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- わたしがそれだ
⇒(MP3, 32kbps)「わたしがそれだ」秋葉正二詩編110,1-7; 捕らえられたイエスさまが裁判を受ける記事です。ここに記されているイエスさまの裁判は最初から明確な意図がありました。55節にあるように、イエスさまに敵対する人々、即ち祭司長・長老・律法学者たちの意図は、イエスさまを死刑にすることでした。イエスさまの裁判は、二つに分かれています。その一つがきょうのテキストであるユダヤの宗教指導者による宗教上の裁判であり、もう一つはすぐ後に続く15章のローマ総督による政治上の裁判です。 宗教裁判は、大祭司を議長として71人から構成される最高法院サンヘドリンによる公式のものですが、最高法院の議場は神殿の中にありますし、神殿の門は夜間閉められていたことが分かっていますから、真夜中に大祭司の屋
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- あの方は死者の中から復活された
⇒(MP3, 32kbps)「あの方は死者の中から復活された」秋葉正二詩編16,7-11; マタイ福音書の復活の記事から学びます。 マタイの復活物語の特徴の一つは、イエスさまの墓に番兵たちがいることです。 共観福音書にはそれぞれ異なる姿で、いわゆる天使が登場しますが、マタイでは天使の登場によって、『番兵たちは、恐ろしさのあまり震え上がって死人のようになった。』 とあり、死人たちの墓を見張っていた者が死人のようになったという、おもしろい記述が印象的です。 そのことはまた5節で、天使がマリアたちに 『恐れることはない。』 と告げていることと対照的です。 「恐れることはない」と告げられる者と、恐ろしくて死人のようになる者が際立って描かれています。 もう一つの特徴は、墓が空っぽであったということの
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- 〈この世〉のために
⇒音声を聞く(MP3, 32kbps)「〈この世〉のために」秋葉 正二詩編103,17-22; キリスト教会はたいていどこでも「主の祈り」を毎週ささげます。 私たちの教会もそうです。 「主の祈り」はイエスさまが弟子たちに祈りの範例として教えられたものですから、イエスさまご自身の祈りとは少し意味が違います。 このことを念頭に置きますと、ヨハネ福音書17章というのは、イエスさまご自身の祈りが全体にわたって記されていて、福音書でも他に類を見ない箇所だと言えます。 福音書記者ヨハネが編集上の筆を加えていたとしても、イエスさまご自身の祈りが中心にあることは間違いないでしょう。 教会の伝承では古来「大祭司の祈り」と呼ばれてきた部分で、イエスさまが神と人との間に立つ大祭司として、残される弟子たちのために
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- 小鳥の生命を思う心
⇒(MP3, 32kbps)「小鳥の生命を思う心」秋葉 正二; マタイによる福音書6,25-26 我が家には猫の額ほどの狭い庭がありますが、その庭の小さな木に、季節に応じて小鳥たちが訪れます。今年はお隣りの家が新築工事中なので、目下物音や人の出入りに警戒して来てくれません。でもまた工事が終わり落ち着けば、きっとやって来るはずです。八百屋さんで少し腐りかけたようなミカンなどが安く売っていると、それを買ってきて半分にカットし、枝に刺しておくと毎日のようにメジロなどが来てくれます。小鳥どうしにも身体の大小によって強者弱者があるようで、メジロがついばんでいると、ヒヨドリやモズが来て、メジロを追い払って自分たちが食べたりしています。柿の実などはどうもカラスが一番強いような気がします。 小鳥の存在を意識
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- 愛を身につけなさい
⇒(MP3, 32kbps)「愛を身につけなさい」秋葉 正二詩編130,5-6; 私たちはいま復活節を歩んでいますが、きょうのテキストでは「キリストと共に復活させられた」という信仰によってしか確信できない生き方を、毎日の生活で実践していくための勧告が述べられています。 愛という言葉は新約聖書にはたくさん出てきますが、きょうのテキストにおいても説教題にあるように、愛が語られています。 有名なキッテルの新約聖書辞典で「愛」の項目を開きますと、何ページにもわたって解説が続きます。 そうとう腰を落ち着けて読まないと読み切れないほどの分量です。 かように愛についての概念は多岐にわたります。 以前、新約聖書で愛と訳されている言葉には幾つか種類があるとお話ししました。 アガペーとかエロースとかフィリアと
