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利己主義と所有物

⇒(MP3, 32kbps)「利己主義と所有物」秋葉 正二イザヤ書61,1-5 ;  「金持ちと貧しいラザロ」の譬え話から学びます。テーマは何でしょうか? 貧しい者と金持ちの対比がまず出てきます。金持ちは毎日贅沢に暮らしており、この金持ちの門前には惨めな姿のラザロという俗に言う乞食がいたことがまず示されます。ラザロの姿は実に哀れで、これ以上の悲惨な姿はないだろうと思われるほどです。話の筋には直接関係ないようですが、21節には犬が出てきて、できものだらけのラザロのできものを舐めていたというのですから、時代的な犬への蔑視も感じます。当時は野生の犬が多くいたでしょうから仕方ないとも言えますが、どうも聖書の犬に関する記事はろくでもないものが多すぎます。ラザロの貧しさを強調するために、ラザロと一緒に犬

一つのからだ

⇒(MP3, 32kbps)「一つのからだ」秋葉 正二 きょうは家族音楽礼拝の日、教会学校の皆さんも、お父さん・お母さんもみんなで礼拝をささげる嬉しいひとときです。 みんなで過ごす時間ですから、いつも教会学校で歌ったり踊ったりしている曲を、教会の大人の皆さんと一緒に楽しんでしまいましょう。 昔イスラエルの王さまだったダビデさんだって、神さまにささげる礼拝がとても嬉しくて踊ってしまいました。 ですから、礼拝では嬉しいことをいろいろな形で表現してもよいのです。 さて、先ほど聖書を読みました。 パウロさんがエフェソの教会の人たちに送った手紙です。 「二つのものを一つにする」とか、「隔ての壁を取り壊す」とか、いろんなことが書いてありましたね。 これはどんなことかと言うと、私たちの周りには一緒にいるの

放蕩息子の話

⇒(MP3, 32kbps)「放蕩息子の話」秋葉 正二エレミヤ書31,18-20;  この物語に描かれているような放蕩を地で行ったことのある人が、ここに表されている神さまのみ心を最も深く理解できるのだと思います。私もそうですし、皆さんのほとんども、こうした放蕩に身を持ち崩したことはないと思いますので、どの程度この物語の真意を理解できるのか心配になりますが、読者のほとんどはそうした人たちだと思いますので、著者ルカもそのつもりで書き記したと思います。 物語の発端は財産分与の話です。その話ならば「ああ、私も親から何某かの財産を貰えそうだ」、或いは「もう貰った」と頷ける人もかなりいらっしゃるでしょう。物語の背景は父系制社会ですから、嫡男が当然のように父親の財産を継承します。兄と弟ならば、兄が2/3、

野菜だけを食べる人

⇒(MP3, 32kbps)「野菜だけを食べる人」秋葉 正二イザヤ書45,22-24;  「ローマの信徒への手紙」は、使徒パウロがまだ行ったことのないローマの教会に宛てて書いた手紙です。 当然人づてには先方の事情を聞いていたはずですが、実際に教会の様子を見聞したわけではないので、アドバイスとか何かを伝えるにしても、その内容にはおのずと制約が加わったことでしょう。 これがもし、相手がコリントの教会ならば、メンバーの顔が次々に浮かんできて、紛争があったとしてもその様子を具体的に想像できたでしょう。 ですから会ったことのないローマ教会の人たちへ信仰生活上のアドバイスや倫理的勧めやらを書き送るとしても、その内容はいきおい常識的にならざるを得なかったと思われます。 どうしても一般論的な叙述にならざるを

わたしは罪深い者なのです

⇒(MP3, 32kbps)「わたしは罪深い者なのです」秋葉 正二創世記35,9-15;  多くの皆さまが幾度となく読まれてきたテキストだと思います。ガリラヤ湖畔に立たれたイエスさまの目に映った情景が描かれています。イエスさまの話を聴こうとして、群衆が押し寄せて来ました。その時、イエスさまの意識は群衆にではなく、岸にあった二艘の舟に向けられています。そこでは漁から帰った漁師たちが舟から上がって網を洗っていました。 漁師と言いますと、いつも舟の上で魚を獲っているイメージが脳裏に浮かぶと思いますが、それは漁師の仕事の一部分に過ぎません。私が以前牧会しておりました南九州の志布志という町は、漁師町でもありました。町の一画に漁港がありまして、魚の水揚げがあり、セリが行われる建物があります。その付近には

