光として世に来た

ここで引用される聖書の著作権は日本聖書協会に属します

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「光として世に来た」

廣石 望

I

 クリスマスおめでとうございます。

 子どもたちに「クリスマス・イヴの夜にやってくるのは誰でしょう?」と尋ねると、おそらく過半数が「サンタクロース!」と答えるでしょう。教会学校に通っている子どもたちならば、「イエスさまも…」と答えるかもしれません。サンタクロースとイエス・キリストでは年恰好がぜんぜん違いますから、この二人は明らかに別人です。では、なぜクリスマスにサンタクロースとイエス・キリストが同居しているのでしょうか?

II

 簡単に言うと、もともと別々であったキリスト誕生の伝説と、サンタクロースの伝説が後に合わさったからです。

 サンタクロースは、紀元4世紀、小アジアの地中海沿岸都市ミュラに実在した司教ニコラウスに遡ります。彼は伝説に囲まれた人物です。貧困な家庭の娘たちを救うために、夜中にその家に金貨を投げ込んだところ、暖炉の脇に吊るしてあったソックスの中に納まったという話が有名です。こうして彼は、社会の中で弱い立場に置かれている人々に親切にするという、キリスト教的な社会倫理を象徴する聖人の一人になりました。その記念日が12月6日です。

 他方で、最初期の教会に、キリストの誕生を祝うクリスマス礼拝はありませんでした。聖書には、キリスト誕生の次第を報告する物語はありますが、日時の表記はなく、教会史を調べてもクリスマス礼拝への言及はありません。

 しかしその後のキリスト教会で、おそらく異教の神々の誕生祭を祝ってきた民衆の宗教心を受けとめるかたちで、西方では12月25日(太陽神ソルの祭日)、あるいは東方では1月6日(エジプトの太陽神アイオーンの祭日)が、それぞれキリスト誕生祭ないしキリスト洗礼祭として、別々に祝われるようになりました。そしてこの二つが、キリスト教が公認されてゆく紀元4世紀になって、12月25日はキリストの降誕祭、他方で1月6日はキリストの顕現祭というかたちで整理されて、教会暦上の公的な祭日になりました。

 さらに16世紀、宗教改革の時期に、聖人崇拝を全体として否定したプロテスタントの影響が強い地域で――それでも聖人を重んじる民衆の宗教心に応えるかたちで――聖ニクラウスの日(12/6)は、互いに贈り物をするという習慣だけ残しつつ、キリストの誕生祭つまりクリスマスと合わせて祝われるようになったのです。

 私たちの習慣は、さまざまな地域差を含む、長い歴史から生まれています。そのことに、どのような意味があるのか聖書に照らしながら考えてみましょう。

III

 先ほどお読みしたヨハネによる福音書の一節は、イエス物語の文脈で、キリストの地上における活動の意味が何であったかについて、総括する段落の最後の部分に当たります。この先は受難物語です。

 ここでイエスは、自分がどのような存在であるかについて語ります。彼は、自らを神に向かって無色透明にすることで、人に「神」を見せる存在です。すなわち、

私を信じる者は、私ではなく、私を遣わした者を信じる。そして私を見る者は、私を遣わした者を見るのだ。

 キーワードは「私を遣わした」という表現です。イエスは神の最終決定的な使者です。イエスの発言の特徴を、三つほど申し上げます。

 第一に大切なのは、イエスが自分を神から区別していることです。彼は「私が神だ。だから私を信じよ」とは言わず、「私ではなく、私を遣わした者を信じる」よう言います。なぜなら、

私は決して私自身から語らず、むしろ私を遣わした父こそが、何を言い、何を語るべきかについて、私に委託を与えてきた。

 だから、

私が語ることは、父が私に言った、その通りに語るのである、と。

 信仰の対象である神を、その神を告知する者から区別することは、あらゆる宗教にとって根本的に重要です。宗教だけではありません。国益を神聖視してそのための戦争を正当化する政治家たち、「~の神さま」(経営、受験、資産運用etc.)と呼ばれて崇拝される人たち、あるいは「いかさま祈祷師」などを考え合わせると、神と人間の区別は、およそ人が人らしく生きるうえで根源的に重要です。 イエスの発言の第二の特徴は、彼が救済のみをもたらし、審判は行わないことにあります。

