啓示15章によると、「七つの災厄を携えた七人のみ使い」たち、すなわち「最後の者たち」が、「ガラスのような海」のそばに立って、「神の奴隷モーセの歌と子羊の歌」を歌います。(啓示15:1-3)彼らは、エホバ神の「み業は偉大で驚くべきものです」と言って、神を崇拝し、そのみ名の栄光をたたえます。そして、神の義なる定めが明らかにされたことを発表します。(啓示15:3,4)この七人のみ使いがそばに立っているガラスのような海とは何でしょうか。
(1)七人のみ使いと24人の長老との関係は?
このガラスのような海は、水晶に似ており、啓示4章の神のみ座の幻にも登場します。そこでは、神のみ座の前にあります。(啓示4:6)啓示4章の神のみ座の幻によると、み座の周りにある「二十四の座」に、「二十四人の長老が,白い外衣をまとい,頭に黄金の冠を頂いて座って」いました。(啓示4:4)また、「み座の前には,水晶に似たガラスのような海」があるかのようです。(啓示4:6)
24人の長老と、7人のみ使いの関係はどうなっているのでしょうか。24人の長老は、完成したら144000人になる神の王国に入る成員をひとつの見方で表現したものだと思います。(啓示14:1,3)144000人は、男女のクリスチャンで構成されています。(ガラテア3:28)
一方、啓示15・16章の七人のみ使いは、「最後の者たち」と記されています。(啓示15:1)イエスが話されたぶどう園の働き人のたとえ話の中では、「最後の者」は、一日のうち、最後の一時間だけ働きます。(マタイ20:1-6)ですから、七人のみ使いは、全体で144000人である24人の長老たちの一部、事物の体制の終結の時、キリストが王として臨在する時期に、比較的に短期間働く、王国の希望を持つ者たちを意味しているのではないかと思います。
天的な希望を持つクリスチャンは、一世紀ペンテコステの時に聖霊が注がれてから選ばれてきました。わたしは今まで、何人の人々が選ばれてきたのか知りませんが、最後の者として働くクリスチャンがまだ選ばれていないのではないかと思います。
(2)火の混じったガラスのような海とは何か
啓示15章2節によると、火の混じったガラスのような海のそばに、「
野獣とその像とその名の数字から勝利を得る者たち」が立っています。ですから、ガラスのような海のそばには、野獣の崇拝に屈せずに、忠誠を保っている者たちが神のみ座の前にいます。
歴代第二の記録によると、ソロモンの神殿には、鋳物の海がありました。鋳物の海の目的は、「祭司たちがその中で身を洗うためのもの」でした。(歴代第二4:6)[ですから、啓示15章のガラスのような海も、祭司級のクリスチャンが身を洗って清めるためのものであると判断するのは妥当です。
では何で洗うのでしょうか。キリストは、会衆を「み言葉による水の洗いをもってそれを清める」ことを行ない、「輝かしいばかりの会衆をご自身のもとに立たせ,こうしてそれが,汚点やしわ,またそうしたものの何もない,神聖できずのないものとなるようにする」と書かれています。(エフェソス5:26,27)ですから、キリストは、会衆をみ言葉による水の洗いをもって清めます。
ですから、ガラスのような海には、み言葉の水が入っていて、それは、会衆が霊的に清い者になることに貢献するでしょう。その水が、ガラスのようであることは、それがガラスのように透明で清い水であることを示しています。(啓示21:18,21)啓示22章には、「水晶のように澄みきった,命の水の川」という語が出てきます。
その水が透明で澄み切っているとは何を意味するのでしょうか。透明で澄み切っているとは不純物が入っていないことを意味します。
聖書では、神のみ言葉を不純にするのではなく、かえって真理を明らかにすることが勧められています。(コリント第二4:2)ですから、み言葉の教えに、人間の考えや教えが入っていると不純物が入っていることになります。(マタイ16:23。コロサイ2:22)神のみ言葉そのものが言っている真理を明らかにするようにすれば、御言葉の水は澄み切って透明なものになります。
さらに、この海に入っている水は、「エホバについての知識」ということもできます。イザヤ書には、「聖なる山のどこにおいても,害することも損なうこともしない。水が海を覆っているように,地は必ずエホバについての知識で満ちるからである。」と記されています。(イザヤ11:9)ですから、 将来は、海の水は、地に満ちるようです。み言葉に含まれている「エホバについての知識」は平和をもたらすことになります。
この海に入ってる水は、水晶のように澄みきった,命の水の川からくんできたものでしょう。それは神と子羊とのみ座から出ています。(啓示22:1)そして、「だれでも望む者は命の水を価なくして受け」ることができます。(啓示22:17)
この水を飲むならば、「その人の中で,永遠の命を与えるためにわき上がる水の泉」となります。ですから、このみ言葉の水で身を洗い、飲むならば、その人に永遠の命をもたらします。(ヨハネ4:14)その海の中に入っている水は、「エホバについての知識」であり、その知識を自主的に取り入れる者は、永遠の命を受けることができます。
その海に「火が混じって」いるのはどうしてでしょうか。「火の湖,これは第二の死を表わしている」とあります。(啓示20:14)ですから、海のみ言葉の水の中には、第二の死を受けるという裁きの音信が含まれています。これは、神に罪を犯さないように助けます。
ガラスのような海の近くには、 「野獣とその像とその名の数字から勝利を得る者たち」が立っています。(啓示15:2)ですから、み言葉の水で身を清めて神の裁きを受けることを避けるなら、野獣の崇拝に陥らないようにすることができます。野獣の崇拝は、復活の無い「第二の死」に導かれることになりますが、み言葉で身を洗うならば、エホバに忠誠を保つことができます。(啓示20:14)
それで、わたしたちは、み言葉の真理を取り入れ、エホバの知識を身につけましょう。それは、エホバとイエスに忠誠を保つ助けになり、永遠の滅びから救われ、永遠の命へと導かれます。
He is a cross pendant.
He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel
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