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- 七の七十倍までも赦しなさい
⇒(MP3, 32kbps)「七の七十倍までも赦しなさい」秋葉正二ダニエル書9,18-19; マタイによる福音書18,21-35 イエスさまの譬え話から学びます。テキスト全体の構造は、3段構えで、最初にイエスさまとペトロの対話があり、次にイエスさまの譬え話が出てきます。最後に教訓が示されて結論となります。説教題にもある通りテーマは「赦し」です。 イエスさまの言葉に出会うと、いつもそうですが、あらためて凄い物言いだなあと思います。さて、最初は弟子ペトロのイエスさまへの質問です。『主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。7回までですか』。 ペトロは親の代からの漁師でしょうから、彼が無学文盲だと思っておられる方がいらっしゃるかも知れませんが、そうではありません。漁師ですか
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- 被造物は虚無に服して
⇒(MP3, 32kbps)「被造物は虚無に服して」秋葉正二創世記12,1-4a; ユダヤ教の黙示文学には、人間の罪悪が天変地異を引き起こし、ついにはこの世の終りが来るといった考え方があります。外典のエズラ書などにそれが見られます。では、終末が来るとどうなるのか。万物はすべて新しくされ、自然の秩序はかつてのエデンの園のように元来の姿に改まるというのです。黙示文学によれば、現在の歪められた自然の姿は終末と共に一掃され、新しい創造の業により新しい自然に生まれ変わるということになります。こうした見方がイエスさまの中にもあるのかと言いますと、どうもないように思えます。人間の罪が自然を巻き添えにして、災害や天変地異が起こるといった考えはどうも見られないように思うのです。おそらくイエスさまは、自然の災
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- 神の国が来る
⇒(MP3, 32kbps)「神の国が来る」秋葉正二イザヤ書2,1-5; 救い主メシアの待望が旧約聖書のユダヤ人の信仰理解の中心にあったことはよく知られています。 これは後期ユダヤ教の中で終末論的色彩の濃い黙示文学という形でも現れました。 それはルカ福音書の中にも当然影響を及ぼしています。 まずこのことを頭に入れてきょうのテキストを読んでいきましょう。 キリスト教の宣教は2千年という長い歴史をもっていますが、その出発点であるイエスさまの活動を一言でいえば、「神の国が近づいた。イエス・キリストを信ぜよ」となるでしょうか。 ですから神の国が重要な意味を持っていることは確かです。 もう皆さまご存知だと思いますが、神の国と訳された言葉は聖書の原語で何を意味しているのかを一応解説しておきます。 神の
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- 新しい世界を垣間見る
⇒(MP3, 32kbps)「新しい世界を垣間見る」秋葉正二イザヤ書65,17-18; 聖書の構造は人類救済に関する壮大なパノラマです。 創世記の天地創造で始まった大スペクタクルが、ヨハネ黙示録の新天新地の出現をもって完成します。 黙示録の著者預言者ヨハネはもちろんキリスト者ですが、活発な伝道活動を行ったために、ローマ帝国によりパトモス島に流刑になった人物と見られています。 ですから黙示録が象徴的な内容表現で溢れているとは云え、執筆の動機は権力者ローマ帝国への批判と、ローマ帝国によって迫害を受けて苦難の中に置かれている信徒たちへの励ましにあったことは確かでしょう。 私は高校生の時洗礼を受けましたが、長い間この黙示録が何を言っているのか分かりませんでした。 しかし30年程前に佐竹明先生の聖書
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- 待ち望む人
⇒(MP3, 32kbps)「待ち望む人」賈 晶淳(カ ジョンスン)ルカによる福音書19,1-10 今日の聖書の内容はとても親しみ深い内容です。昔教会学校の先生からこの話は何度も聞かされましたが、何度聞いても飽きない内容でした。ザアカイは背が子供のように低く、イエス様が見えない、それで先に走り、木に登って、イエス様が通るのを待っている、賢くて、熱情溢れる人の話です。この話を聞いていますと、まるで自分がザアカイになったような気がしていたのを覚えております。今日は待降節の第1週目となります。イエス様が再びこの世にいらっしゃることを思いながら待ち望む時期です。世の中の人々も何かを期待しながら、それが経済的豊かさであり、健康であり、現状維持でも待ち望む人が大勢いらっしゃると思います。何を待ち望むかは
