あの方は死者の中から復活された

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「あの方は死者の中から復活された」

秋葉正二
詩編16,7-11;

 マタイ福音書の復活の記事から学びます。 マタイの復活物語の特徴の一つは、イエスさまの墓に番兵たちがいることです。 共観福音書にはそれぞれ異なる姿で、いわゆる天使が登場しますが、マタイでは天使の登場によって、『番兵たちは、恐ろしさのあまり震え上がって死人のようになった。』 とあり、死人たちの墓を見張っていた者が死人のようになったという、おもしろい記述が印象的です。 そのことはまた5節で、天使がマリアたちに 『恐れることはない。』 と告げていることと対照的です。 「恐れることはない」と告げられる者と、恐ろしくて死人のようになる者が際立って描かれています。

 もう一つの特徴は、墓が空っぽであったということの強調です。 2節で、マリアたちが墓に着いた時に大地震が起こって、天使が墓をふさぐ石をわきへ転がしています。 その後の6節の天使の言葉から判断すると、天使が石をわきへ転がしたのは、マリアたちに墓の中を見せるためだったでしょう。 もうここに主イエスはおられない、と教えているわけです。 ですからマタイは復活を語るために、空っぽの墓を重要な論証の拠り所としていることが分かります。

 三つ目はガリラヤ地方の強調です。 4章15節には、イエスさまがガリラヤ伝道を開始された際のガリラヤについての記述がありました。 こう書いてあります。 『ゼブルンの地とナフタリの地、湖沿いの道、ヨルダン川の彼方の地、異邦人のガリラヤ、暗闇に住む民は大きな光を見、死の陰の地に住む者に光が射し込んだ。』 これはイザヤ書9章冒頭の引用ですが、マタイ流にアレンジされています。 イエスさま時代のガリラヤは紀元前8世紀頃のガリラヤとは違って、紀元前1世紀にマカバイ王家の支配下になって以来、再ユダヤ化が進んで、ユダヤ教原理主義ともいうべき熱心党の根拠地にもなっていました。 実態はイザヤが言ったような「異邦人のガリラヤ」ではなかったわけです。 でもマタイの心情としては「異邦人のガリラヤ」だったのでしょう。 マタイとしてはイエスさまが活動された地を、復活によって始まる新しい伝道活動のシンボルの地にしたかったといったところでしょうか。

 復活されてイエスさまが最初に会われたのがマグダラのマリアたち女性陣であったというのも、男性である弟子たちの面目は丸つぶれです。 二人のマリアは行く手に立たれていたイエスさまが 『おはよう』 と声をかけてくださった時には、だいぶ落ち着いていたようで、事態を呑み込んでいたようです。 なぜなら自分たちからイエスさまに近寄ってその足を抱いたとあるからです。 「おはよう」というのは、喜びを表現する日常的な挨拶の言葉だと言われています。 ともあれ、マタイはイエスさまが復活されたという出来事を自分流に懸命に表現しようとしたのだと思います。 イエスさまの死から復活へのつながりを、マタイは死を免れることのできない一人の人間として、信仰の事柄として描いたのでしょう。

 さて、人間は古くから「死は不幸である、長く生きることは幸福である」と考え、不老長寿の薬や食べ物を追い求めてきました。 この考えは、どうも現代にも引き継がれているようです。 さしずめおびただしい種類のサプリメントがテレビの宣伝に溢れているのは、その裏付けでしょうか。 死は本当に不幸なのか、私はかなり前からそんなことを考えるようになりました。 牧師は生涯でかなりの回数の葬儀を司式しますが、私の場合、なぜか葬儀に臨むと、穏やかな、平和な心にさせられます。 今生の別れですから、その喪失感は大きく、悲しさや寂しさは他の出来事とは比較にならないのですが、不思議なことに、何とも穏やかな気持にさせられるのです。 それは死というものが優しさを秘めているからではないか、と考えるようになりました。

 イースターがもたらしてくれる希望や生きる力は、直前の十字架の死と繋がっています。 復活が十字架の死とセットになっていることがとても重要です。 十字架の死は贖罪の業です。 罪云々という理屈も大切なのですが、平たく言うと、イエス・キリストの死は、我々の過去の闇や悪をすべて打ち消し、温かい美しいものに変えてくれるのではないか…… その死は不幸ではなく、我々に生きる勇気を与え、苦しみや悲しみから立ち上がる力になってくれる……それがイエスさまの死であり、復活ではないのかと思うのです。

