究極の希望“

ラスベガス日本人教会  砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を
今日は、”究極の希望”ということを考えてみました。ところで、世界の人口は今日の時点でどれ位かご存知ですか?世界の人口は、2015年1月23日現在、72億3290万人です。人種的には、白色人種、黒色人種、黄色人種、あるいは東洋人、西洋人、アフリカ人などに分けられ、国の数は、2011年7月現在、195カ国です。ところが、神が世界を見られる時には、そういう違いは全く関係なく、この世にはただ二種類の人しか見えません。それは、絶望の中に生きている人々と、永遠の希望の中に生きている人々です。神は元来、絶望的な人々を造られたわけではありませんが、人間のほうが神に背くことによって自らの身に絶望を招いてしまったのです。デンマークの哲学者・キルケゴールは、この事実を指して、生まれながらのすべての人を、「死に至る病を持っている人」と表現しました。人間は創造主なる神に背を向け、堕落することによって、永遠の死に至る病を持つ絶望的な存在になってしまったということです。その意味において、人間を分けるこの世の様々な基準は、究極的には何の意味もなく、本当のところは二種類の人間しかいないということになるのです。それは、永遠の絶望に向かって生きている人と永遠の希望に向かって生きている人、救われていない人と救われている人、地獄に行く人と天国に行く人、救い主キリストを信じない人と信じる人。これが聖書が明らかにしている重要な真理です。ところで、クリスチャンになって経験することのひとつに、クリスチャンになる前と比べて、死という問題について考える機会が増える、ということがあると思います。私は牧師をしておりますので、その意味では、普通のクリスチャンよりも更に多くの時間をかけて、死ということについて考え、聖書を学び、また色んな本を読みます。そして、今更のように、人生の出来るだけ早い時期に、死の準備をするということが、人生における最も重要な仕事であるということを思います。 哲学者の堀秀彦氏は、『死の川のほとりにて』という本の中で、こんな事を言ってらっしゃいます。「70代までは、年毎に私は死に近づいて生きつつあると思っていた。だから死ぬるのも生き続けるのも、私自身の選択できる事柄のように思われた。・・・・ところが、82歳のいま、死は私の向こう側から一歩一歩、有無を言わせず、私にせまって来つつあるように思われる。私が毎年毎日死に近づいて行くのではない。死が私に近づいてくるのだ」如何でしょうか。堀氏の言葉は、死の現実を表していると同時に、仕方のない、逃れることの出来ない死に対する実感をいよいよ深く、確実なこととして感じさせるのではないでしょうか。死というのは、聖書を知らない者にとっては謎です。統計上、人が死ぬ確率は100%です。この世に、これほど確実な事柄はありません。ですから、死は、本人にとっても、遺された遺族にとっても、これ以上に絶望をもたらすものはない、そういうものだと思います。ところが、その絶望の現実に、「死は終わりではない」と言って乗り込んで来られる方がいらっしゃるのです。どんな絶望の中にあっても、死に打ち勝つ究極の希望をもたらすことのできる方がいらっしゃるのです。それが比類のない神の言葉である聖書の中に示された重要な真理なのです。今日の一言: あなたも究極の希望を手に入れることができる鶴田健次ブログランキングに参加しております。下記の2つのアイコンのクリックで応援をお願いいたします。
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