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- 神のみ心が行われる社会
⇒(MP3, 32kbps)「神のみ心が行われる社会」秋葉 正二イザヤ書42,1-4; イエスさまの宣教活動は、共観福音書によれば洗礼者ヨハネ逮捕後に開始されています。ヨハネの洗礼運動は相当激しかったようで、人々を眠りから覚まさせました。続々と人々が集まる様子を見て、最も怖れたのは時の権力者だったでしょう。権力者という存在は、権力掌握の絶頂期には誰よりも強く安泰だという意識の中で安坐しますが、少し時が経てばやがて自らの力が失われていくことを感じ始めるものです。歴史が証明するように、権力は必ず翳りを迎えるからです。2010年から2012年にかけてアラブ世界において発生した、前例にない大規模反政府デモを主とした「アラブの春」と呼ばれた騒乱がありました。チュニジアから始まって、またたく間にアラブ
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- イエス、天に上げられる
⇒(MP3, 32kbps)「イエス、天に上げられる」秋葉 正二ヨエル書3,1-5; ルカ福音書と使徒言行録の著者はルカです。 使徒言行録はルカ福音書の続編とも言われて、イエスさまの死と復活後40日にわたる復活の主の顕現と昇天とを、一部分福音書と重複して述べながら、弟子たちが約束であった聖霊を受け、エルサレムから地の果てまで世界宣教に従事するようにと勧めています。 さて、きょうのテキストは復活のイエスさまが天に上げられるという場面です。 これはイエスさまの地上の最後のお姿です。 6節を見ますと、弟子たちが一緒に集まっていた時、彼らのうちの誰かがイエスさまに質問しています。 「主よ、イスラエルのために国を建て直してくださるのは、この時ですか」。 イスラエルの民はもともと選民意識が強
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- 聖霊に満たされて
⇒(MP3, 32kbps)「聖霊に満たされて」秋葉 正二イザヤ書61,1-6; 4章の前半にはペトロとヨハネがサドカイ人や神殿警備長に捕らえられ、牢に入れられて留置された出来事が記されています。サドカイ派は当時のユダヤの指導層の一つであり、サンヘドリンの議会を構成する重要なメンバーでした。捕らえられたと言っても、別にペトロたちが暴力を振るったわけでもなく、悪事を働いたわけでもないし、ユダヤ人社会の秩序を乱したわけでもありません。ですからこの逮捕拘束にはそもそも無理があります。 今で言うなら「信教の自由」を侵害する行為です。翌日議会が召集されて役人、長老、律法学者たちが集まり、ペトロとヨハネをどうするか審議したのですが、結局二人は放免されています。サドカイ派は復活を認めなかったということで
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- 地上のこと、天上のこと
⇒(MP3, 32kbps)「地上のこと、天上のこと」秋葉 正二民数記21,4-9; ヨハネ福音書3章は、「新しく生まれる」ことについてイエスさまとファリサイ派に属する最高議会の議員ニコデモとの対話から始まっています。 その対話では重要なことが幾つか語られています。 きょうのテキストの前の部分ですが、3節に出てくる「人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない」というイエスさまの言葉はとりわけ有名です。 「新たに」と訳されているギリシャ語(アノーセン)は、「上から」という意味でもあるので、「新たに生まれる」ことこそが神の国を見る前提条件であるとイエスさまは言われているのです。 ニコデモが口にした「しるし」という言葉は、いわゆる奇跡です。 奇跡を正しく受けとめるためには、「新たに生
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- 大胆な話しぶり
⇒(MP3, 32kbps)「大胆な話しぶり」秋葉 正二ヨシュア記24,22-27; 先々週学んだテキストのすぐ前の部分がきょうのテキストです。 背景にある物語はもちろん共通で、3章前半にあるペトロが「美しの門」のそばで足の不自由な乞食を癒した出来事です。 それがきっかけになり、ペトロは二回目の説教を始めたのでした。 これに対し、ユダヤの指導者たちがイエスの復活を宣伝しているのはけしからんということでペトロとヨハネを逮捕したのでした。 「二人の語った言葉を聞いて信じた男性が5千人ほどになった」とありますから、その影響力はすごいものであったことが分かります。 ユダヤの指導者側は当然それを放っておけず最高議会を招集しました。 そしてペトロとヨハネになされた質問が、「お前たちは何の権