壺を壊して

⇒(MP3, 32kbps)「壺を壊して」秋葉 正二イザヤ書32,15-20;  「ナルドの香油」と呼ばれている物語から学びます。 同じ受難物語としてマタイとヨハネにも並行記事があります。 香油といいますと、ひと昔前まではよく女性が髪の毛につけていました。 我が家にも椿油の瓶があったのを思い出します。 当時パレスチナでは客をもてなすために、それを客の身体に注ぐという接待方法の一つでしたし、死者を葬る時にはその遺体に塗るのもならわしでした。 ナルドの香油はヒマラヤ産ですから、ギリシャやローマ世界でこれを使うとなれば、流通ルートを考えただけでも、非常に高価な贅沢品であったでしょう。 事の発端は3節に書かれています。 ひとりの女性が非常に高価なナルドの香油が入った石膏の壺を持って来て、それを壊して

救いを幻想の太陽にしないために

⇒(MP3, 32kbps)「救いを幻想の太陽にしないために」陶山 義雄詩編84,1-13;  去る4月26日に開かれた今年度の代々木上原教会・定期総会において、2015年度の主な行事計画が提案され、その中の一つに7月19日を「外国人の人権のために祈り、民族主義と平和を考える礼拝」とすることが承認されました。そして本日、ここにその礼拝を持とうとしております。今までになかった新しい行事ですので、提案者の秋葉正二先生がまず、この礼拝を執り行って下さるのが相応しいと考えておりますが、本日は先生がおられませんので、私が担当することになりました。ご提案くださった主旨については、先の定期総会でご提案下さった主旨の一端が述べられておりますから、先生がおられなくても、その主旨に相応しく、この礼拝を捧げたく思

平和の君

⇒(MP3, 32kbps)「平和の君」秋葉 正二; マタイによる福音書4,15-16 「平和聖日」を迎えました。ヘブライ語では平和のことを「シャローム」と言います。シャロームはただ単に戦争がないことを意味する言葉ではありません。古代のイスラエル共同体の中に祝福が満ち、そこに生きる人々の間に調和があり、全体としても力が溢れている状態です。このシャロームが現代日本の私たちにもあったらどんなによいかと思います。いや、これは日本だけでなく、どの国の人々も願っていることでしょう。問題は自国民だけでなく、他国をも含んだシャロームを形成できるかどうかです。より強い軍備を備えて周囲の敵を打ち負かすことによって得られる平和は、決して本来のシャロームではないはずです。 今、私たちの国はいわゆる「戦争法案」に揺

神と被造物に親しむ

⇒(MP3, 32kbps)⇒原文(英語)で読む「神と被造物に親しむ」トマス・マシューミカ書4,1-3 ; I ナマステー(こんにちは)。インドからご挨拶します。南インド・ケララ州から皆さんに再び、大きなクリスチャンの家族としてお目にかかれることは、私にとってすばらしい特権です。牧師の秋葉正二先生と役員の皆さまには、本日の説教を担当させて下さり、また教会という神の家で数日間の宿泊を可能にして下さったことを感謝申し上げます。そして友人である廣石先生には、私の平和活動およびNGOであるSEEDS-Indiaの慈善活動に対する継続的な支援に感謝申し上げます。 今日は、長崎に原子爆弾が投下されて70周年の記念日です。幸運なことに、それ以降の70年間、世界は原子爆弾の投下および核戦争に直面することは

罪と和解

⇒(MP3, 32kbps)「罪と和解」廣石 望エレミア書8,8-13 ; I 今日のテキストには「義とされる」という表現が現れます。キリスト教にとって、とても大切な言葉です。敗戦後70周年の記念日を昨日迎えた私たちにとって、それは何を意味するでしょうか。 私たちの国の首相は、「未来の世代に永久的に詫びるという責任を追わせるべきでない」という趣旨の談話を発表したと聞きます。そのとき起こったことに直接的な責任がないという意味では、たしかにその通りです。しかし先週のトマス・マシュー氏の説教にもあったように、いわゆる戦後責任は、そうした直接的な決定や行動に何の関わりもない、次世代の子どもたちが担うというのも真実です。例えば子どもである自分が、戦争のせいで孤児になるという仕方で。 現在私たちの国

