本当の幸い”
ラスベガス日本人教会 砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を
今日は、“本当の幸い”ということを考えてみました。今朝のデボーションで、私の愛読書である詩篇を読んでいましたら、詩篇84篇のある言葉に目が留まりました。それは、 「なんと幸いなことでしょう」という感嘆詞で、以下のとおり、三回ここに出ています。万軍の主。あなたのお住まいはなんと、慕わしいことでしょう。私のたましいは、主の大庭を恋い慕って絶え入るばかりです。私の心も、身も、生ける神に喜びの歌を歌います。雀さえも、住みかを見つけました。つばめも、ひなを入れる巣、あなたの祭壇を見つけました。万軍の主。私の王、私の神よ。 なんと幸いなことでしょう。あなたの家に住む人たちは。・・・・・・・・・・・・・・・・・ なんと幸いなことでしょう。その力が、あなた(神)にあり、その心の中にシオンへの大路のある人は。彼らは涙の谷を過ぎるときも、そこを泉のわく所とします。初めの雨
もまたそこを祝福でおおいます。 彼らは、力から力へと進み、シオンにおいて、神の御前に現われます。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・まことに、神なる主は太陽です。盾です。主は恵みと栄光を授け、正しく歩く者たちに、良いものを拒まれません。万軍の主よ。なんと幸いなことでしょう。あなたに信頼するその人は。(詩篇84:1-7)
ここに、神を慕う者、神に信頼する者には神から来る幸いが約束されています。この詩篇の作者は、神殿の軒下に雀が住みつき、つばめが巣を作っている姿に感動しているようです。それは、小さな生き物である雀が、神の宮の奥の軒下に巣を作り、だれにも邪魔されずに雛を育てているからです。そこで詩人は、罪深い小さな弱い人間も、悔い改めて神を信頼するなら、神の懐の中に巣を作り、そこに幸いを見出すのだと歌っているのです。また、この中に、「彼らは涙の谷を過ぎるときも、そこを泉のわく所とします」という言葉が出てきます。これは、神の力を拠り所として生きる信仰者の幸いな姿です。「涙の谷」とは、苦難と悲しみのある所を示しています。人生には、多くの涙の谷があります。そこで苦しみ、涙を流すのです。そして、人は誰でも生きている限り、そこを通らなければなりません。しかし、神を信頼し、神の中に力を見出し、心に神との生命の交わりを持つ者は、そこを泉のわく所とするのです。「初めの雨」というのは、荒野の情景を一変させる秋の雨のことです。荒野のような苦難に満ちた人生であっても、そこに潤いを与えてくれます。神の恵みと力に信頼する者の人生の旅は、力強く、活気にあふれているというのです。それに対して、神から逃げる者の人生は、行き詰まりの人生です。あの預言者ヨナも、神の言葉に背いたとき、行き詰まりを経験しました。近頃のニュースは、暗いニュースばかりで、多くの問題に解決の糸口が見えてきません。世界はすべてに行き詰まっています。しかし、イエス・キリストを信じる者には希望があります。「力から力へと進む」人生であり、「涙の谷を過ぎるときも、そこを泉のわく所」として行く幸いな人生が約束されているのです。私たちは、ますます聖書を深く味わい、御言葉の中に生きる人生を経験したいものです。そこには、間違いなく「力から力へと進む」勝利に満ちた生涯があるのです。今日の一言: 神を信頼する者の人生には本当の幸いがある平安鶴田健次ブログランキングに参加しています。クリックで応援してください。