 テキストの6節で天使は言いました、『あの方は、ここにはおられない』。 十字架にかけられたイエスさまを私たちはどこに探し求めるのでしょうか? マリアたちは当初墓の中に求めました。 私たちはどこを探すのか……墓の中か死者たちの中か……。 世間では先週お彼岸の墓参りで、各地の墓苑は賑やかだったでしょう。 私も父母の墓参りくらいはと思いましたが、忙しくてダメでした。 そこで思ったのです。 お墓は死者の家族にとってメモーリアルであることは確かですが、少なくともイエスさまの場合、マタイは墓の中は空であったことを強調したのです。 そこには大切なメッセージが込められているように思えてなりません。

 昨年の1月、私は外キ協の全国集会で九州の小倉へ行きました。 そこで久し振りに在日大韓小倉教会の納骨堂を訪れたのです。 大きな納骨堂で、沢山の骨壷が並んでいます。 教会員のお骨は勿論ですが、かつて強制連行により筑豊の炭鉱で働かされ、人知れず死んでいった名前も分からない朝鮮人の方々の遺骨がいくつも並んでいます。 「在日」のチェ・チャンホア牧師とカナダ合同教会のジョン・マッキントッシュ宣教師のお骨もありました。 このお二人は、私が外キ協活動に携わるキッカケを与えてくれた大先輩たちです。 九州時代、私はこのお二人と一緒に何度かその納骨堂を訪れたものですが、今はお二人とも骨壷に入って並んでおられます。 そこを訪れる度に私はイエス・キリストが人間の生と死を包み込んで共にいてくださることを強く感じます。 納骨堂でも思ったのですが、親しい人たちの死は、イエス・キリストの十字架と復活に繋がっていて、私に命の大切さを教えてくれるのです。

 イエス・キリストの死と復活は、人間には必ず他者と自分という関係があり、自分を確立させることが他者の姿をよりハッキリと見させてくれる、ということを教えてくれます。 二人の先輩方は隣人が悲しみの涙を流していることに敏感でした。 筑豊という土地で、多くの朝鮮の人たちが流した涙を、彼らは自分の信仰の目で感じ取られました。 名前さえ記録されずに死んでいった人達の存在に敏感に気付くということは、私はイエス・キリストの十字架の死と復活が、人間になさしめた働きだと信じています。 ですから二人の先輩はイエス・キリストの十字架と復活の信仰に生きたのだと思っています。 さて、天使が二人の女性に告げたことは、「あの方は復活された」ということと、「あなた方より先にガリラヤに行って、そこでお目にかかれる」ということでした。 ガリラヤは、弟子たちやマグダラのマリアたちの生活の場であり、活動領域です。 そこへイエスさまは先回りをして行っている、と天使は知らせたのです。

 『あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ』 という言葉は、イエス・キリストの死が、復活という形で、人を暖かく包み、許しをもたらしてくれる愛だということの宣言ではないでしょうか。 十字架の死は人間の悪を消し、人間を善に変えます。 ですから人間の死は不幸ではなく、誰もがその罪から解放され、真の幸福に包み込まれるということなのです。 それゆえ、私たちは死に対して深い思慮と畏敬を保ちながら、それこそ「死こそ愛だ」という思いで、生から死へという旅を歩んで行きたいものです。 愛する者を失った際の悲しみはかなり長く続きますが、何年か経つうちに、段々と不幸だと考えていたことが温かいものに変えられていきます。 これは本当に不思議なことで、神さまが人間の生と死を見守ってくださっているという証拠でしょう。

 さて、天使が告げたもう一つのことは 『あなた方より先にガリラヤに行って、そこでお目にかかれる』 ということでした。 ガリラヤは先ほど申し上げたように、弟子たちの活動の場です。 そこにイエスさまは先に行っているというのです。 私たちが生きる場所、そこで私たちは巡り合って隣人として存在するようになったいろいろな人たちと、何かを模索しながら一緒に対話したり活動したりします。 そこへイエスさまは先回りして行かれているというのです。 復活されたイエスさまは、私たちの生きる場で、私たちの間に立たれ、私たちに自分の罪を気付かせ、私たちに命を受けさせ、私たちに平和の道を歩ませてくださいます。 私たちは誰でも自分のガリラヤを持っているのです。 私たちがイースターをお祝いするのは、イエスさまを「良い羊飼い」として信頼し、そのイエスさまに導かれながら多くの人々に仕え、イエスさまの光の下で闇を克服して歩むためでしょう。 「神さまにまで見捨てられた」 としか思えない状況の中でも、この自分の隣人になってくれる人たちと一緒に生きることができます。 そこで命を大切にし、愛をもって仕え合い、希望を持って前向きに進んで行けたら、私たちの人生は素晴らしいものです。 生きていてよかった……イエスさまの復活は人間にそう実感させてくれる生きる力と希望を与えてくれます。 あらためて、皆さまと一緒に 「主の復活、ハレルヤ」 と声を合わせましょう。 お祈りします。


 
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