一つのからだ

ここで引用される聖書の著作権は日本聖書協会に属します

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「一つのからだ」

秋葉 正二

 きょうは家族音楽礼拝の日、教会学校の皆さんも、お父さん・お母さんもみんなで礼拝をささげる嬉しいひとときです。 みんなで過ごす時間ですから、いつも教会学校で歌ったり踊ったりしている曲を、教会の大人の皆さんと一緒に楽しんでしまいましょう。 昔イスラエルの王さまだったダビデさんだって、神さまにささげる礼拝がとても嬉しくて踊ってしまいました。 ですから、礼拝では嬉しいことをいろいろな形で表現してもよいのです。 さて、先ほど聖書を読みました。 パウロさんがエフェソの教会の人たちに送った手紙です。 「二つのものを一つにする」とか、「隔ての壁を取り壊す」とか、いろんなことが書いてありましたね。 これはどんなことかと言うと、私たちの周りには一緒にいるのが難しい正反対のものが沢山あるということです。

 たとえば、皆さん自分自身のことを考えてみてください。 自分は一人だから考えることも行うことも一つだよ、と思っていませんか。 実はそうではないのです。 イエスさまが悪魔に誘惑されたことが聖書に書かれていますが、あの悪魔は私たちだって誘惑するのです。 どんなふうに誘惑するかと言うと、「あの子嫌いだからいじめてみたら」とか「お父さんもお母さんも見てないから、お財布から少しお小遣いもらったら」とか、いつでもどこでもチャンスがあれば悪魔は私たちを誘惑してくるのです。 そんな時油断していると、つい誘惑の言葉に乗っかってしまいます。 イエスさまは悪魔の誘惑をちゃんと退けました。 それはイエスさまが、正しいことを行われる神さまの子どもだったからです。

 私たちだって神さまのことをしっかり心に留めている時は、悪魔の誘惑をはね返すことができます。 でも神さまのことなんかすっかり忘れている時に悪魔に誘惑されたら、ついつい悪い心になってしまいます。 ですから私たちの姿も、良い心の時と悪い心の時があるのです。 自分の心が二つあるなんて嫌ですね。 イエスさまにお祈りして、悪い心を捨てられる新しい一人の人に造り変えていただきましょう。

 また、正反対のものは自分の姿だけではありません。 イエスさまの時代のイスラエルの国にはユダヤ教という千年以上もユダヤ人に信じられてきた教えがありました。 ユダヤ人たちは自分たちだけが特別に神さまから選ばれた民族だと信じていました。 ですからユダヤ人でない人たちのことは異邦人と呼んで、バカにしていたのです。 異邦人、外国人のことですね。 エルサレムには大きな神殿がありましたが、その神殿の中に異邦人は入ることはできませんでしたし、異邦人はユダヤ人と一緒に食事したり遊んだりすることもできなかったのです。 ユダヤ人と異邦人を区別する律法と呼ばれる法律がありましたから、もしそれを破れば仲間外れにされてしまって、ユダヤ人の社会では生きて行くことができなくなります。 ユダヤ人と異邦人は対立している正反対の存在です。

 でもそんな世界にイエスさまは新しい考えを持ってきてくださったのです。 異邦人と一緒に食事したり、異邦人の人と仲良く話したり、それまでユダヤ人ができなかったことをどんどんやり始めました。 イエスさまは行く先々でそうしたものですから、ユダヤ人たちは驚いてイエスさまのことを眺めたのです。 そのうち、心の狭い人たちは、「あのイエスという人物はけしからん、私たちユダヤ人の社会を壊してしまう」と考えました。 その人たちの目には、ユダヤ人の社会を壊してしまうと見えたのですが、本当は違います。 イエスさまはユダヤ人も異邦人も一緒に仲良く暮らせる新しい社会をつくり始めていたのです。

 みんながイエスさまのされた通りにすれば、ユダヤ人と異邦人は対立する二つの存在ではなくなります。 一緒に暮らせる一つの存在、一つの体になるのです。 「私たちユダヤ人は……」 とか 「私たちの国イスラエルは……」 とか、そんなことばかり言っていると、異邦人の人たちと仲良くすることなどできっこありません。 イエスさまはユダヤ人も異邦人も一つに暮らせる世界を、ご自分の言葉や行いでお示しになったのです。 これはイエスさまが過ごされた二千年前のことだけではありません。 いま、私たちが暮らしている現代、西暦2015年の世界にもあることです。 皆さん、この日本の国にはどのくらいの外国人の人たちが暮らしていると思いますか?  もうとっくに200万人を超えているのです。 イエスさまの時代と比べると地球は狭くなりました。 飛行機に乗れば1日で世界一周ができてしまいます。 200もの国々の人たちが世界中を行ったり来たり出来ます。 日本に来る人の数は1年間に1000万人を超えてしまいました。 こうした人たちと仲良く一つになれるか、私たちはイエスさまから宿題を与えられているのかも知れません。

 きょうの聖書に、イエスさまは対立している正反対の人たちを一人の新しい人に造り上げて平和を実現された、とありました。 十字架はそのイエスさまの平和のしるしです。 だからイエスさまによって立てられた教会は十字架をかかげます。 自分の中の分裂してしまった心も、人々の間の対立も、イエスさまは新しい一人の人に造り上げてしまうのです。 私はそんなことを想いながら、いまこの家族音楽礼拝を守っています。 新しい一人の人に造り上げられて、元気に讃美歌やゴスペルを歌い踊りましょう。  お祈りします。

祈り:神さま、私たち人間はイエスさまのお力をいただくしか仲良くできない存在です。 イエスさまは十字架にかかられて、私たちの世界から憎しみを取り除いてくださいます。 私たちはこのイエスさまのお心を理解する時に、聖なる民に属する神の家族にされます。 どうか私たちに、聖霊の働きによって平和を実現させてください。 イエス・キリストのお名前によってお祈りします。


 
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