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- 牧者キュロス-神の道具
⇒(MP3, 32kbps)「牧者キュロス-神の道具」秋葉正二イザヤ書44,21-28; マタイによる福音書2,4-6 今日のテキストから48章にかけてペルシャ王キュロスについての叙述が続きます。43章等にも既にその姿が浮かび出ているのですが、この人物は第2イザヤの中ではおそらく「主の僕(苦難の僕)」の次に重要視しなければならないと思います。キュロスについてはイザヤ書だけでなく他の歴史書にも記されていますし、現代のイランには墓も残っていますので、歴史的にはかなり色々なことを知ることができます。彼は分裂していたペルシャを統一し、バビロン、メディア、ルディアを制圧して大帝国を建設しました。バビロンにはネブカドネザルによって捕囚民となっていたイスラエル民族がいましたが、彼らを解放したばかりか、帰国
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- メシアの時代が到来した
⇒(MP3, 32kbps)「メシアの時代が到来した」秋葉正二エゼキエル書34,23-27; 福音書記者ルカの記したイエスさまの誕生物語から学びます。テキストは小見出しにあるように、大きく二つに分けることができます。一つはイエスさまの誕生譚、もう一つは羊飼いに救い主誕生が天使から告知される話です。クリスマス物語はルカとマタイにしかありませんが、この二人の福音書記者が福音書を書くにあたってイエスさまの誕生に関する伝承を参考にしたであろうことが指摘されています。どこまでがどういう伝承であったかを確定することはおそらく出来ないでしょう。聖書学者はその伝承について詳細な研究を重ねてそれなりの結論を出そうとするのですから、その苦労は大変なものです。背景にしても明確に断定できないことがあまりにも多いの
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- 光として世に来た
⇒(MP3, 32kbps)「光として世に来た」廣石 望I クリスマスおめでとうございます。 子どもたちに「クリスマス・イヴの夜にやってくるのは誰でしょう?」と尋ねると、おそらく過半数が「サンタクロース!」と答えるでしょう。教会学校に通っている子どもたちならば、「イエスさまも…」と答えるかもしれません。サンタクロースとイエス・キリストでは年恰好がぜんぜん違いますから、この二人は明らかに別人です。では、なぜクリスマスにサンタクロースとイエス・キリストが同居しているのでしょうか?II 簡単に言うと、もともと別々であったキリスト誕生の伝説と、サンタクロースの伝説が後に合わさったからです。 サンタクロースは、紀元4世紀、小アジアの地中海沿岸都市ミュラに実在した司教ニコラウスに遡ります。彼は伝説に囲
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- ナザレ人イエス
⇒(MP3, 32kbps)「ナザレ人イエス」秋葉正二サムエル記上2,1-10; ルカ福音書2,39-40 聖書の後ろに付いている地図6「新約時代のパレスチナ」を見ますと、ナザレという町はガリラヤ地方の南方境界線上にあったことが分かります。 1章26節には天使ガブリエルが神さまからナザレの町に遣わされたことが出ていますので、ヨセフとマリアはナザレに住んでいたことが窺われます。 また2章4,5節にはヨセフとマリアが「住民登録のためにナザレからユダヤのベツレヘムへ上って行った」ともあります。 そこで、イエスさまはベツレヘムで誕生したという定説ができたわけですが、学者の中には4章24節の『預言者は、自分の故郷では歓迎されないものだ』というイエスさまの言葉を手掛かりに生誕地はナザレだと主張する
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- 心を新たにして
⇒(MP3, 32kbps)「心を新たにして」秋葉正二イザヤ書50,4-9; ローマの信徒への手紙12,1-8 「キリスト者」或いは「キリスト教会」の在り方をロマ書から学びます。 福音宣教の使命を果たすために私たちはどのようなキリスト者としての自覚を持つべきか、また教会がどのような形態や構造にすべきなのか、といったことを学びたいと思います。 お手本が聖書であることは勿論ですが、聖書は古い書物ですから、そのまま古代の姿を真似ても発展はありません。 神学生の頃、E.シュヴァイツァーの「新約聖書における教会像」が翻訳されて友人たちと大きな刺激が与えられた記憶があります。 久し振りに書棚から引っ張り出して読みましたら、リベラルな物言いが沢山あって、ちょっとワクワクしました。 例えばこういう言葉があり
