特集 いのちの現場から 誰のいのちも諦めない

聖書に出てくる用語、クリスチャンが使う用語を説明しています。 ヘブル的視点で解説されていますので、すでにクリスチャン歴が長い方にも新しい発見があるかもしれません。

社会から見捨てられ、本当の癒やしを求めて彷徨う人たちがいる。人として、そしてキリスト者として、その回復のために尽力する姿に目を向ける。

NEW『あなたを諦めない
―自殺救済の現場から』
藤藪庸一 著
四六判 定価1,400円+税

編集部

「誰も必要としてくれない」「生きていてもしょうがない」「助けてください……」─電話の向こうから聞こえる悲痛な叫び。
風光明媚な観光名所、南紀白浜の三段壁。美しい断崖は自殺の名所としても知られている。この場所に立てられた「いのちの電話」の看板。この電話は牧師であり、NPO白浜レスキューネットワーク代表の藤藪庸一さんにつながる。
日本全国の自殺者数は年間二万一三二一人(二〇一七年)。一日あたり六十人近い方が自ら死を選んでいるという計算になる。厚生労働省の「自殺対策白書」では、十五歳から三十九歳の各年代の死因の第一位が自殺となっており、大きな社会問題となっている。
働きを始めてからこれまでに九〇五人(二〇一八年十月現在)の自殺志願者を死の淵から救ってきた藤藪さんだが、その働きは「いのちの電話」だけではない。その助けを求めてきた人の生活再建を目指して共同生活を送り、家族も仕事も失った人たちの働く場として、弁当配達を行う食堂も運営している。
この働き、その生き方を追ったドキュメンタリー映画「牧師といのちの崖」が一月から順次公開され、同時にその働きの中での藤藪さんの苦悩と葛藤、将来へ向けての幻を書き綴った自著『あなたを諦めない』(いのちのことば社フォレストブックス)が発売される。
「この国に異常な事態が起こっています。今、この瞬間も、どこかで誰かが孤立し、生きる希望を見失い、死の淵へと追い込まれ、SOSを発しています。そういう人と出会ったときに、たとえ解決法が見えなくても、そばにいることをやめない。私が一貫してやり抜いたことは、その人を諦めないことだけでした」
三段壁に「いのちの電話」の看板が立てられ、自殺救助活動が始まったのは一九七九年。白浜バプテスト基督教会の江見太郎牧師が始めたものだ。江見さんが学生の頃、結ばれぬ運命を悲観した若い男女が三段壁から投身心中するという痛ましい事件があったことを知り、「自殺に追い込まれるような人々を救いたい」と看板を設置した。
一九九九年、藤藪さんは妻の亜由美さんとともに、藤藪さんが育ったその教会の牧師の任を引き継ぎ、同時に自殺救助の働きも継いだ。二十六歳だった。若さゆえに、早すぎるのではないかと反対する人も多かったという。その時の思いを藤藪さんはこう語る。
「私にとってこの活動も引き継ぐことは当たり前のことだった。助けを必要としている人がいる。ならば、教会は助けの手を差し伸べるべきだ。伸ばした手を引っ込めるわけにはいかない。
ここで試されたのは、牧師としての使命感でも信仰でもない。神が人間に与えてくださった『良心』だった」
藤藪さんが牧師になろうと思ったのは、小学六年生の時。テレビでアフリカの難民キャンプを取材したドキュメンタリーが放映されていた。飢餓のため命を落とす子どもたちが一日二万人以上(当時)もいると知った。
「僕は何の不自由もなく生きていける環境が与えられているのに、どうして彼らには与えられないのか。自分に与えられたものを何のために使えばいいのか」
藤藪少年は、キリスト教の聖書に答えを求めた。
「自分を犠牲にして人を助けた神の子イエス・キリストを知り、将来牧師になると決めたのです。お金はないけれど、イエス・キリストのことを伝えることは、自分にもできる。そして、自分も誰かのために犠牲を払うことのできる人になりたい、と思ったのです」
NHKの人気番組「プロフェッショナル」(二〇一二年放送)に出演した藤藪さんは、番組の最後に必ず聞かれる「プロフェッショナルとは?」という問いにこう答えた。
「自分のだめなところと、足りないところが本当にわかった時に、それをちゃんと認めて、それでも諦めないで次に向かっていく、また成長していこうとする人」
放送後、「命に関わることはやめておいたほうがいいのでは」という電話がかかってきたこともある。
「心を込めて関わった方が、その後自殺してしまうこともあった。自責の念にかられ、この働きの重さを痛感した。でもそれを恐れて命を絶とうとする人と関わらない道を選ぼうとは思いません。彼らと向き合うときに、イエス様ならどうするか。それを自分に問い続けているのです。そして、関わった彼らが、最後にイエス様の十字架を思い出してくれたらと祈り願っています」
助けた人たちと関わる中で、今の日本の問題点にも気づいた。それは子どもの教育問題にも及ぶ。今の藤藪さんの願いは、一度は居場所を失った人たちの、終の棲家にもなり得る長屋を作ること、そして学校を始めるということ。
藤藪さんが、現在まで信念を貫き、ぶれずに進んできたかというと、そうでもない。学生時代も、牧師として自殺者救助の働きを始めた後も、何度も挫折を経験している。自らの弱さを痛感し、苦悩し、葛藤する姿が映画にも本にも描かれている。
「自分を含む誰もが失敗を繰り返す存在であり、自殺とも紙一重。しかし誰のいのちも神に愛された大切なもの、だから諦めない」─その当事者意識が、この働きへと藤藪さんを押し出しているのだろう。

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