奇跡を超えて

⇒(MP3, 32kbps)「奇跡を超えて」秋葉正二イザヤ書35,3-6 ;  テキストは、イエスさまが聾唖の人を癒す物語です。 場所はガリラヤですが、それまでイエスさまはいろいろな地方を回られていたようです。 ティルスからシドン、デカポリス地方を通り抜けてガリラヤ湖にやって来られたと書いてありますが、聖書の後ろについている地図ナンバー6「新約時代のパレスチナ」で確かめますと、何とも奇妙な行程です。 地中海沿岸からガリラヤの周囲をぐるっと回って遠回りするようにしてガリラヤに戻る、確かにおかしな行程です。 しかしこれは、おそらくイエスさまの旅の性格によるのだと思います。 イエスさまの旅は伝道旅行とか呼ばれるのですが、どうも目的地を定め、そこで何日間滞在して、何々をしようというような私たちが常

敵とは? 隣人とは?

⇒(MP3, 32kbps)「敵とは? 隣人とは?」秋葉正二ネヘミヤ書13,23-27 ;  きょうのテキストでは律法の専門家がしきりに「隣人」という言葉を使っています。そこでまず「隣人」について考えてみます。旧約でも新約でも「隣人」と訳せる言葉は幾つかあります。それぞれが文脈により兄弟・友人・仲間・近くにいる人などと訳されます。きょうのテキストに使われている「隣人」は、ギリシャ語では「近くで」とか「近くに」という意味の言葉ですから、「近くにいる人」の意味で隣人が使われていることになります。そこで、あえて聖書的概念はといえば、「目下関わり合っている他者」のことだ、と言えるでしょう。ではその関わり合っている「他者」とはどの程度関わり合っている他者なのでしょうか。 旧約も視野に入れると、まず職

権力批判の信仰的根拠

⇒(MP3, 32kbps)「権力批判の信仰的根拠」秋葉正二 ; ヨハネによる福音書19,17-22 宗教と国家、あるいは信仰と政治の関係は、どの時代にも重要な問題ですが、その関係は各々の時代の中で捉え直す必要があります。 きょうはこの問題を申命記から学ぼうと思います。 紀元前1000年から1200年頃のイスラエルは各部族のリーダー的存在であった士師と呼ばれる人たちが民族の存亡を賭けて戦った時代でした。 カナンへはエジプトの侵略があり、ペリシテ人が山岳地帯まで進攻するなどイスラエル民族にとっては大変な時代でした。 やがてカナン定住化が進むにつれ、民の中から一つの声が湧き起こります。 サムエル記上8章には、民が王を要求する記事があります。 王制の成立に関する伝承記事です。 民の中には周囲の諸民

剣を取る者は皆、剣で滅びる

⇒「剣を取る者は皆、剣で滅びる」秋葉正二創世記49,5-7 ;  今年度のカンファレンスの主題は「キリストに従って生きる」です。 大きな緊張を抱えた国際社会の中で「キリストに従って生きる」とは何を意味するのか、このことを自由に発言できる雰囲気の中で一緒に語り合いましょう、と案内文にありました。 基本聖句に今日のテキストの中の52節が掲げられていますので、この言葉を軸に「キリストに従って生きる」意味を掘り下げることができたら、と願っています。 テキストはイエスさまが逮捕される情景です。 他の三つの福音書にも並行記事がありますので、比較しながら読むことができます。 イエスさまを裏切ったのが弟子の一人イスカリオテのユダであったことは、既に同じ章の14節以下に記されています。 銀貨30枚を貰うことで

ラザロ、生き返る

⇒「ラザロ、生き返る」秋葉正二エゼキエル書37,1-14 ;  ヨハネ福音書11章はラザロという青年の死が題材になっています。舞台はエルサレムにほど近いベタニア村です。ラザロにはマルタ、マリアという姉妹がいまして、その家族はイエスさまが上京する機会があれば立ち寄るというような、イエスさまとは親しい関係にありました。このラザロが病気になったので、主イエスを神の子メシアだと信じていた姉妹は、何とか兄弟ラザロを助けて頂きたいと、人をやってイエスさまに来てくださるように頼みました。 しかしイエスさまはその願いにすぐには応じず、そうこうするうちにラザロは亡くなってしまいます。イエスさまがベタニアに来られたときにはラザロは墓に葬られていて、既に四日も経っていたとあります。姉妹はイエスさまに向かって『もし

