イマジン(もし天国がないとしたら)

聖書に出てくる用語、クリスチャンが使う用語を説明しています。 ヘブル的視点で解説されていますので、すでにクリスチャン歴が長い方にも新しい発見があるかもしれません。

Imagine there’s no heaven
It’s easy if you try
No hell below us
Above us, only sky
Imagine all the people
Livin’ for today

想像してごらん 天国なんてないと
やってみれば簡単なことさ
足元には地獄はなく
頭上には空が広がっているだけ
想像してごらん すべての人は
今日この日のために生きているのだと

ジョン・レノンの有名な「イマジン」の一節です。この歌詞は多くのキリスト者を居心地悪く、またしばしば不快にさせるものだと思います。天国や地獄を否定するような歌は無神論的で受け入れられない、と感じるのでしょう(続く歌詞には「宗教もないと想像してごらん」というフレーズさえ出てきます)。

私も以前はこの曲が好きではありませんでした(メロディーは良いと思いましたが)。けれども、最近少し考えが変わってきました。

神学校の授業で最近こんな話をしました(多少改変しています)。キリスト教信仰には死後の希望がある。実際、使徒信条をしめくくる「永遠の生命を信ず」はキリスト教の伝統的な信仰告白であり、クリスチャンは、人間は肉体が滅びても終わりではなく、死後も生き続ける希望があると信じている。

しかし、そのような永遠の生命という希望は、キリスト教信仰の重要な要素ではあっても、中心ではない。キリスト教信仰の中心は、この地上で神のご計画と目的を達成するパートナーとして生きることである。私たちが救われて神の民とされたのは、地上で神の国(神の愛が創り出す新しい秩序)を現していくという働きに参加するためであり、死後の生命というのはそれに伴って与えられる恩恵にすぎない。それ自体はすばらしいものだが、恩恵を使命と取り違えてはならない。

実際、多くのクリスチャンは、今ここで神とともに歩むことよりも、死んだ後天国に行くという希望に焦点を当てて歩んでいるような気がします(じつは新約聖書が語る終末論的希望は魂が天国に行くというよりは地上における肉体の復活ですが、ここではその主題には立ち入りません)。この地上の生涯は、天国にたどり着くまでに耐え忍ぶべき試練の時であるかのようです。

しかし、私たちはじっさいどういう動機で神を信じているのでしょうか? 私たちが神を信じるのは、そうすれば天国に行くことができる(より消極的に言えば、地獄に行かなくてすむ)からなのでしょうか? もし私たちが、救いや永遠の生命といった、信仰に伴って与えられる恩恵のゆえに神を信じるのであれば、それは(しばしばキリスト教徒が他宗教を揶揄して言う)ご利益宗教に過ぎないのではないでしょうか。

このことをもう少し深く考えるために、ちょっとした思考実験を行いたいと思います。それは、ジョン・レノンが言うように、「天国も地獄もない」と想像するのです。もし私たちの生涯がこの地上に限られていて、死んでしまったら肉体は塵に還り、意識もなくなり、完全な無になるとしたら――私たちはそれでも神を信じ、愛し仕えるでしょうか?

これはけっして突拍子もない考えではありません。じっさい、旧約聖書の大部分において、古代イスラエル人は天国も地獄も信じていませんでした。すべての人は、善人も悪人も死んだらよみ(シェオル)に下ると考えられていました。よみでは死者は神から切り離された陰鬱な状態に置かれますが、そこは地獄ではありません。また天国のような概念もありませんでした。要するに、古代イスラエル人の世界観はきわめて地上的・現世的なものだったのです。けれどもそのような世界において、旧約時代のイスラエルは神を信じ、神に仕え、神とともに歩みました(逆らうことも多かったですが)。ですから、死後の生命を前提とせずに神を信じたり神とともに歩むことは完全に可能なのです。

けれども、このような考え方は多くのクリスチャンにとって異質なものかもしれません。そして、「永遠の生命について知らなかったイスラエル人はなんて可哀想な人たちだろう!」と思うかもしれません。けれども、彼らが自分たちを不幸に感じていたかどうかは一概に言えないと思います。限られた地上の生涯を神とともに歩むこと自体に喜びを感じていたならば、その生命が肉体の死で実質的に終わるという(彼らにとっての)現実はそれほど耐え難いものではなかったかもしれません。

昔ながらの福音派の伝道集会でよく聴衆に突きつけられた質問は「もし今夜あなたの生命がなくなるとしたら、あなたはどこに行くか知っていますか? 地獄ですか、それとも天国ですか?」というものでした。これは信仰の恩恵、ご利益に焦点を当てた問いです。けれども私たちが本当に問わなければならないのは、次のような信仰の本質に関する問いではないでしょうか。「もしこの地上の生涯を終えた時に、肉体が滅びて無になってしまい、永遠の生命など与えられなかったとしても、それでもあなたは神を信じ、神を愛して神とともに歩んでいきますか?」この問いに「はい」と答えることができるなら、私たちは信仰の本質について理解し始めているということなのかもしれません。キリスト者にとって大切なことは、死後どこに行くかではなく、今ここで神とともにどう歩むかなのです。(ついでに付け加えるなら、新約聖書が教える肉体の復活という概念はまさに、この地上で神とともに歩み続けることに関する教えです。)

私は死後の生命という信仰箇条を否定しているのではありません。けれどもこのように考えてくると、ジョン・レノンの「イマジン」はじつに本質的な問いをキリスト者に問いかけてくれる歌だと思えてきます。実際ジョンが神について何を信じていたのか私は知りませんが、少なくともこの歌詞は「天国などない」と言っているわけではありません。「天国などないと想像してごらん」と言っているのです。

そしてそれこそ、キリスト者がしなければならないものだと思います。

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Emmanuel

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