ナザレ人イエス

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「ナザレ人イエス」

秋葉正二
サムエル記上2,1-10; ルカ福音書2,39-40

 聖書の後ろに付いている地図6「新約時代のパレスチナ」を見ますと、ナザレという町はガリラヤ地方の南方境界線上にあったことが分かります。  1章26節には天使ガブリエルが神さまからナザレの町に遣わされたことが出ていますので、ヨセフとマリアはナザレに住んでいたことが窺われます。  また2章4,5節にはヨセフとマリアが「住民登録のためにナザレからユダヤのベツレヘムへ上って行った」ともあります。  そこで、イエスさまはベツレヘムで誕生したという定説ができたわけですが、学者の中には4章24節の『預言者は、自分の故郷では歓迎されないものだ』というイエスさまの言葉を手掛かりに生誕地はナザレだと主張する人もあります。  しかし少数ですから、私たちはイエスさまはダビデの町ベツレヘムで生まれたというクリスマス物語の定説に拠ればよいと思います。

 ところで、ナザレは当時名もない町であったようで、旧約聖書はもちろんヨセフスの歴史書にも出てきません。  ヨハネ福音書の1章に、有名なナタナエルの言葉『ナザレから何か良いものが出るだろうか』とある通り、一言で言えばパッとしない評判も良くない寒村だったのでしょう。  しかしイエスさまはベツレヘムで誕生し、エジプトに逃れた後、両親の住んでいたその町ナザレに帰って、そこで成長されました。  タルムードというユダヤ教の律法解説書がありますが、そこではイエスさまを「ナザレ人」と呼んで侮っています。  また聖人であり、ラテン語訳聖書の翻訳者としても名高いヒエロニムスは、ユダヤ教の会堂の祈りがキリスト者たちを「ナザレ人たち」と呼んで蔑んでいたことを記しています。

 その他、使徒言行録24章5節にも関連記事を見出すことができます。  パウロが大祭司によってユダヤ総督フェリクスに訴えられた記事ですが、そこでパウロはどういうふうに告発されているかというと、大祭司の弁護人の言葉としてこう書かれています。  『この男は疫病のような人間で、世界中のユダヤ人の間に騒動を引き起こしている者、“ナザレ人の分派”の首謀者であります』。  この記事からも、当時「ナザレ」という言葉が持っていたイメージが伝わってきます。  パウロもイエスさまを信じたが故に、そのとばっちりを受けたのです。  もしイエスさまがエルサレムとかベツレヘムで育っていたならば、イエスさまご自身もパウロや当時のキリスト者も、これほどまでの軽蔑は受けなかったでしょう。

 しかしここで私たちは一度立ち止まって考えなくてはなりません。  なぜ神さまはイエスさまをナザレに育たせられたのか、なぜナザレ人とそしられることをよしとされたのか、……です。  私たちはクリスマスの恵みの中で、いま一度イエスさまが馬小屋で生まれ、飼い葉桶に寝かされ、ナザレの町に育った方であることの意味をしっかり掴み直そうと思います。  福音書がイエスさまについて語っているのはガリラヤにおける宣教活動ですから、ナザレ時代のことはほとんど分かりません。  福音書の目的はイエスさまが神の子キリストであることの証言ですから、ガリラヤの公生涯に集中するのは当然です。  しかしほんの少しではありますが、ルカ福音書だけは子供時代のイエスさまの姿を伝えています。  それがきょうのテキストの40節の記述と、それに続く41節以下の神殿での少年イエス像です。  40節には『幼子はたくましく育ち、知恵に満ち、神の恵みに包まれていた』とあります。  シンプルですけど、幼い頃のイエスさまがどんな様子だったか、よく伝えてくれています。

 『たくましく育ち、知恵に満ち』ですから、私たちの子や孫もそんな風に成長してくれたら文句の言いようがありません。  けれどもこの表現は聖書学者によれば、どうも旧約聖書に出てくる預言者サムエルの幼少時代の記述を踏襲したものらしいということなので、『たくましく育ち、知恵に満ち』という表現で福音書記者ルカは自分の捉えた子供のイエスさま像を披瀝したのでしょう。  ちなみに幼児サムエルの姿は「サムエル記上」2章に描かれています。  お母さんのハンナはサムエルが乳離れするとすぐに神さまに捧げています。  祭司エリにその教育を委ねたわけですが、幼きサムエルの様子は、エリのもとでエリの息子たちのならず者ぶりと対照的に描かれます。  サムエル記にはこうあります。  『少年サムエルはすくすくと育ち、主にも人々にも喜ばれる者となった』。

 確かにルカはサムエルの姿に少年イエスの姿を重ねたのかもしれません。  しかし単純に重ねただけではなく、ちゃんと自分の言葉を補っています。  それが『神の恵みに包まれていた』という部分です。  それはイエスさまの本質を表すのにふさわしい表現でした。  39節40節は聖書学者によれば、伝承のつなぎ目に編集者ルカが挿入した部分なのだということになるのですが、確かにすぐ前のシメオンの腕に抱かれた幼子イエスさまの姿と、すぐ後の神殿において学者たちとやり取りされる少年イエスさまの姿を無理なくつなぐ役割を果たしています。  しかも39節は4節にある『ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った』という部分と対応していますし、40節の方も1章80節の『幼子は身も心も健やかに育ち、イスラエルの人々の前に現れるまで荒野にいた』という部分に見事に対置しています。

 すぐ前のシメオンとアンナに関わる伝承記事はいささか道徳主義的な臭いもしますが、ルカはそれを受け入れながら幼子イエスさまについて壮大な賛歌を歌い上げました。  伝承の中にそれを単なる教訓に終わらせないためにルカは27節や33節にちゃんと「両親」とか「父と母」という言葉をそのまま残しながら、たとえばマリアのナイーブさといったものを描いています。  ということで、ぜひきょうのテキストの前後もつなげて読んでいただけると、ルカの意図もよりはっきり伝わると思います。  それにしても「神の恵みに包まれていた」という一言は大きな意味を持っています。

 いろいろ申し上げましたが、とにかくイエスさまはナザレ人として、また名もない一介の大工の息子として若き日々を過ごされたのでした。  けれどもそこには神さまの恵みがあり、その恵みに包まれて主イエスは成長されています。  身体が伸び、知恵が増したことは親のヨセフとマリアにとっては大きな喜びだったでしょう。  それは私たちでも同じことで、時代を越えてすべての子を持つ親に共通する思いです。  しかしながら、神さまの恵みが共にあるかどうかは、祈ることができるだけで、私たちにはどうしようもない領域の出来事です。  それが幼き主イエスには確かにあった、とルカは証言しているのです。  貧しさのどん底に生を受け、やがて多くの人たちを癒し、慰め、立たしめ、この世の権力やしがらみに巻き込まれず、若くして人々の救いのために十字架につかれて人生をまっとうされた私たちの救い主イエス・キリストの本質が、既に幼い時からその片鱗を現し始めていたというルカの力強い証言の声を、一年の締めくくりのこの聖日に私たちは聞いているのです。  神さまに心からの感謝を申し上げる他ありません。  お祈りしましょう。
 

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