賀来周一
キリスト教カウンセリングセンター相談所所長
現代社会は、便利で効率的な生活を人々に与えましたが、その反面、安心して生活できる世界を人々から奪ってしまいました。毎日のように新聞をにぎわす出来事は、わたしたちの不安を煽り立てるかのようです。牧師も含め、信仰者といえども現代社会が抱える不安から逃げることができません。
それはさまざまな形でストレスとなって生活を脅かします。ストレスを処理するため、世間はそれこそあらゆる方法を提供するでしょう。でもたいていはお金を使わせるのが目的で、うんざりします。ストレスが金もうけの材料になるほど、世の中にストレスが渦巻いているということでしょうか。
ストレスを処理するのにこの世の知恵を使うのも、ひとつの方法かもしれません。しかし信仰というものは、この社会をどのように生きるか、という具体的な生き方を作り上げるものです。生き方にまで結晶化しない信仰があれば、それは単なる知的観念の遊びにすぎません。信仰が生き方となることを知れば、信仰によるストレス処理が可能になります。とはいえ、信仰さえあればストレスなんてへっちゃら、と単純に言うことはできません。
熱心なクリスチャンであった心理学者ゴードン・オルポート(一九六七年没)は、信仰の持ち方には二とおりあると言います。そのひとつを外発的信仰と言い、他を内発的信仰と分けています。
外発的信仰とは、自分中心の信仰のことをいい、自分を主役にした信仰の持ち方を指します。すべてのことは、私の信じ方次第というわけです。こうなると緊張とストレスをはらんだ信仰生活が続くでしょう。オルポートは、外発的信仰は危機の時には役に立たないと言います。危機とは信じ方次第でどうにかなるといったものでないからです。内発的信仰とは、神中心の信仰であって、己を脇役とし、すべてのことを御心のままとする信仰のことを意味します。毫も疑うことなく、全幅の信頼を母親の腕に預けて眠る幼子のようなものです。
オルポートは、このような信仰があれば、たとえ意に反した不都合な事態に身を置いたとしても、なおそこに神の御心があることを信じることができ、何が起ころうとすべてを包み込む包括的態度(comprehensive attitude)を養うことができると言います。そのような生き方は、すべてを「あのお方」にゆだねる信仰から生まれるものです。そこにはストレスに代わって平安がありましょう。
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Emmanuel
Bible Verses About Welcoming ImmigrantsEmbracing the StrangerAs we journey through life, we often encounter individuals who are not of our nationality......
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