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- 死が滅ぼされるとき
⇒(MP3, 32kbps)「死が滅ぼされるとき」秋葉 正二詩編8,4-9; テキストの新共同訳聖書には15章12節以下に「死者の復活」という小見出しがついています。ここからは使徒パウロが復活をどのように捉えていたかが窺えます。それは詰まる所「私たちは復活をどう捉えているのか」ということに突き当たります。私たちが自分自身の復活論をきちんと確立するためにも、パウロの復活論をしっかり理解することは有用でしょう。パウロの書簡は一種の神学論文のような理論的で緻密な印象を受けます。私などはしつこいなア、なんて感じることもしばしばですが、とりわけてコリント書とロマ書はそうした印象を受けます。きょうのテキスト15章を読んでおりますと、復活について論述するにあたってのパウロの並々ならぬ気骨を感じました。
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- ひつじが一匹いないよ
⇒「ひつじが一匹いないよ」秋葉 正二 きょう学ぶ聖書の箇所は、先ほど読んでいただいた「ルカによる福音書」15章1-7節です。 どんなことが書いてあったでしょう? 最初に徴税人とか罪人とかいう分かりにくい言葉が出てきました。 徴税人というのは人々から税金を集める役目をもった人たちです。 税金はローマ帝国というイエスさまの時代に一番力を持っていた国へ納めます。 ユダヤの国はローマ帝国の子分ですから、ローマ帝国に税金を納めなくてはならなかったのです。 また税金はそれだけではなく、ローマ帝国からユダヤの王と認められたヘロデ王にも納めなくてはなりませんでした。 ユダヤの人たちは二重に税金を払わなければなりませんでした。 ローマ帝国には税を取り立てるお役人がちゃんいましたが、そのお役人たちはユダヤ人の中
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- 枯れたイチジクの木のたとえ
⇒「枯れたイチジクの木のたとえ」秋葉 正二現在入力作業中です。
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- 神の知恵と人間の知恵
⇒「神の知恵と人間の知恵」秋葉 正二エレミヤ書9,22-23; 歴史にはいろいろな生産的なものを生み出す黄金時代とでも呼ぶべき一定の期間があるように思います。 数々の絵画や彫刻の傑作を生み出したルネッサンスのイタリアがそうですし、近代音楽を生み出した18世紀のドイツや新しい絵画を生み出した19世紀のフランスがそうです。 紀元前の世界にもそれはありました。 紀元前5~1世紀頃は古代ギリシャ哲学の最盛期でした。 文化の興隆はもちろん地中海世界だけでなく、中国では孔子や老子が活躍しましたし、インドではお釈迦様も登場しています。 このうちギリシャ哲学が様々な点で聖書と接触がありました。 第2イザヤのようなイスラエルの預言者とギリシャの哲学者たちが同時代に生きていたということを想像するだけで
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- 新しい命に生きるため
⇒「新しい命に生きるため」秋葉 正二 ロマ書6章から学びますが、使徒パウロが何を言わんとしているか、懸命に聞きとる努力をしましょう。パウロがロマ書を書いたのは最後のコリント滞在の時だと見ると、紀元56年ということになります。彼はガラテヤ書簡やコリント書簡で論じていることをテーマごとにまとめるようにロマ書で詳しく取り上げている、といった印象を受けます。ガラテヤ書の激しい論調を思い起こすと納得できますが、パウロの活動の背後には、ギリシャ語を話すキリスト者であるいわゆるヘレニストたちの異邦人伝道が、ヘレニズム的な密儀宗教と結びついて、イエス・キリストに対する理解をピント外れにし始めていたことにもう黙っていられないという気持ちが強くあったのではないでしょうか。パウロにしてみれば、そのようなヘレニスト
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- パン五つと魚二匹
⇒「パン五つと魚二匹」秋葉 正二 イエスさまが5千人に食べ物を与える記事は、4福音書すべてに記されています。 ということは、背後にこの話に関わる元になった伝承があったということでしょう。 物語の舞台はガリラヤ湖です。 時節は過越祭が近づきつつある頃とあります。 イエスさまが湖の向こう岸へ渡られると、大勢の群衆が後を追った、とありますが、群衆がそうした行動に出た理由は、イエスさまが病人たちを癒された奇跡を見たからでした。 私は、群衆がぞろぞろとイエスさまの後を追う姿を想像すると、ガリラヤの民衆は本当に貧しくてどこかに救いを求めていたのだなあ、と思うのです。 当時の貧しい人々には、日々の暮らしの中に楽しいことがあるわけじゃなし、救われそうな匂いのするものへは何にでも食らいついていっ
