神の御声に従う ジャック・ヘイフォード

ラスベガス日本人教会  砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を

今日は30年間カルフォルニア州チャーチ・オン・ザ・ウェイ教会の主任牧師を努め、400以上のワーシップソングを生み出した、ジャック・ヘイフォード牧師が語られた言葉をお送りいたします。

私は牧師になって54年が経ちますが、主は私の人生において、一貫して二つのこだわり、壁を取り除くように働きかけておられます。

第一の壁は、悪魔が、私たちクリスチャンが何者であるかを自覚できないように騙しているということです。そして第二の壁は、私たちが自分で築く城壁で、自分がより重要な存在でありたいという思い。それは、人よりも自分の方が偉いとか、有名人になりたいとかいうものではなく、自分が大切過ぎるということです。

分かりやすく言えば、自分は人からどう見られているのかという自意識の問題です。人は私をどう見ているのか、どう思っているのかということをいつも考えている。最悪なのは、その思いに囚われていることにさえ気づかなくなっていることです。

実際、主が私たちにどれほどの価値を置いておられるのか、どれほどの愛を注いでくださっているのか、それは私たちの想像を超えています。しかしそれを受け止めきれないという課題が私たちの側にあるのです。私たちの先入観は限定的で、それ故、どれほどの愛が注がれていてもそれを受け止めることができないのです。だからイエス様は、自分の命を守ろうとする者はそれを失う、と言われました。

しかし私たちが自分の命を手放すなら、私たちを愛してやまない方が完全に働けるようになり、それを何倍にもして返してくださるのです。そして、その献げ切るということは、自分の計画によらないで、神のご計画の中で実現するものなのです。

私が人生を歩む中で転機となったのは、自分のものだと思っているものを主に献げられた時です。しかし人には、自分のものを献げることを不安に思う習性があります。面子を失うのではないか、評判が台無しになるのではないか、と。

私たちの内側には、自分の面子を失いたくないという強力なモンスターがいます。このモンスターの働きは、それぞれの民族によって異なりますが、実にどの民族の人も、自分が周囲にどう思われているのかを気にして生きています。しかしその思いが強ければ強いほど、神の国の自由な民として生きていくことができないのです。

第2コリント10章1、2節を開いてください。パウロは、この6年前にコリントの教会を開拓しました。しかし6年が経つと、教会の中に争いや揉め事が生じ、それが当時エペソにいた彼の元にも伝わってきました。この手紙には彼の感情がほとばしり出ています。

もし皆さんが霊的な権威を求めるなら、それがどのようにして付与されるのかをここから学んでください。また、心の中にある要塞をいかにして打ち破るのかを知って欲しいと思います。というのは、国民の中にある要塞も打ち破られる日が来るからです。今、空中の権威を持つハイレベルの悪霊が人々の心をコントロールしていますが、それらも神の力によって打ち破られます。

皆さんはすでに、日本の国民の背後に存在する要塞について気づいておられるでしょう。それに対して対抗できる唯一の武器は、私たちの手の中にあります。それはどこの国民にも、どんな種類のミニストリーにも適用できるものなのです。

まずは私たちの立場をしっかりと自覚することが基本です。明からに悪魔や悪霊どもが対抗してきているからです。その結果、私たちが自分自身の立場を確認することが困難になっているのです。

それを打ち破るために、10章の3節から6節を、大声で告白していきましょう。神のみことばでこの部屋を一杯にし、神のことばを響き渡らせるのです。この声が発せられることで、すべての物事が変革されていきます。ですから、私は自分の会衆に、「一斉に御言葉を朗読しましょう!」と呼びかけます。御言葉こそ、私たちの戦いの武器だからです。さあ、私たちの剣を取るのです。大きな声で、もっと大きな声で朗読してください!

「私たちは肉にあって歩んではいても、肉に従って戦ってはいません。私たちの戦いの武器は、肉の物ではなく、神の御前で、要塞をも破るほどに力のあるものです。私たちは、さまざまの思弁と、神の知識に逆らって立つあらゆる高ぶりを打ち砕き、すべてのはかりごとをとりこにしてキリストに服従させ、また、あなたがたの従順が完全になるとき、あらゆる不従順を罰する用意ができているのです。」(第2コリント10・3―6)

私は、自分が肉的な面で完全な勝利を得ているなどとはとうてい思っていません。肉から来る思いは相変わらずあります。

映画「ロード・オブ・ザ・リング」にゴラム(ゴクリ)という生き物が出てきます。あらゆる生き物の中で最も忌むべき存在で、私たちが死ぬ間際まで離れない“執着心”というものを表しています。そして聖霊はいつも、私たちの執着心を取り扱おうとしておられるのです。

人生とは、神への降伏の連続です。私たちは降伏することを敗北だと思ってしまいますが、神に降伏すれば、勝利しかありません。プライドを降伏させても、何も失うものはないのです。神からこれほど価値ある存在だと認められながら、自分でそれを守ろうとすることの愚かさに早く気づくべきです。

私の人生の分岐点は198年にありました。すでに13年間、小さな教会で牧会をしていて、神の豊かな恵みを受けていました。そしてその4年ほど前に、アメリカで最も素晴らしいと言われる教会の牧師になって欲しいとの招聘を受けました。私にとってこれ以上ないという話でした。既にその教会には1500人の会衆がいて、すべてが整っていました。

しかし祈ってみると、神から「そこに行ってはいけない」という思いが来ました。だから私は行きませんでした。そして198年、私はあるワーシップ・カンファレンスに参加しました。「伝道の鍵は人々を礼拝へと導くことだ」という主題で、信徒を楽しませることが大切なのではなく、私たちの創造者に喜んでいただくことが大切なんだ、という内容でした。

その聖会の5ヶ月後、主が、ある教会の牧師になるようにと言われたのです。「小さな教会に行きなさい」と。そこで私は、会員が18人の教会に行くことになりました。決断した理由はただ一つ、主が「これが私のして欲しいことだ」と言われたからです。

そこでは、二つのことを主から導かれました。一つは、「大きな教会をつくるためではなく、大きな人物をつくるために行きなさい」ということ。二つ目は、これまで私が学んできた、〝神への礼拝〟を実践するようにということです。その教会の18人の教会員の平均年齢は5歳、若者はいませんでした。

そこでまず、礼拝について一緒に学びました。誰かが突出して声を出すような礼拝にはしない、体を使って礼拝することにはどのような聖書的意味があるのか、などです。そして3年後、私たちの教会は700名程になりました。

私は何の教会成長プログラムも採り入れませんでした。教会の規模を大きくしようとしたのではなく、人々を育てようとしただけです。彼らが成長すれば、自ずと他の人々に手を差し伸べてくれると信じていました。

今夜のメッセージは、私たちが直面する、自分自身の恐れに関する内容なのです。詩と賛美と霊の歌で、神を讃えましょう。

(LVJCCブログ制作チーム:薫)

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