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- 主の恵みの年
⇒(MP3, 32kbps)「主の恵みの年」秋葉正二申命記6,4-9; イエスさまの時代、ユダヤ人たちはユダヤ教の規定に従って会堂(シナゴーグ)で安息日に礼拝を守っていました。 プログラムとして信仰宣言や祈りや聖書朗読があったのですが、聖書朗読はユダヤ人男性の誰にでも許されていました。 イエスさまは洗礼を受けた後、ガリラヤで活動を開始されたのですが、きょうのテキストによれば故郷のナザレに行かれて、そこの会堂に入って聖書を朗読されています。 普通は旧約聖書の律法(モーセ五書)と預言書が読まれるのですが、ここではイザヤ書の巻物が手渡されています。 現代のような紙の本はないので巻物です。 17節によると「ある箇所が目に留まった」とありますから、ご自分で意識的にそこを選ばれたのでしょう。 その箇所
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- 土の器に働く命
⇒(MP3, 32kbps)「土の器に働く命」秋葉正二エレミヤ書18,1-6; きょうのテキストは『闇から光が輝き出よ』という言葉で始まっています。パウロはもちろん創世記の冒頭に出てくる『光あれ』という神さまの創造の言葉も思い浮かべたと思いますが、それと共に自分の回心の情景を目に浮かべていたのではないでしょうか。ダマスコ途上の道すがら、突然それは起こったと使徒言行録9章は記します。彼はその時、三日間目が見えませんでした。パウロは神の光によって回心に導かれたのです。パウロの回心は人間を悟らせる神の光があることの体験でした。ですから彼の中では福音は光であるという理解があったと思います。 ところがこの世には、キリストの栄光に関する福音の光を見えなくしてしますものがあることも彼は信仰生活を積んでい
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- 気前のよさをねたむのか
⇒(MP3, 32kbps)「気前のよさをねたむのか」秋葉正二レビ記19,9-13; 理屈から考えると何とも納得の行かない譬え話から学びます。 天の国が、ぶどう園のオーナーが広場で労働者を雇う様子で譬えられています。 天の国の天はここではパラダイスではなく、ウーラノスという語が使われています。 神の国と同じ意味です。 直接神の国と言わないのは、神名を使うことを避ける用語法です。 ストーリーは分かりやすく、よく理解できます。 まずぶどう園のオーナーが夜明けに一日1デナリオンの賃金で労働者を雇います。 日雇い労働者の雇用です。 現代流に言えば、労働基本法における賃金の問題ということになるのでしょうか。 古代の話ですから、ローマの労働法はありましたが、今で言う最低賃金法なんてものは勿論ありません
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- ‘種を蒔く人’のたとえ
⇒(MP3, 32kbps)「‘種を蒔く人’のたとえ」秋葉正二イザヤ書6,9-10; テキストの小見出しは「種を蒔く人のたとえ」です。種を蒔くと言っても農業従事者ならともかく、家庭菜園でもやっていない限り私たちに実感はありません。イエスさまはこの種まきを譬えに取り上げられたのですが、当時のパレスチナの人にとってそれは大いに生活実感の持てる譬えでした。多かれ少なかれ、皆種を蒔く生活をしていたからです。大麦・小麦・そら豆・レンズ豆・ハッカ・瓜・米など冬蒔き夏蒔きの違いはあっても、たくさんの種類の種が蒔かれていました。種を蒔くのは、イスラエルの人々にとっては食糧を得るためであったのは当然ですが、旧約聖書の時代から主なる神ヤハウェが、種を蒔くその土地の所有者であることの象徴だったことに由来します。
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- 最高の道 愛
⇒(MP3, 32kbps)「最高の道 愛」秋葉正二エレミヤ31,2-6; Iコリント13,1-13テキストは有名な箇所です。文体が修辞的で賛歌の形式をとっているので「愛の賛歌」と呼ばれています。愛がテーマですから結婚式でよく読まれます。私も結婚式の司式で何度も引用してきました。牧師になりたての頃、高校時代の友人の結婚式をホテルで司式したのですが、その時同じブラスバンドの仲間で横浜の大きな神社の神主をしている先輩が列席していました。式の後彼が、私が読んだ「愛の賛歌」にいたく感動したらしく、「いいなあキリスト教は、神道にはああいう素晴らしい表現がないんだよ。羨ましい。」と感想を語ってくれました。聖書を読んだことのない人にも感動を与える内容を「愛の賛歌」は持っているのでしょう。13章全体で13