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- 宗教の本質
⇒「宗教の本質」秋葉 正二; 3章には、宣教活動を開始されたイエスさまの運命を決定付けるような出来事が記されています。テキストのすぐ前には、イエスさまが安息日に手の萎えた人を癒す奇跡を行っているのですが、この行為はファリサイ派の人々たちにとっては律法違反であり、看過できないことでした。もっともファリサイ派は、命の危険があるときには安息日でも治療を認めていましたから、萎えた手を癒すことはそれほどの緊急性を要することでもないことを考慮すれば、イエスさまの方で癒す行為を別に日に移せば、ファリサイ派との衝突は回避できたろうと思われます。しかしイエスさまはそうされませんでした。イエスさまの中には、安息日こそ苦しんでいる人々が解放されるべきである、との確信があったのです。律法に縛られて生きることが、ど
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- キリストのゆえに
⇒(MP3, 32kbps)「キリストのゆえに」秋葉 正二サムエル上 9,1-2 聖書学者によりますと、「フィリピの信徒への手紙」はパウロが認めた三つの手紙が編集されて一つになっているということです。 ですから元々はABCという別々の手紙が存在したのでしょう。 きょうのテキストを含む元の手紙は「戦いの手紙」と呼ばれていて、パウロが反対者たちを念頭に置いて書いた文書だと見られています。 反対者というのは、ユダヤ主義的主張を掲げるユダヤ人キリスト者たちです。 ユダヤ主義ですから、割礼を受けて、律法を厳格に守ることなどを建前とする考え方です。 そういう人たちを念頭に置いて手紙を書けば、おのずから内容は論争的にならざるを得ません。 パウロのプライドに関わる部分は、「肉に頼らない」という言い方で、既に
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- エルサレム神殿の崩壊
⇒音声を聞く(MP3, 32kbps)「エルサレム神殿の崩壊」秋葉 正二イザヤ56,5-7 きょうのテキストにはまずイエスさまがエルサレムに近づいた時、この都のために泣かれて口にされた言葉が記されています。 『もしこの日に、お前も平和への道をわきまえていたなら……』。 イエスさまが都エルサレムに対して泣いて警告している伝承記事です。 この記事は、後にイエスさまが十字架を背負わされてゴルゴダの丘に向かう途中、民衆と共に嘆き悲しみながらついて行った女性たちの群れに語られた言葉と深い関連があると見られているルカの特殊伝承です。 共通点は、双方共にイエスさまを拒否するエルサレムの滅亡を予告している点です。 イエスさまがゴルゴタに向かわれるシーンをちょっと読んでみます。 158ページ、同じルカの23章
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- 主の光の中を歩もう
⇒(MP3, 32kbps)「主の光の中を歩もう」秋葉 正二; マタイによる福音書10,34-39 預言者イザヤは、紀元前8世紀の中頃から7世紀にかけて、南王国ユダの王のブレーンとして活躍した人物です。紀元前8世紀の終わり頃から約100年間、アッシリア帝国が古代オリエントの覇者として君臨しました。この時代のイスラエルは南北二つに分立した王国でしたが、共にこの大国の圧力をまともに受ける羽目になります。そこで、まず最初にシリア・エフライム戦争のことを頭に入れておいてください。それはシリアと北王国が反アッシリアの同盟を結び、南王国ユダに攻め入ったという戦争です。その時アッシリアは南王国救援の名目でこれに介入し、シリアと北王国を征服してしまいました。その後アッシリアは南にも触手を伸ばします。南王国の

- The Cross Pendant
He is a cross pendant.
He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel
Bible Verses About Welcoming ImmigrantsEmbracing the StrangerAs we journey through life, we often encounter individuals who are not of our nationality......
