左はアルメニア人の友だち・右は私ヨハネのブログの作者片平雅子
ヨハネのブログの日本人の作者片平雅子です。
今回は、私のプロフィールをご紹介します。偽雅子と間違われないようにしたいと思います。
私は、昭和31年生まれの現在66歳です。鹿児島市の阿久根市で生まれました。
父は、熊本や鹿児島県阿久根市、鹿児島県薩摩町など各地の診療所の医師をしていました。
母は、熱心な仏教徒です。父は、しばらくは、創価学会だったようです。でも、父は、人体の内部を見て、神がいると思ったそうです。
私が幼稚園に行く前だったと思います。父が、わたしに教会の作った子供用の聖書物語の本をプレゼントしてくれました。
確か、「神様の贈り物」という表題の本だったと思います。
私は、その本が大好きで、何度も読みました。そして、神様がいると信じました。
夜寝る前は、神に祈りをしてから寝ました。でも、教会には、通っていませんでした。
私が幼いころ、鹿児島県薩摩町の永野診療所で、父は働いていました。
それで、ほんのしばらく永野小学校に通いましたが、母がわたしを宮之城町の宮之城小学校に転校させました。
その後、母は自分と子どもたち、わたしと弟建一郎と裕次だけを連れて鹿児島市の騎射場の家に引っ越しました。
父は、永野町に単身赴任となりました。
私は、荒田小、付属小、附属中、甲南高校と進みました。私の家族は、紫原に家を建てました。
私は中学校の頃から、うつ病になりました。世界が灰色の感じがしました。
高校生の時も、生活に喜びがありませんでした。わたしは、高校生の時、自分はどんな生き方をするべきなのかを悩みました。
また、通学時の電車の中で、男の子がわたしに注目するのをとてもいやだと思いました。
わたしは人参ジュースを飲んでいたので、そのころ、肌が真っ白だったからだと思います。
私は、また、世界が核戦争の脅威、食糧不足、人口爆発、汚染と公害で悩まされていることを家に配達されていた朝日新聞から知りました。
わたしはこのような破滅に向かっているように見える世界でどのように生きるべきかとますます悩みました。
高校の時は、普通クラスでしたが、一生懸命、勉強したら、クラスで一番か二番でした。
わたしは両親がわたしが小学校の二年生か三年生の頃、プレゼントしてくれた子供向けの世界少年少女名作全集が好きでした。
40巻くらいだったかもしれません。何度も読みました。それで、外国の文化をその文学全集を通して知りました。
その中には、古事記や日本書紀を分かりやすくまとめたものも、含まれていました。
わたしは、欧米のキリスト教の文化や考え方は、明るく愛があって積極的でとてもいいと感じました。
鹿児島市紫原の両親の家には、日本文学全集もありました。わたしは全巻読みました。
でも、日本文化では、売春などが当然の事として行なわれていて、明るさや希望がないと感じました。
また、仏教の地獄の概念もいいとは思いませんでした。また、現実の事だとも思いませんでした。
私は真の神は、地獄などのような救いの希望のないものを絶対に作られないと感じました。
それで、地獄は存在していないと思いました。
それで、地獄を教える仏教の説話や小説は作り話としか思いませんでした。
それで、わたしは、仏教系や神道系の日本昔話や、川端康成や三島由紀夫の小説などは、ほとんど、魅力を感じませんでした。
私は中学校の二年か三年生の頃から、うつ状態でした。世界が灰色に見えました。高校に入っても、やはり、同じ状態でした。
私は、将来どんな生き方をするべきかについて、悩んでいました。
そのため、学校に行かないようになり、不登校になりました。
時代の先端を走るひきこもりでした。わたしの問題を誰かに相談することも考え付きませんでした。
それは、高校二年生の頃でした。ギデオン協会が甲南高校で、新約聖書を配っていました。
その頃、わたしは同級生の男の子が、みんなの前で、聖書から証言するのを聞きました。彼は、エホバの証人の子供でした。
私はあまり、その内容が理解できませんでした。
わたしは、ギデオン協会の配った新約聖書を読んで、イエス・キリストの言葉には、真実味があると思いました。
イエスは、ご自分の栄光ではなく神の栄光を求めて生活を送りました。それは、真実な無私の生き方だと思いました。
それで、不登校引きこもりになつていた時、生涯、キリストに従う生き方をしようと思いました。
わたしの高校二年生の時の同級生の女の子の一人は、エホバの証人と勉強して、姉妹となっていました。
わたしが、卒業後、家にいた時のことです。わたしはその人に連絡して、家に来てもらいました。そして、彼女と一緒に聖書を学びました。
わたしは、エホバの証人の教えは、聖書的だと思いました。私は神に導きを求めていたので、私の祈りは聞かれたと思いました。
私は、ちょうど自分の誕生日に、たぶん都の城市のホールでバプテスマを受けました。
わたしは神と結婚したように感じていました。1976年12月26日、ちょうど、二十歳の誕生日でした。
私は、エホバ神とその天的な希望について学んで、エホバ神にお会いしたいと思いました。私は切にそう望みました。
でも、エホバの証人は天的な希望への召しは終わったと教えていたので、わたしはとても落ち込みました。
その頃、ひと月くらいエホバの証人の集会に行きませんでした。
でも、証人の出版物を何冊か読んでみて、将来の希望がどうであれ、地上での生活としては、エホバ神に専心仕えるのは、同じことだと思いました。
それなら、自分の将来の希望がどうであれ、今の生活は同じだと思いました。
それで、エホバ神に専心仕えようと思いなおして、証人の集会に再び行き始めました。
私は、毎朝、聖書を読む習慣を始めました。私は感情の浮き沈みが激しかったです。
聖書を毎朝読むようになつてから、私の感情の浮き沈みは小さくなりました。それで、わたしは聖書を定期的に読んでうつ病が軽くなりました。
He is a cross pendant.
He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel
Bible Verses About Welcoming ImmigrantsEmbracing the StrangerAs we journey through life, we often encounter individuals who are not of our nationality......
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