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- 大胆に恵みの座に近づこう
⇒(MP3, 32kbps)「大胆に恵みの座に近づこう」秋葉正二イザヤ53,9-11; 「ヘブライ書」からは新約聖書の中でも他文書と比べて、かなり違った印象を与えられます。 冒頭に挨拶の言葉もありませんし、手紙なのかなあと思います。 成立年代と言われる紀元1世紀末は教会が迫害の危機に襲われていた時期ですから、おそらくヘブライ人が多いどこかの教会に、希望を失わずに忍耐強く歩みなさいという勧めがなされたのでしょう。 キリスト論が中心で、神の子キリストから説き起こされますが、それは発展して独自の大祭司キリスト論となります。 きょうのテキストにも「偉大な大祭司、神の子イエス」という表現が見られる通りです。 その昔教会会議が本書を正典に入れるかどうかで悩んだことも分かる気がします。 ともあ
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- 聖霊と神の愛があふれる
⇒(MP3, 32kbps)「聖霊と神の愛があふれる」秋葉正二創世記15,5-6; 使徒パウロの生涯については多くの書簡や「使徒言行録」によってかなり知ることができますが、彼の信仰思想を的確に理解することは決して簡単ではありません。きょうのテキストも含めた1-11節には「信仰によって義とされて」と小見出しがありますから、きょうのテキストの内容は信仰義認関連であろうと予想できます。信仰義認については、ルターがパウロ書簡からこれを発展的に取り出し強調してくれましたので、プロテスタント教会の信徒は比較的よく理解していると考えられていますが、実は信仰義認もそんなに単純ではありません。と言いますのは、1-11節を読んでいて、「今」という言葉が繰り返し使われていることが気になるのです。 2節に最初に出
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- 光の子として歩みなさい
⇒(MP3, 32kbps)「光の子として歩みなさい」秋葉正二イザヤ書60,1-3; エフェソ書が使徒パウロの著作であるかどうかは未だに決定されていないようです。 聖書学者によっても結論が出せないのですから、私たちに著作性の結論が出せないことは言うまでもありません。 私たちとしては決定的な証拠が示されない限り、伝統的にパウロの著作によるとされてきたことと、手紙自体も『パウロから』(1,1、3,1)と述べていることもあり、パウロのものとみなして読み進むことでよいだろうと思います。 少なくともこの手紙が霊的にすぐれた賜物を頂いている人の著作であることに異論はないように思われます。 きょうのテキストの内容ですが、教理的なものではなく、倫理的な勧めです。 4章前半でパウロは「キリストの体は一つ
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- 世から選び出される
⇒(MP3, 32kbps)「世から選び出される」秋葉正二詩編35,17-21; ヨハネ福音書15章は、「イエスさまはまことのぶどうの木」という譬え話から始まりますが、そこではイエスさまと弟子たちの生命的な結びつきが語られています。続く9~17節では、弟子たち相互の関係が「愛」を軸にして論じられています。そこで使われている愛はアガペーという、言うなれば神さまが私たちに注いでくださる愛です。そして終わりの部分にきょうのテキストが位置して、話の中心が弟子たちとこの世の関係に移って行きます。要約すれば、この世は、イエスさまを憎んだように弟子たちをも憎む、というのです。「世」と訳されている言葉はお馴染みのコスモスです。 現代では宇宙などもこの言葉で表しますが、ここでのコスモスは社会とか世間と考えれば
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- 時が来た
⇒(MP3, 32kbps)「時が来た」秋葉正二詩編116,1-11; 現在、入力作業中です。今しばらくお待ち下さい。
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He is a cross pendant.
He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel
Bible Verses About Welcoming ImmigrantsEmbracing the StrangerAs we journey through life, we often encounter individuals who are not of our nationality......
