたのです。試練や苦難を体験せずには、人は自分の道を捨てようとはしません。苦しい目に会った時に、人は初めて自分の道を捨て、神の道を選ぶようになるのです。 リンカーンが大統領に立候補した時のことです。彼の政敵の一人に、ステントンという人がいました。ステントンは選挙期間中、ずっとリンカーンを中傷し、ありもしないことを捏造して誹謗しました。ある時には、リンカーンの顔形を問題にして、「あの、サルのような顔をした奴・・・」とまで言いました。しかし、そんなことがあったにも拘わらず、リンカーンは大統領に当選した後、ステントンを陸軍大臣という要職に任命したのです。 リンカーンの側近の人たちは、そのことに対して凄く反発しました。しかしリンカーンは、このように説明しました。「彼は私の強敵です。ですから、より強い愛を送らなければなりません。また、たとえ彼が私には敵であったにしても、米国国民には、彼は敵ではないのです。今、南北戦争中です。私たちに必要なのは、ステントンのような有能な人材です。国家・民族のためには、個人的な敵であるとの感情は克服しなければなりません・・・。」 その後、陸軍大臣に任命されたステントンは、リンカーン大統領にはなくてはならない、忠実な大臣になりました。彼は、アメリカの発展に素晴らしい貢献をしました。リンカーンがこの世を去った時に、誰よりも悲しんだのはステントンでありました。彼はリンカーンの葬式の時に棺の前で、「この世で、もっとも偉大な星が去ってしまった」と言いながら、声を出して泣きました。 いかがでしょう。私たちが忘れてはならないことは、「悪に勝つのは、ただ善しかない」という事実です。「敵を愛し、あなたを憎む者に善を行なう」という“本物の善”だけが、悪の輪を断ち切り、問題だらけの人間関係に本当の勝利、本当の和解、本当の平和をもたらすことができるのです。悪で悪の輪を断ち切ることはできません。善で悪に勝たなければならないのです。そのためにも、私たちは人の道ではなく、神の道を歩まなければならないのです。
今日の一言: 悪に勝つのは、ただ善しかない平安鶴田健次
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