愛を身につけなさい

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「愛を身につけなさい」

秋葉 正二
詩編130,5-6;

 私たちはいま復活節を歩んでいますが、きょうのテキストでは「キリストと共に復活させられた」という信仰によってしか確信できない生き方を、毎日の生活で実践していくための勧告が述べられています。 愛という言葉は新約聖書にはたくさん出てきますが、きょうのテキストにおいても説教題にあるように、愛が語られています。 有名なキッテルの新約聖書辞典で「愛」の項目を開きますと、何ページにもわたって解説が続きます。 そうとう腰を落ち着けて読まないと読み切れないほどの分量です。 かように愛についての概念は多岐にわたります。 以前、新約聖書で愛と訳されている言葉には幾つか種類があるとお話ししました。 アガペーとかエロースとかフィリアとかです。 「愛」はすでに旧約聖書の中で幾つか使われていますが、これが新約の世界において、イエスさまにより大いに高められ新たな意義付けを得た、と言っていいでしょう。 新約の愛の中で最も有名と言いますか、大切な愛はアガペーという愛です。 「愛」という訳語の他にも「恵み」とか「慈しみ」などとも訳されます。

 きょうのテキストで使われている愛もこのアガペーです。 このテキストではコロサイの信徒たちが最初に「神に選ばれ、聖なる者とされ、愛されている者」と呼びかけられています。 2章20節に「世を支配する諸霊」とあり、3章5節には具体的に「淫らな不潔な行い」とか「情欲」「貪欲」などの悪徳が列挙されていますが、こうした一連の悪霊とは対極に位置する徳、「憐れみの心」「慈愛」「謙遜」「柔和」「寛容」を身につけなさい、と著者はコロサイの信徒に向かって励ましています。 著者と言いましたのは、著者がどうもパウロではないらしいと聖書学者たちの間に議論があるからです。 パウロの直筆でないにしても、彼の信仰思想を受け継いだグループの一人ないしは人たちであることは思想内容から明らかでしょう。 パウロの同労者にエパフラスという人がいますが、コロサイが彼の出身地だったこともあり、どうやらコロサイ教会はエパフラスの宣教活動によって生まれたようです。 コロサイの教会は小アジアのフルギア州にありますが、その信徒たちは1章に出てくるように、もともとは異邦人でした。 なぜこの手紙が書かれたのでしょうか。 理由があるはずです。 それはコロサイの信徒たちに影響を与えつつあった間違った教えを正すためであったろうと考えられています。 ですからこの手紙は一種の信仰指導文書だったのでしょう。 間違った教えとは、いわゆる異端思想です。

 この異端思想に対する警告と論駁が2章に記されていますので確認できます。 きょうのテキスト3章はそれに続く部分ですが、コロサイ教会の信徒たちにキリスト者としてどうあって欲しいか、また著者が期待するキリスト者像とその実際の生活はどうあるべきなのかを説いています。 著者がまず問題としたのは、キリスト者の生ということでした。 具体的に言いますと、きょうのテキストのすぐ前の部分5-11節に「古い人をその行いと共に脱ぎ捨てる」と出てきます。 これは「古い自己に死ぬ」という意味ですが、すぐ前の11節で、キリスト者の共同体である教会は、人種・階級・身分・文化の上で一切の差別はないことが述べられていますので、この指摘によって新しい共同体を指し示しているのでしょう。 つまり「古い人」に属する悪習への警告から説き始めて、「新しい人」の特質を明らかにしていきます。