人が私の言葉を聞いて、それを守らなくても、私はその人を裁かない。私は世を裁くためではなく、世を救うために来たのだから。

 世の多くの「神の使者」たちは救いだけでなく、裁きをも告げます。「私を信じる者には救いを、しかし信じない者には死を!」という二者択一が、一般的なメッセージです。その極端なかたちを、私たちは現在「イスラム国」という現象で目の当たりにしています。しかしイエスは違いました。彼は、自分を信用しないユダヤ民族同胞と外国支配者であったローマ人に「処罰」を与えるどころか、逆に彼らから「偽メシア」「反逆者」の烙印を捺されて処刑されたのでした。その意味でイエスには、「処罰された神の使者」という側面があります。だからでしょうか、彼自身ではなく、彼の告げた言葉が「終りの日」に不信者たちを裁くと言われます。

私を拒否し、私の言葉を受け入れない人には、その人を裁く者がいる。私が語った言葉、それがその人を終りの日に裁くであろう。

 「終りの日」つまり最後の審判で、かつてイエスが告げた神の言葉がその人を裁くという意味でしょうか。もはや「最後の審判」の思想は、現代人にはそのまま受け止めることが難しくなりました。それでも私たちは、心の底では知っています。真実に目を背けて生きるとき、どんなに大きな利益を手に入れたところで、けっきょくは虚しいことを。

 最後に第三の特徴は、処罰されることで却って私たちに真理を示したイエスこそが「世の光」と言われていることです。

私は光として世に来た。私を信じる者がすべて、闇の中に留まることのないために。
私を遣わした父…の委託が永遠の命であることを、私は知っている。

 イエスは父なる神の委託を受けて「光」として、「闇」に沈むこの世界に「永遠の命」をもたらすために到来した――こうした発言は、この世界がそれだけで完結せず、むしろ世界を超越する位相を真剣に受け止めたときにこそ、人間は初めて真人間として生きてゆけることを示します。私に理解でき、同意でき、マネージできる範囲だけに世界や人生の意味を閉じ込めても、それは「闇」の中に留まることに他なりません。

IV

 「神と人間の区別」「裁きなき救済」そして「光の位相」――これら三つのことは、サンタクロースやクリスマスの習慣と何か関係があるでしょうか?

 まず「神と人間の区別」について――イエスと神の関係は、二つの異なる存在が、働きの点でひとつに結びついていることにあります。イエスは神を映す鏡のような存在です。だから大切なのは、イエスの映し出す神が本物の神であるかどうかです。サンタクロースは、赤い服を着て、白いひげをつけているからサンタクロースなのではありません。子どもたちに贈り物を届けるという行為が本物であるからサンタクロースなのです。誰がその役割を果たすかは、さして重要でありません。

 続いて「裁きなき救い」について――今から数十年前のドイツ語圏では、サンタクロースが幼稚園を訪問して、良い子には贈り物を与える一方で、その助手役として同伴している真っ黒な衣装を着た「クネヒト・ルプレヒト」は――日本の「なまはげ」に似ているかもしれません――、先生の言いつけを守らない子どもを地下室に連れて行って鞭で打ちました。「賞罰」の教育的利用ですね。さすがに今では、こうした体罰は行われておりません。聖ニコラウスも、処罰を与える助手を連れていませんでした。

 ニコラウスが与えるのは、純粋な愛情と善意からなされる無償の贈り物です。そして贈り物のパワーは、それを受けとる人に独特の尊厳を与える点に、つまり愛されることで愛する力を解放することにあります。処罰に、この力はありません。私たちがクリスマスの贈り物をするのも、そのことを喜ぶからです。

 最後に「光」について――光は、現在もクリスマスの特徴です。町はLED電球による美しいイルミネーションに溢れています。もっとも古代世界における光とは、夜は月や星々の光、夜明けの星、そして夜が明ければ太陽の光でした。聖ニクラウスも夜中に貧者の家を訪れ、暖かい暖炉のそばにこっそり贈り物を届けました。

 私たちは自分が造ったのではない光から「照らされて」初めて、つまり他者からプレゼントされた明るみと暖かさの中で、初めてまっとうに歩むことのできる存在です。そのような意味で、キリストは「光として世に来た」。彼を「信じる者がすべて、闇の中に留まることのないために」。

 皆さんお一人おひとりに、メリークリスマス!


 
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