エル・ロイ(わたしを顧みられる神)

⇒(MP3, 32kbps)「エル・ロイ(わたしを顧みられる神)」秋葉正二 ; ペトロの手紙一 1,3-5 創世記は12章から族長物語に入り、これが最後まで続きます。 この族長とは当時、紀元前2千年頃の遊牧民の小さな部族のリーダーであった、アブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフたちの物語です。 族長物語には一応歴史的事実性の裏付けがありますが、全体としては歴史というよりは歴史的伝説の段階で、教訓的な側面が目立ちます。 さて16章はアブラム(旧名)と妻サライの夫婦関係をめぐる物語です。 アブラム一族はカナンに移住して既に10年が過ぎ、その間に様々な波乱がありました。 飢饉を避けてエジプトに行けば、ファラオがサライを見染めたのでアブラムが「妹です」と嘘をついて宮殿に召し入れさせたり、甥のロトを救出し

宝を天に積むこと

⇒(MP3, 32kbps)「宝を天に積むこと」秋葉正二マラキ書3,7-10;  本日の学びは、テキスト9章の小見出しに「エルサレムの信徒のための献金」とある通り、献金がテーマです。折角教会に来始めたのに、献金と聞いただけで引いてしまう人がおられます。私たち教会人はそのために丁寧に説明して差し上げる責任がありますが、実は教会人の中にも献金について十分に理解しておられない人もいるのです。一つの言い方をすれば、誰でも献金についてはチャレンジを受けることを自覚しておかねばなりません。自分で稼いだお金は自分で用いるというのが世 の常識ですから、それを自分以外の目的に使うと言えば抵抗があるのです。 けれども、この、この世的チャレンジをしっかり乗り越えない限り、喜びをもって信仰生活を送ることなど出来ませ

病気と罪からの解放

⇒(MP3, 32kbps)「病気と罪からの解放」秋葉正二レビ記24,13-16;  歴史のイエスさまを回想するために、マルコ福音書以上のものはないのではないでしょうか。 ガリラヤ地方で教えを宣べ伝え始められたイエスさまが、病人を癒したり、悪霊を追い出されたという噂が広まると、多くの人々がイエスさまのもとに集まってきたようです。 普段は神さまのお世話になんかならなくても自分でやってゆけると考えていても、いざ病気になったり、自分では解決できない問題にぶち当たった時、人々は人間を超えた力にすがろうとするものです。 現代は科学の時代ですが、何百万という人々が一年の無事を願って初詣に出かけたり、受験生が天神様のお守りを身につけて入学試験に臨んだりするのを毎年見ていると、科学では解決できない現実がある

ナザレから何か良いものが出るか

⇒(MP3, 32kbps)「ナザレから何か良いものが出るか」秋葉正二創世記28,10-15;  イエスさまはガリラヤでの新しい活動を開始するにあたり、お弟子さんを選ばれました。選ばれた弟子の立場から言えば、イエスさまに出会ったのです。ですからイエスさまとの出会いがいくつか起こって、弟子たちと呼ばれる集団が生まれました。中でも強烈な出会いを体験したのが後に12弟子と呼ばれるような人たちです。ヨハネ福音書によれば、最初にイエスさまに出会ったのは洗礼者ヨハネの弟子の一人アンデレです。彼は自分の兄ペトロをイエスさまに引き合わせました。最初の弟子二人の誕生です。32-42節にその経緯が描かれています。きょうのテキストはその流れの中で起こる次の弟子たちとの出会いです。唐突な印象を受けますが、イエスさま

敵を愛すること

⇒(MP3, 32kbps)「敵を愛すること」秋葉正二出エジプト記23,4-5;  紀元4世紀、キリスト教は国教の地位を獲得しました。 このことは平和に関する教会の態度に重大な変更をもたらすことになりました。 3世紀までのキリスト教は言わば絶対平和の立場です。 「異端反駁」を著したローマ人司祭ヒッポリソスは、教会の秩序として信徒がついてはならない職業として兵士を挙げています。 これは兵士になれば敵を殺すことがあり、殺すなという戒めを破ることになるからでしょう。 けれども国教になれば状況は一変します。 国家に忠誠を尽くすこともキリスト教の任務になりますから、ローマ帝国という武力で相手を征服してきた国の軍事力を承認しなくてはなりません。 国教になって以降のキリスト教の歩みを振り返れば、武力行使は

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