 12節では「新しい人」を表す徳目が掲げられます。 その一番目は「憐れみの心」です。 これは古代社会を反映した言い方でしょう。 古代では身障者や病人は無用の長物のように扱われていました。 私たちの現代社会においては、超高齢化に突入していることもあり、高齢者への配慮は当たり前のことですが、古代は皆無と言ってよい状態です。 私たちの国では、だいぶ長いこと自殺者3万人超が続きましたが、今後増える自殺者の割合は高齢者になるのではないかとも指摘されています。 コロサイ書の著者が言わんとしていることの一つは、人間性が無視されるような世界であっても、イエス・キリストの福音はそのような社会に対して、人間としての真の同情心が増し加わるように求めていく、ということではないでしょうか。 二番目には「慈愛」が出てきます。 このギリシャ語は人に対する優しさを意味しています。 イエスさまの物語で譬えれば、イエスさまに油を注いだ女性にイエスさまがお寄せになったような心と言えましょうか。 「憐れみの心」も「慈愛」も他者に対するキリスト者の接し方、と言ってよいでしょう。 三番目の徳は「謙遜」です。 これは自分自身に関わることです。 おそらく著者の脳裏には、罪から贖い出された人の姿がイメージとしてあったのではないかと思います。 自分を罪赦された神さまの憐れみの対象と捉えれば、自分の中には神さまに自己主張できるような権利など本来何も無いということが分かります。 このことを自覚する時、私たちは初めて他者に対して忍耐深くあり得ます。 これこそが謙遜の姿です。 そしてこの謙遜の心が、現実の他者とのやり取りの中で、続いて出てくる「柔和」や「寛容」の態度として機能していくことが示されていると思います。

 こうした徳目を軸にして、著者は13節以降で徳目のさらなる展開を進めていきます。 まず13節では「互いに忍び合い」「赦し合う」ことが勧められます。 これなどはイエスさまの「七たびを七十倍するまで」兄弟を許しなさいと言われた言葉を思い出せば、一層分かりやすくなるでしょう。 そうして14節では最初にちょっと触れました「愛を身につけなさい」という教えが出てきます。 もちろんこの愛はアガペーです。 著者はキリストの愛であるアガペーこそ最高の徳だと言っています。 ガラテヤ書やロマ書を思い出せば、アガペーこそキリストの愛であり、信仰の根本要因であり、律法の完成だということになります。 そして15節では愛から平和へと説き進めて行きます。 いつの時代にも人間には様々な平和論がありますが、著者は一言で「キリストの平和」と言い切ります。 イエスさまご自身が遺訓として「わたしは平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える」(Jn.14,27)と言われていますが、平和とはイエス・キリストが与えてくださる平和こそが本当の平和だということです。

 人間の目指す平和はあくまでもそれを目標として構築されていくものですが、その途上で幾度も失敗を繰り返してしまいます。 平和が到来しそうに見えてもそれが壊れてしまうと、私たちは失望したり落胆したりするのですが、本当の平和は最終的には神さまが与えてくれるということです。 だから私たちは神さまが与えてくださる平和を見据えつつ、平和構築の歩みを諦めてはなりません。 平和のすべてはイエス・キリストに帰着します。 15節にある「キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい」というのはそういうことを言っているのでしょう。 一同がキリストの平和を仰ぎながら歩むならば、キリスト者の共同体である教会は一致を保っていくことができるということでもあります。 16節には「新しい人」に対する奨励がさらに続きます。 「キリストの言葉があなたがたの内に豊かに宿るようにしなさい」とあるのですが、これは、キリストによって語られた言葉こそが啓示された福音ですよという指摘です。 きょうのテキストにはたくさんの徳目が出てきますが、どの徳目も愛がなければ無意味なのです。 愛はすべてをまとめ、すべての行いに意味を与えます。 それはイエスさまのお言葉によって多くの人たちが生かされてきた通りです。 ですから私たちはただ単に漠然と優しい人になれとか、包容力を持てとか言われているのではなく、神さまの愛に応えて「愛を身につけなさい」とイエスさまから声をかけられていることを覚えたいと思います。 そのように愛を身につけるように努めたいものです。

 コロサイ教会の信徒がこの手紙によって示されたことは、結論的に言えば、キリストの平和が実現する全世界的なキリストの体なる教会の姿に尽きると思います。 その実体はキリスト者が毎週礼拝を守りつつ生活してきたその在り方でしょう。 それは教会という共同体に生きる倫理的生活でもあります。 コロサイの教会の信徒たちがどの程度この手紙によって伝えられた励ましやアドヴァイスに応えたか私たちには分かりません。 しかし初代の各地の教会があったればこそ後の教会があるのですから、きっとコロサイの人たちは日々新たに生かされたに違いありません。 それを信じたいと思います。 復活のキリストに生かされる私たちキリスト者の生き方は、神の右に座したまえるキリストと地上の私たちとの間に深いつながりがあることを確信することによって現実化します。 私たちが復活節を過ごすとは、そういう意味です。 聖霊降臨に向けて私たちキリスト者の歩みは続きます。 祈りましょう。


 
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